銀の華の物語―8

唯文―1 憧れの存在

「唯文、剣の鍛錬か?」

「あ、リン団長!」

 ある日の昼下がり、リドアスの中庭で剣を振っていた唯文の元へリンが顔を見せた。不器用ながら喜色を浮かべて頷く唯文を見て、リンは「よし」と自分の剣を取り出す。

「俺も体動かしたかったんだ。手合わせ、願えるか?」

「喜んで!」

 リンに半ば本気の稽古をつけてもらい、唯文はそれに必死で食らいついた。キンキンッという金属音が響き、爽やかな風が吹き抜ける。


 唯文が初めてリンを見たのは、彼がまだ小学生の頃のことだ。四歳上のリンは、既に中学生の年齢だった。

「お父さん」

「おお、唯文。どうした?」

「お母さんが、忘れ物届けてって」

「そうか。ありがとな」

 文里に弁当を届けた帰り道、唯文は偶然見たのだ。中庭で一人、懸命に剣を振るうリンの姿を。

 隣を歩く文里の手を軽く引っ張り、唯文は父親を見上げる。

「あれ、誰……?」

 唯文が何を指差したのかと思った文里は、父親を見詰める息子の目線になるために膝を折った。そして、誰を見ているのかを知って微笑む。

「あれはな、銀の華を束ねる若き団長。リンという名の子だ」

「りん団長……?」

「そう。いつも一生懸命でな、もう少し周囲に甘えても良い年頃なんだが、それすら自分に許していないようだ」

「……かっこいい」

「唯文? ……ふふっ、見惚れてしまったか」

 じっとリンを見続ける唯文を見て、文里は微笑ましく思って目元を緩ませた。

 それから、唯文が銀の華を訪ねることはほとんどなかった。そのために唯文自身もこの出逢いを忘れかけていたのだが、高校生の年齢に達した時に変化があった。

「え? 団長ってソディールの学校に通ってないのか?」

 それは、ある秋の午後。ふとした話題から話は逸れ、唯文は文里から聞いた言葉を繰り返した。

「そうなんだよ。団長の兄貴分の一人は『日本』の出身だし、もう一人も向こうで学校に通ったからな。二人と同じようにしようとしても不思議はない」

「それの二人って、克臣さんとジェイスさんって人?」

「そうそう。二人共良く出来た奴でな、あいつらが団長を支えているから、団長もあれだけ真っ直ぐになったんだろうな」

「……あの団長が、『日本』の学校に」

 その後も文里が色々な話をしたはずなのだが、唯文の耳には届いていない。彼の中では、進路が決定されていた。

「……父さん」

 ドキドキ、と心臓の音がよく聞こえる。緊張よりも期待を籠めたその音に、唯文は背中を押された。

「おれ、日本の高校に行く」

「そうか」

「驚かないのか?」

 自分の一大決心をあっさりと承諾され、唯文は目を丸くする。それに対して文里は、ふっと懐かしそうな顔をした。

「昔、団長を初めて見た時のお前と同じ顔をしていたからな。唯文がリン団長に憧れているのはわかっていたし、彼を追うことで道を踏み外す心配もない。……父さんは応援するよ」

「──ありがとう、父さん」

 ほっと胸を撫で下ろし、唯文は素直に頭を下げた。色々と考えることはあるが、今は本当に許されたことが嬉しかった。


 その後、猛勉強の末に高校受験に合格した唯文。言葉など不安なことは多かったが、天也てんやのような親友にも出逢うことが出来た。

「……でも、こうやってリン団長と一緒に旅したり戦ったりするようになるとは思いませんでした」

 鍛練を一休みし、唯文とリンはベンチに腰を下ろしていた。手元には食堂から持って来た柑橘系のジュースがある。

 唯文は勝手に憧れていただけで、直接リンと言葉を交わしたことはほとんどなかった。それにもかかわらず、いつの間にか関わりが深く変化した。縁とは不思議なものだ、と思う。

 ふと洩らした唯文の独り言に、リンは「そうだな」と応じた。

「確かに俺と唯文は余り話すことはなかったけど、文里さんからは時々話を聞いていたんだ。だから、いつかゆっくり話せれば良いなと思っていたけど……俺も正直驚いてる」

「え……。父さんから何を訊いたんですか!?」

「秘密だ」

 くすっと笑うと、リンはジュースを飲み干した。

「今じゃユキたちも唯文を兄と慕ってるし、俺ももう唯文が近くにいないなんて考え難い。……これからも色々あるかもしれないけど、一緒に乗り越えてくれるか?」

「勿論です。おれこそ、宜しくお願いします!」

 文里が何をリンに言ったのかは気になるが、それ以上にリンが自分を認めて必要としてくれることが嬉しい。唯文は無意識にしっぽを振り、照れ笑いを浮かべた。

「さ、鍛錬の続きやるぞ」

「はい」

 伸びをしてから立ち上がり、リンが剣を手に歩いて行く。どの背を見詰め、唯文はぽつりと呟いた。

「――……団長はおれの憧れで、いつか超えたい目標だ」

 この背を追いかけられる場所にいる、それは唯文の誇りだ。リンを知るにつれ、憧れが募り、追い付きたいという衝動が生まれる。

 刀を持つ手に力を入れた時、何故かリンが唯文を振り返った。そして、ふっと目元を緩ませる。

「俺も、まだ追い付かれるつもりはない。俺にも超えたい目標があるからな」

「おれも、負けません」

「上等だ」

 来いよ、とリンが剣を構える。唯文は頷くと、表情を引き締めて地を踏み締めた。

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