唯文─2 高校での日常

 公立花英かえい高等学校。それが、唯文が通うことになった高校の名前だった。

 始めこそ緊張で無愛想だった唯文も、徐々にクラスに溶け込んでいく。実はその不器用さがクールだとして、女子の中で人気があったとは本人は知らない。

 授業終了の合図であるチャイムが鳴り、担当教師が教室を出て行った。するとすぐ、教室の中は騒がしくなった。

「唯文、売店に行こうぜ」

「もう早弁か? まだ一限目終わったところだぞ」

 ジト目で唯文に睨まれ、天也は肩を竦める。それから頭を掻いて、違うと首を横に振った。

「早弁じゃないって。シャーペンの芯がなくなったんだ。買いに行きたいんだよ」

「それくらい、一人で行け」

「えーっ、どうせ暇だろ」

「……次の授業の予習があるから、暇とは言えない」

「真面目だなぁ、唯文は」

 呆れつつも「わかった」と言って、天也は教室を出て行った。彼を見送り、唯文は言葉通り教科書を開く。

 しばらく教科書と見詰めあっていた唯文は、視線を感じて顔を上げた。そこにはこちらを見ている天也の姿がある。

「もう行ってきたのか?」

 今さっき出て行った気がしたが。唯文がその旨を口にすると、天也は苦笑する。相変わらずだな、と言いながら。

「シャー芯はここにあるよ。お前、ほんとに集中すると回り見えなくなるよな。俺が出てから……五分近くはもう過ぎてる。ほら」

 天也が親指で後ろに指した瞬間、キーンコーンカーンとチャイムが鳴った。ざわざわと賑やかだった教室が一層騒がしくなり、それぞれの席へつく。

「じゃ、後でな」

「おう」

 ひらっと片手を振った天也の後ろ姿を見送り、唯文はふと窓の外を見た。彼の席は窓側にあり、校庭の様子がよく見える。

 校庭では、体育らしい生徒たちがぱらぱらと集まっていた。

「……あっちは、何やってんのかな」

 ぽつりと呟かれた言葉は、日直の「起立」という声にかき消された。


「唯文、帰ろうぜ」

「おう」

 放課後になり、唯文は天也に誘われて鞄を背負った。

 並んで校舎を出て、分かれ道まで会話は弾む。会話の内容は、大抵その日に学校であったことだ。この授業で先生があんなことを言ったという話、昼休憩の時に小耳に挟んだ内緒話、大体はしょうもないことだが、それが楽しい。

 あっという間に天也と別れる道に来て、唯文は内心残念に思っていた。それでも、この先に何があって唯文が何処に帰るのかはまだ言えない。

「じゃ、また明日な」

「おお、またな。唯文」

 手を振り、背合わせになる。二人が帰る方向は反対で、時々立ち話をすることもある。

 唯文がソディールへ繋がる空き家へと歩き出した時、後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた。振り返れば、少し離れた所から手を振る天也が見える。彼の表情は、少しだけ真剣に見えた。

「天也?」

「唯文、また今度教えてくれよ。お前、俺の知らないこと沢山知ってそうだもんな」

「……ああ」

 唯文はふっと気の抜けた笑みを浮かべた。こいつはわかっているのに訊かないんだ、と天也に対する諦めにも似た安堵の気持ちが湧き上がる。

(きっと、天也はおれが話すまで何も訊かない。おれは、どうしたいんだろう……?)

 答えは決まっているはずだ。しかしまだ、唯文は一歩踏み出せない。

 ソディールという異世界から来た獣人だと言って、一体誰が信じるというのだろうか。誰が友達でいてくれるというのだろうか。

「――じゃ、明日のテスト頑張ろうぜ」

「お、おう。また明日」

 ふと考えに落ちていた唯文は、あっさりと別れの挨拶をして去る天也に拍子抜けした。それでも天也が投げてよこしたものは大きく、唯文は落ち着くために深呼吸せざるを得なかった。


「……ってまあ色々あったけど、まさか俺がお前の世界に行くことになるなんて思いもしなかったけどな!」

「というか、何がどうなったら天也がこっちに呼ばれるんだよ……」

「まあ、秘密?」

「おい」

 天也の返しにイラっとしたのか、唯文は耳をぴくっと動かす。眉間にもしわを寄せ、何処か威嚇する犬を思わせる。

(――なんて俺が言ったら、こいつ確実に不機嫌になるよな)

 天也は肩を竦めて「ごめんごめん」と謝った。

 しかしそれが本気ように見えなかった唯文は、仕方がないと軽く息をつく。それから気を取り直し、ソディールにやって来て明日帰らなければならない親友をじっと見詰めた。

 日本の高校で出会い、共に過ごして一度は別れを告げた。二度と会えないと覚悟した上で。天也が自分のことを忘れることを覚悟した上で。

 それなのに、天也は唯文のことを覚えていた。だからこそソディールへの道が繋がって、再び会うことが出来た。それを嬉しく思っているなんて、恥ずかしくて口が裂けても言えないが。

(まあ、バレてる気もするけどな)

 目の前に座る天也は、何故かニヤついている。いらっとするが、同時に懐かしくて泣きたくもなる。

「……また会おう、天也」

「勿論、唯文。それまで、俺のこと忘れんなよ?」

「こんな奴のこと忘れるとか、記憶力なさ過ぎるだろ。大丈夫だ」

 少しだけ、涙声になったのは秘密だ。天也も同じだから、どちらも他には洩らさない。

 生きる世界が文字通り違う二人であっても、そこに縁が結ばれる。笑いながら泣いて、唯文と天也は一晩中共に過ごした。

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