ゼファル ご案内します

 今や観光地となったこの政府機関で、ゼファルは若い頃に別の仕事をしていた。中央議会という名のこの建物で、とある議員の秘書として働いていたのだ。

 その人は珍しい翡翠色の瞳を持ち、たった数年議員を務めて何処かに消えてしまった。田舎に帰るとゼファルに言い、その後の消息は知れない。

 彼との仕事は大変なこともあったが、今のゼファルが中央議会に関係する仕事をしているのは、その過去が楽しいものとして記憶されているからに他ならない。あの頭の切れる青年は、今頃どのように生きているのだろうか。

「……さん、……ふぁるさん? ゼファルさん!」

「――わっ」

 思考を過去に向かわせていたゼファルは、大声で自分の名を呼ばれて我に返った。見れば、中央議会観光案内所の女性スタッフが自分のことを見詰めている。彼女が呼んでいたらしい。

 ゼファルは急いで思考を頭の隅に寄せ、営業用の笑みを浮かべた。

「すみません、ぼおっとしておりました。どうしたのですか?」

「こちらこそ、突然すみませんでした。あの、そろそろお仕事の時間です」

「了解しました。すぐに向かいますね」

 にこりと微笑み頷くと、ゼファルは休憩室の椅子を立った。

 ゼファルは現在、中央議会堂と呼ばれる建物の観光案内員をしている。日に何度か、予約又は当日受付のグループを担当するのだ。

 案内員のほとんどは、ゼファル同様に仕事をリタイアしてから始めた人々だ。誰かと関わる仕事がしたい、中央議会に関わりたい、理由は実に様々だが、ゼファルの場合は後者である。

 ゼファルが受付所に行くと、既に五人の老人グループが彼を待っていた。

「お待たせしましたね。今回、案内を務めさせて頂くゼファルと申します。皆さま、短い時間ですが、宜しくお願いします」

 いつも通りの挨拶を済ませ、見学におけるルールを一通り説明する。大人のグループであればそれ程心配はいらないが、子どもがいる時は細心の注意を払う。子どもは簡単に進入禁止の区域に入ってしまうからだ。

 そう、例えば遠くからやって来た若者のグループ等は突然いなくなってしまうことがあるから。

(……いなくなる? いや、そんなことは今までなかったはずだ)

 ふと沸いた考えに首を傾げ、ゼファルは気を取り直した。

「では、参りましょうか」

 老人たちの歩幅に合わせ、ゼファルは案内を開始した。


「今日はとても勉強になりましたわ。ありがとうございます」

 二時間の観光案内後、一人の老女がゼファルに話しかけてきた。彼女はこの牙城に夫と共に暮らし、今日はその夫と一緒に参加したのだという。

「今まで一度もこの議会堂に入ったことなどありませんでしたから、内心緊張していたのですが。ゼファルさんのお蔭で楽しく学ぶことが出来ました」

「そこまで言って頂けると、私も嬉しいです。ここは若い頃、私が働いた職場でもありましたから、知って頂けるというのは本当に嬉しいことなのですよ」

「まあ、議員さんでいらしたの?」

「いえ。ある議員の秘書をしておりましてね」

 それからロビーの椅子に腰を下ろし、ゼファルは名も知らない老婦人を相手に問われるがままに己の若い頃の話をしていた。翡翠色の青年との忙しくも充実した毎日は、今のゼファルからしても羨ましく楽しい日々だったから。

 答えに満足したのか、老婦人は上品に微笑んで目を細めた。

「……本当に、その若い議員さんを気に入っていらしたのね」

「ははっ、そうですね。恥ずかしながら、若気の至りで色々なことを経験しました」

「その行方不明の議員さん、お名前は何とおっしゃるの?」

「名前、ですか」

 そこに来て初めて、ゼファルはくだんの議員の名を一度も口にしていないことに気付く。ゼファルは苦笑し、面影を思い起こして名を声にした。

「彼の名は……『タオ』と私は呼んでおりました」

「そう。彼にまた、会えると良いわね」

「はい」

 ゼファルが頷いた時、土産物を見ていた老婦人の夫が妻を呼ぶ声が聞こえた。そちらを見ると、彼は大きな紙袋を手に持っている。

 議会堂の名物、議員饅頭は甘過ぎない餡が人気だ。密かに議員たちの間でも好まれ、お茶菓子としても重宝されている。

 老婦人は夫に手を振り返すと、ゼファルに向かって軽く頭を下げた。

「そろそろ行かなくては。楽しい時間をどうもありがとう」

「こちらこそ、楽しかったです。どうぞ、お元気で」

「ありがとう。……あ、そうだわ」

「?」

 ゼファルが首を傾げると、老婦人はニコニコと笑みを浮かべて「ここだけの話よ」と内緒話を教えてくれた。

「あの人もね、人を探しているの。探していると言っては言い過ぎだけど、以前町中で出会った少年たちが元気か知りたいのだそうよ。……本人は、いつどこで出会ったのか忘れてしまったと悔やんでいるんだけどね」

 あなたと近いでしょう。と老婦人は笑う。

「……さて、戻らないと」

 老夫婦を見送り、ゼファルは息をついた。こんなに誰かと長時間話したのは久し振りだ。それこそ、妻を亡くしてからは仕事以外で話すことも少ない。

 ゼファルは腰を伸ばすと、ゆっくりと議会堂内を歩き始めた。

 基本的に、案内の仕事がある時以外は自由に過ごすことが認められている。だからゼファルは、時折こうやって昔の面影を探すのだ。

「おや。ゼファルさんではないですか」

「タオジ首相、こんにちは」

 偶然廊下で出会ったのは、この竜化国の首相であるタオジだ。ゼファルが驚き挨拶すると、彼は柔和な笑みを浮かべる。

「お仕事、ご苦労様です。皆さま、楽しんで下さったようですね」

「ええ。私の仕事であり趣味でもありますから、ああやって喜んで頂けることは本望ですよ」

 タオジはゼファルよりも十歳以上年上だ。にもかかわらず、年下の者にも気さくに話しかける。

 一時期無能首相と揶揄されていたのと同一人物だとは思えない程、最近のタオジは切れ者として皆に敬われていた。

「では、またお話しましょう」

「ええ、是非」

 短い挨拶を交わし、二人はすれ違う。

 歩きながらこの後の予定を思い返していたゼファルは、気付かなかった。タオジが振り返り、そっと目元を和ませたことに。

「さあ、夕方も頑張ろう」

 仕事はリタイアしたが、自分もまだ役立てる。ゼファルは己を奮い起こし、ゆっくりとした足取りで歩いて行った。


 ―――――

 次回は銀の華の物語です。

 ❀唯文

 ❀春直

 二人のお話を予定しております。お楽しみに。

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