ヴェルド たった独りの戦い

 二つの魂を体に宿し、その一方の暴走によって意識を失ったヴェルド。

 その状態は年をまたいでも続き、養子であるアルシナとジュングを心配させていた。しかし目覚めることはなく、竜人だからこそ眠りが深いのだろうと察せられている。

 ェルドは夢に落ち、しばらく時間が経っていた。その中で、彼は自分が気を失う前の出来事を再び経験することになる。


 ――竜化国政府軍からの直接攻撃を受け、竜人の里は壊滅の危機に瀕していた。

 遠くの安全圏から雨のように降り注ぐ矢は、竜人の力を警戒しての遠距離攻撃だろうか。お蔭で、里の人々を逃がすことは出来た。

 生き残った竜人で唯一力を使えるヴェルドは、炎をまき散らしながら背後で硬直しているアルシナに叫ぶ。

「お前は先に逃げろ! そして、ジュングを助け出せ」

「だけど、義父さん。私……」

 震えて足を動かすこともままならないアルシナに、ヴェルドは残酷だとわかっていてもここからどうにかして逃がしたいと思考をフル回転させる。そして、幼い頃から彼女が『外の世界』に憧れていたことを思い出す。

「不安なら、海を渡れ。お前が夢見た外に助けを求めろ!」

「海……っ、はい!」

 どうやって海を渡るのか、その方法まで教える時間はない。しかしアルシナは思い当たるものがあったのか、踵を返して駆け出した。彼女の向かう方向に、政府軍の気配はない。逃げ切ることは出来るはずだ。

「必ず、生き延びろよ。アルシナ」

 周囲を見渡せば、投擲とうてきされた岩に潰された家や矢の突き刺さった家々が並ぶ。そこに人はいないが、彼らが戻ることが出来るまでにはどれくらいかかるだろうか。

「――ふっ」

 短く息を吐き、ヴェルドは敵がいるであろう方向を睨みつけた。

 たった独りのヴェルドに対し、何を警戒しているのか配されている軍人、兵士の数は知れない。数十数百人と考えられる。

(全く……期待されているらしいな)

 恐れを通り越し、最早笑える。小さく嗤ったヴェルドは、己の中に呼び掛けた。

 ヴェルドの中に眠る力は、最大限使えば彼の人格を破壊しかねない。それほどまでに、操れない程に力は強過ぎた。

「すまないな。アルシナ、ジュング。……生きて戻ったら、わしを

 グンッとヴェルドの中で魔力の値が上昇する。それを計ることの出来る計測器があるとするならば、一瞬で振り切れ壊れただろう。

 ヴェルドの体は深紅の炎に包まれ、獣のような咆哮が響き渡る。飛び出した火の粉は家々に燃え移り、勢いを増していく。

 炎は燃え上がり、遠くで里の様子を見ていた兵士をぎょっとさせた。彼が上官に報告をするために体の向きを変えた直後。

「――見付けた」

 男の声が、兵士の耳に届く。途端、彼の体は炎に包まれた。悲鳴をも呑み込み、火は兵士の様子を見に来た同僚をも巻き込む。

 火は手を伸ばし、本陣を襲った。兵士たちは逃げ惑い、助けを乞う。それでも無慈悲な炎は一帯を包み込み、全ては灰塵に帰した。

「何だ、あれは……バケモノだ」

 唯一生き残った一人の男は、本陣の一番奥にいた。這う這うの体で森の中へと逃げ込み、命を取り留めたのだ。

 ものの焼けるにおいが鼻を刺し、火の粉と灰が降りしきる中を走る。ただ、助けを求めて。

「ニガシ、たか」

 炎に包まれたヴェルドは、その真っ白の歯を見せて嗤った。哄笑し、手当たり次第に燃やし尽くす。

 そこには既に、アルシナたちを育てたヴェルドの面影はない。

「モエろ、もえ、ロ……」

 ヴェルドの頬を伝う涙は、落ちる前に蒸発してしまう。彼の目が翡翠色に爛々と輝き、口からは竜の激昂が漏れる。

 里を焼き尽くして余りある炎は天へとその体を伸ばし、竜を形作っていた。


「また、汗かいてる」

 玉のような汗をかき呻くヴェルドの額に、冷たいタオルが乗せられた。傍には水をたっぷりと汲んだたらいが置かれ、もう一枚のタオルも置かれている。

 ガチャリ、とアルシナの背後の扉が開かれる。彼女が振り返れば、ジュングが心配そうな顔をして部屋に入って来た。

「姉さん、義父さんの様子はどう?」

「ジュング。相変わらずだよ」

「そっか」

 ヴェルドの眠るベッドの横に腰を下ろす姉の傍に椅子を持って来て、ジュングもそこに座る。そして、アルシナにコップを一つ手渡す。入っているのは温かい緑茶だ。

「この前、銀の華の連中から送られて来た。克臣が『おいしいから飲んでみろ』ってさ。試しに入れてみたんだ」

「ありがと、ジュング」

 笑みを零してコップの緑茶を一口飲んだアルシナは、その初めての味に目を見張る。少し渋いが、とてもおいしい。

「これ、おいしい」

「ちょっと、僕には渋いな……。けど悪くない」

 そんな憎まれ口をたたきつつも、ジュングは緑茶を飲み干した。

 素直ではない弟の態度に、アルシナは柔らかく微笑むだけだ。そして、苦しげに眠る義父の熱を持った手を握った。

「義父さん、私たちの里はもう大丈夫。それに、私たちもね。だから……もう目を覚ましてよ」

「義父さん。……僕に力の使い方を教えてよ。剣も、独学じゃ限界があるんだよ、義父さん」

「ジュング……」

 アルシナの隣で身を乗り出し、ジュングは姉の手の上から自分の手を重ねた。彼の手が震えているのを感じて、アルシナは弟に肩を預ける。

 するとジュングは一気に赤面し、あわあわと挙動不審になってしまう。

「ちょっ、姉さん!?」

「大丈夫だよ、ジュング。……義父さん、きっと怖いだけだと思うから」

?」

「そう、怖いだけなの」

 首を傾げるジュングに、アルシナは頷いた。

「義父さんは、自分で里を焼いたから。私たちみんなに顔向け出来ないって思ってるんじゃないかな」

「そんなことっ」

「うん、ないよね。……だから、私たちが時間をかけて伝えて行こう? 『大丈夫だよ』って」

「――わかった」

 姉弟の温かな手に包まれ、ヴェルドの表情が和らいだ。


 ―――――

 次回はタオジのお話です。

 お楽しみに。

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