ジュング 素直になれない

 目の前で、姉・アルシナが楽しそうに手紙を書いている。鼻歌まで歌って、機嫌が良い。

「姉さん、何してるの?」

 わかり切っているが、ジュングは問わずにはいられない。その答えが自分にとって嬉しくないものだとしても。

「えっ」

「いや、驚くことか?」

 硬直してしまったアルシナに、ジュングは頬杖をつきながらため息を漏らしたくなった。顔を赤くして、アルシナは焦っている。

「あの、ね。里長に綺麗な便箋と封筒を貰ったから……」

「貰ったから?」

「……ジェイスに書いてます、はい」

「知ってたけど」

 今度こそ嘆息し、ジュングは椅子から立ち上がった。読みかけの本を閉じ、外に出る。本はきちんと書棚に仕舞った。

 外は明るく、気持ちの良い風が吹いている。ジュングは「よし」と気合を入れると、剣の鍛錬をするために森へと足を踏み入れた。


 森は静かだ。鳥声や獣のにおいを感じるが、集中力を乱す程ではない。

 ジュングは木の枝にくくりつけた縄の端に小さな丸太を結び付け、木刀を手にしてそれを構える。深呼吸を何度かすると、木刀を振り上げる。

「やあっ」

 カンッという音と共に丸太が跳ねる。木刀で叩きつけたそれは、大きく跳ねて勢いよく戻って来た。

「―――いってぇ」

 丸太が額にクリーンヒットし、ジュングは赤くなったそこに手を当てた。触れるとじんじんと痛む。しかしこれでやめる訳にもいかず、ジュングはもう一度木刀を構えた。

 元々、ジュングは剣や刀を使わない。敵と戦う必要などなかったからだ。それでも鍛錬をしようと思い立ったのは、銀の華との出会いが大きく影響している。

 あの時、ジュングは何も出来ずに捕まった。しかし銀の華の連中は、自分の力で竜化国という大きな敵に対抗し、ジュングだけでなく里までも助けてくれたのだ。

 ジュングの中に眠っていた竜人の力は目覚めたが、それだけでは大切な家族を守ることは出来ないのだ。記憶を消すだけでは、同じことを繰り返す。

 だから、ジュングは強くなりたい。身も心も。そのための自主練だ。

「――あいつよりも、絶対強くなってやる!」

 何よりもジュングのモチベーションとなっているのは、アルシナの恋人――ジェイスの存在だ。彼が姉の隣にいることが許せなくて、自分を強くすることで遠ざけようと考えている。

 何百年も傍で姉を守って来たのは、弟である自分と義父のヴェルドだ。その自負がある。

「はっ、やぁっ!」

 丸太を繰り返し打ち付けることで、雑念を消していく。神経が研ぎ澄まされ、丸太にぶつかられる前に躱すことが出来るようになる。

 同じことを繰り返し、繰り返すことで精度が上がる。そして、丸太の軌道が少々変わったくらいでは動じなくなる。

「――はぁ、はぁっ……くそっ」

 数時間後、ジュングは大量の汗をかいていた。顎から滴り落ちるそれを手の甲で拭い、歯を食い縛る。

 肉刺まめが出来ては潰れることを繰り返し、手の皮膚は固くなってきた。それでも再び肉刺が出来て潰れると、汗が染みて痛みを伴う。

「――まだだ。こんなんじゃ、超えられない」

 ジュングの目標は、ジェイスを超えることだ。超えて初めて、彼のことを認められる気がしている。

 そんなことを思う時点で、既に無意識とはいえジェイスを認め始めているのだが、本人は頑なに認めない。大切な姉をたぶらかす奴、という評価のままだ。

「――やあっ!」

 一際大きな気合が放たれ、縄が千切れた。丸太は木刀に叩かれた勢いのまま何処かに飛んで行き、帰って来ない。

 ジュングは何度も肩で息をして呼吸を整えると、踵を返した。

 明日もまた、ここで同じように鍛錬する。剣術の教えを乞う師のいない里では、こうするしかないのだ。

「……負けない」

 肉刺が潰れ、手のひらは血だらけだ。木刀にも血が付着して、模様のようになっている。痛みをおして懸命になるのは、姉を見失わないためだ。

 自分が知らない顔をするアルシナを知って、大きく動揺した自分がいるから。そんな顔をさせたジェイスが嫌いで、遠ざけたくて、超えたいと願う。

 自分が素直ではない自覚はある。しかし、ジェイス相手に素直になるつもりはないのだ。

 ジュングは近くの湧水で手を洗うと、里に戻るために歩き出す。


 すっかり日が暮れた頃、ジュングは自宅へと帰って来た。

「ただいま、姉さん」

「お帰り。ご飯出来てるよ。今日はね、ジュングも好きな炊き込みご飯!」

「おおー、うまそう」

 いそいそと食卓に着こうとしたジュングだったが、キッチンから回り込んで来たアルシナに手首を掴まれる。驚く弟の手を引き、アルシナは彼を居間のソファーに座らせた。

「その前に、手当てしないと」

 そう言ったアルシナは、戸棚から救急箱を取り出して開ける。そこから包帯を取り出した。姉のやろうとしていることを察し、ジュングは躊躇する。

「良いって。ちゃんと洗って来たし」

「そうだけど、せめて箸が持てるように少しだけさせなさい」

「……わかった」

 渋々見せてくれた弟の手のひらを見て、アルシナは痛そうに顔をしかめた。しかしその表情は長くは続かず、手際良く包帯を巻いていく。その際、消毒作用のある薬をぬることも忘れない。

「あんまり保護すると治りが遅くなるって言うけど、今夜だけで良いからそれを巻いておいて。明日の朝になったらかなりましになってるはず」

「わかった。ありがとう、姉さん」

「素直で宜しい」

 微笑んだアルシナは、再びキッチンへと向かった。そして、具だくさんの炊き込みご飯と野菜の肉巻きなどのおかずを食卓に並べる。湯気と共においしそうなにおいが漂い、ジュングは唾を飲み込んだ。

 昼から動き通しだったため、空腹は限界値だ。

「「いただきます」」

 姉弟同時に手を合わせ、食事を開始する。

 本当においしそうに食べるジュングを見守りながら、アルシナは嬉しそうに微笑んでいた。


 ―――――

 次回はヴェルドのお話です。

 お楽しみに。

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