竜化国編

アルシナー1 何も知らずに

 竜人は、他の種族と決定的に違うところがある。それは、圧倒的に長い寿命だと言えよう。

 一般的には千年。古来長い者はそれ以上を生きたという記録が残り、人や獣人、魔種であれども竜人には及ばない。

 ただしそれは、彼らがただ漫然と生きて長い時を過ごすという意味ではない。竜人にも喜怒哀楽とそれ以外の感情はあり、様々な人生を生きていく。


「ねえちゃん」

 弟・ジュングに呼ばれ、アルシナは顔を上げた。

 ここは、竜人の末裔が隠れ住む里。たった三人になってしまったが、村人たちに見守られて暮らしている。

 里長の手伝いで畑仕事をしていたアルシナは、くわを動かす手を止めた。

「どうしたの、ジュング?」

「あのね、森の中でどんぐり見付けた! もうすぐたくさんおいしい実が採れるよ」

 ジュングが握っていた手を広げると、五つの丸々としたどんぐりが転がり出た。そのどれもが日の光を浴びてキラキラと輝き、秋の訪れを教えてくれる。

 まだ幼い弟の頭を撫で、アルシナは笑みを浮かべた。

「本当だね。見付けてくれてありがとう、ジュング。義父とうさんや長にも教えてあげて」

「わかった!」

 パタパタと駆けて行くジュングを見送ると、アルシナは再び鍬を振り上げた。


 アルシナがジェイスたちと出逢う、数百年前。竜人の里は本国竜化国とは一線を画し、互いに交流を持たなかった。

 まだ十代のアルシナとジュングもまた、外に広い世界があることを知らない。


「……ふぅ。大きくなぁれ」

「精が出るね、アルシナ」

「里長」

 畑に種を撒き水をあげていたアルシナに、声をかけた人物がいる。当時の里長であるヒースだ。

 代々竜人の里を取りまとめてきた家系に生まれた、今年四十歳になる男である。無精ひげを生やし、着る服にもあまり頓着がない。見た目は長としての貫禄に欠けるが、その人の良さで里の人々の信頼を得ていた。

 昼寝をしていたヒースはくわぁっと大欠伸をすると、木陰に立て掛けていた愛用の鍬を手に取った。その様子に、アルシナはくすくす笑いながら指摘する。

「里長、もう耕す分は終わりましたよ。次は種を撒いて、水をあげるんです」

「おや、そうか。アルシナは仕事が早いなぁ」

「里長が『眠い、後は任せる』って言っていなくなっちゃうからじゃないですか」

「それもそうだな。アルシナの方がてきぱき動いてくれるから、僕は要らないかな?」

「里長がいないと、この里はたち行きません! ずっと元気でいて下さいよ」

「ふふっ。そうだね……」

 鍬をじょうろに持ち替え、ヒースは井戸へと歩いて行く。

 彼の背中を見送り、アルシナはもう一踏ん張りとばかりに伸びをした。


 その日の夜。自宅へ戻ったアルシナは、自分にあてがわれた部屋で古い書物を広げて読みふけっていた。

 集中していたため、背後に誰かが立ったことに気付かない。

「アルシナ」

「きゃあっ!」

 とん、と肩に手を置かれ、アルシナは文字通り飛び上がった。誰かと思い振り返ると、驚いた顔をした義父・ヴェルドが立っていた。

「義父さん……驚かさないでよ!」

「こっちが驚いた。よっぽど集中していたんだな。何を読んでいたんだ?」

「これ。里長に借りた、昔この里を訪れたっていう旅人が置いていった本なんだって」

「ふぅん?」

 興味を持ったのか、ヴェルドが身を乗り出す。

 義父から暖かいお茶を受け取ったアルシナは一口それを飲むと、不用意に手をあてて倒さない場所にコップを避けた。それからページをめくり、目次部分を指でなぞる。

「これにはね、外には里以外に色々な場所があるんだって書いてあるの。聞いたこともない国名とか、地域の名前が出てきて、それぞれのことが書いてあるんだよ」

「別の場所、か」

「義父さん?」

 何か感慨深げに呟くヴェルドに、アルシナは首を捻る。

 いつか、ヴェルドはこの里の外から来たのだとアルシナは聞いたことがある。過去のことを話したがらないが、義父ならば知っているのではないかと期待を持つ。

「ねぇ、義父さんは──」

「わしが世界を回ったのは、遥か昔のことだ。……旅人が残したというこの本に書かれているよりも昔だろう。だから、何の参考にもならんよ」

「そっか。じゃあ、いつか義父さんが見た景色を教えてね」

「……いつか、な」

 おやすみ。ヴェルドはアルシナの頭を軽く撫でると、一言相殺を残して部屋を出て行ってしまった。

「……世界、か」

 アルシナはまだ温かさの残るお茶を飲み干すと、本の表紙を撫でた。古びた本には『未知への旅』というタイトルが付いている。

「私も、いつか出逢えるかな? 未知の世界に」

 この里の中のことならば、何だって知っている。山で何が採れるのか、誰が誰と仲が良いのか。

 しかしアルシナの幼い胸は、外という異世界にわくわくとしていた。いつかを夢見て、寝床に横になる。

「いつか……会えるよね……?」

 重たくなっていく瞼に抗うことなく、アルシナは夢の世界へと旅立った。

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