アルシナ─2 幾つもの別れと物語の恋

 また一人、アルシナの手のひらを零れ落ちていく。冷たくなっていく手を握り、アルシナは嗚咽した。

「──どうして」

 どうして、みんな私を置いて逝ってしまうの。


 竜の血を引くアルシナたち竜人の寿命は、長くて千年。一般的な人間よりも、獣人よりも、魔種よりも長い。

 寿命が規格外に長いということは、それだけ多くの永遠の別れを経験することを意味する。人が人として生きていくために、他者との交流は少なからずある。つまり、何人もの命と別れを告げるのだ。


「どうしても、治癒の力を得ることは出来ないの?」

「出来ない。……そんな顔をするな、アルシナ。わしらのように強過ぎる力を持つ者が治癒すれば、相手が生きものとして壊れてしまいかねない」

 ヴェルドは肩を落として悲しそうな顔をするアルシナに、そう言って肩を竦めた。彼自身も、何度も考えては諦めた事柄だ。

「だとしても……こんなに辛いなんて思わなかった」

 ヒースのしわだらけの眠るような顔をじっと見て、アルシナはぽつんと呟いた。

「里長は、ずっといると思ってた」

「ヒースは、長く生きた。自分の娘に婿を迎えて、娘を里長として、孫を可愛がっていた。……こんなに長く、わしらの傍にいてくれた者は珍しい」

「わかってた、はずなのにな」

 ヴェルドに頭を撫でられ、アルシナはヒースの体にかけられた布団にそっと触れる。幼い頃から自分を見守り、大人げなく叱られた男は、もうこの世にいない。

 アルシナはヴェルドと共に部屋を出ると、里の人々が余る大部屋へと向かった。

「ジュングは?」

「ヒースの孫たちと一緒だ。まだ受け止め切れていないようだが、じきにわかるだろう」

「そう、だね」

 視界がにじむ。自分たち竜人と人間との差を突き付けられ、アルシナは自分が何故長命なのかと自問するしかない。

 答えの出ない問いは、いつしか彼女の心を蝕むようになっていく。


 何度も世代交代を繰り返し、里の人々の顔ぶれは変わる。それでも変わらないのが、竜人への気安さだ。

「アルシナ」

「里長、おはようございます」

「おはよう、よく眠れたかい?」

 そう言って微笑むのは、ヒースの子孫にあたる女性、ニーザだ。

 ニーザは既に八十歳を超えているが、年齢を疑われるほどにかくしゃくとして毎日畑仕事に精を出している。年齢では上だが見た目は孫と同世代のアルシナとジュングを可愛がり、目をかけていた。

 そこへ、欠伸をしながら家を出て来たジュングが加わる。

「姉さん、里長、おはようございます」

「おはよう、ジュング」

「おはよう。今日は何処に行くつもりだい?」

 ニーザに尋ねられ、ジュングは頭を掻きながら答えた。

「義父さんが稽古をつけてくれるって言うから、それに行くんだ。それから、罠に獲物がかかってないかも見て来るよ。……姉さんは?」

「私? 畑仕事を手伝って、それから読みかけの本を読もうと思ってるよ」

「昔っから、本当に好きだよな……。僕には無理」

 じっとしていることが得意ではないジュングは肩を竦め、行ってきますと挨拶をして走って行った。

 弟の後ろ姿を見送り、アルシナは作業用の道具が仕舞われている倉庫へと向かった。それは彼女がこの里で生まれ働くようになってから、ずっと同じ場所にある。流石に建て替えは何度も行われているが、何となく変わらない感じがするのだ。

「里長、今日は何します?」

「ああ。春だし、新しい作物でも植えようかね」

「わかりました!」

 鼻歌を歌いながら作業するアルシナの姿を見守りながら、ニーザはふと呟く。

「……この可愛いに、この娘を大切にしてくれる人は現れないもんかね」

 例え竜人という異形の者であったとしても、大切な人の傍で笑っていて欲しい。ニーザはそう願うのだった。


 里には大昔から積み重ねられ、大切に守られてきた書庫がある。何百年も昔の誰かが読み、残したいと願った書物が仕舞われているのだ。

 ニーザより前の里長たちからここに入ることを許されていたアルシナは、思い付くとここに入り浸る。アルシナを探す時、誰もがまずここを覗くほどだ。

「今日は、何を読もう?」

 数百年生きていても、何故かこの書庫の本は読み切れない。アルシナがスピードを無意識に加減しているのか、本が無尽蔵なのかはわからないが。

 兎に角、アルシナは梯子を使って本棚の上部にある一冊を手にした。それほど古くなく、ここ数年の内に新たな蔵書となったものらしい。

「……恋愛小説?」

 表紙には幸せそうに微笑み合う若い男女の姿が描かれ、タイトルも内容の甘さを垣間見せる文字が並ぶ。それほど恋愛小説に手を伸ばして来なかったアルシナだが、興味を引かれてその本を手に梯子に腰掛けた。

 物語は、ある寂れた村に住む異形の本質を持つ少女が、彼女を討伐しに来た狩人の青年と恋に落ちるというものだ。自分と青年の違いに苦悩する少女を、青年が力強い言葉で鼓舞する場面が印象に残る。

「……幸せそう」

 ぽつり、とアルシナは呟いた。

 本は二人が結ばれ、共に町で暮らし始めるところで終わっている。続きはないのかと本のあった周辺を探すが、見付からなかった。

 もう一度梯子の一番下に腰を下ろし、本の表紙を撫でる。幾多の困難を乗り越えて互いを思い遣り恋をする関係に、アルシナは淡い憧れを抱いていた。

(でも……私は竜人だから。この娘のようにはいかない。誰も私を迎えになんか来ない。竜人は、たった三人しか残っていないんだから)

 溢れそうになる涙を懸命に呑み込み、アルシナは努力していつもの顔を作った。まだ目はわずかに赤いが、夜になった今では誰にも気付かれまい。

「すっかり遅くなっちゃった。義父さんもジュングも心配してるだろうな」

 たった二人の家族を思い、アルシナは苦笑いを洩らす。今はまだ、このぬるま湯の中で。


 しかし、アルシナは知らなかった。自分たちが狙われているということに。

 そして知識でしか知らなかった外の世界へ、自分が助けを求めに行くなどと。

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