融─1 最強の好敵手①
その日、
まだ少し、ノイリシア王国を離れると人目が怖い。だからフードは被ったまま、融は隙間から吹き付ける海風のにおいを嗅いでいた。
(この海の向こうに、あいつがいる)
ふと手すりから身を乗り出し、ソディリスラの方向を眺めやる。風を受け、フードが取れてしまった。丁度甲板には誰もおらず、それでも良いかとそのままにしておいた。
ノイリシア王国内でしか顔を合わせたことのない、
乗り込むとは言うが、本当は違う。アラストの町をあげての剣術大会を開くことになったから参加しないか、という誘いを受けたのだ。
「行ってみるかい? 融」
そう言ってリンからの手紙を見せてくれたイリスは、わずかに目を輝かせた融の表情を見逃さなかった。ニヤッと笑ったイリスに薦められるまま、融は今ここにいる。
(ジスターニもクラリスも来ないんだからな。何か、気を遣われた?)
融は一人で行くのもどうかと思い、一度同僚のジスターニとクラリスも誘った。しかし二人共、所用を理由にして断ってきたのだ。
若干、ジスターニが楽しそうに笑ったのが気になったが。
「後十分程で、アラストの港に到着致します。皆さま、長い船旅お疲れ様でした」
不意に、船内アナウンスが流れた。途端に船の中は騒がしくなり、融は再びフードを被って足元に置いていたリュックを背負った。
多くの乗客と同じように船を降り、港に立つ。船が到着する頃に迎えを寄越すとエルハから聞いていたが。融がぐるっと首を巡らせると、こちらに向かって手を振る人影が二つ見えた。
人混みをかき分けて、二人がこちらへやって来る。彼女らが誰かわかり、融は目を見開いた。
「晶穂!? そして……えぇっと?」
「こんにちは、融さん。ぼくはユキだよ」
晶穂と共に来た少年は、どことなくリンに似ている。それを指摘すると、ユキと名乗った少年は大きく頷いた。
「そうそう。ぼくは、団長のリンの弟なんだ。晶穂さんが融さんを迎えに行くって聞いたから、兄さんがぼくを……」
「ユキ、それ言わなくても良いからっ」
「え? あ、ごめんね?」
わずかに頬を染めた晶穂に口を後ろから押さえられ、ユキは悪びれず疑問形で謝る。
二人の掛け合いを見て苦笑し、融は「気にするな」と背の低いユキの頭をぽんっと撫でた。
「どうせ、リンが俺を警戒したんだろう? 別に晶穂を無理矢理ノイリシアに連れ帰ろうなんてことはしないってのに、信用ないな」
融が肩を竦めて見せると、ユキも同じような仕草をした。そして、ちらりと晶穂を見上げる。
「信用してない訳じゃないんだけどなぁ。ただ、兄さんが心配性なだ……むぐっ」
「ご……ごめんなさい、融。ほ、ほら、もう行こう?」
慌ててユキの口を手のひらで塞いだ晶穂が、赤い顔のままで先を促した。彼女の表情を見て、融も思わず吹き出す。
「くはっ。ああ、そうだな」
「むぐーっ」
「あ、ごめんっ」
「はーっ、苦しかった」
口を塞がれたままのユキが不満げに手をバタつかせ、晶穂が手を離す。ようやく呼吸出来るようになり、ユキは大きく深呼吸した。
アラストの町並みは、融にとっては新鮮なものだ。ノイリシア王国と似て非なる雰囲気に、キョロキョロと周囲に目をやりながら歩く。
「あれがお肉屋さんで、揚げたてのコロッケがおいしいんだ。それで、あっちは道場。武術から剣術まで何でも来いっていうところで、唯文兄……あ、友だちの唯文も通ってる」
指を差しながら、融に説明するユキ。融も一生懸命なユキの案内を聴きながら、ふんふんと相槌を打つ。
初対面の人には警戒心丸出しで言葉少ななことの多い融だが、ユキの無邪気さにすっかり気を許していた。そんな二人を、晶穂は後ろから見守っている。
「あ、もうすぐだよ」
明日の剣術大会を前にしてか、アラストの町には装飾がなされていた。ポスターや旗が掲げられ、どことなく浮き足立っている。
そんな町の中を抜け、三人は郊外に出た。小高い丘を駆け上がり、ユキが何かを指差す。彼の隣に立った融の前には、リドアスの建物があった。
リドアスには青々とした蔦が絡まり、いかにもな雰囲気を醸し出す。しかしそれは威圧感よりも、どことなく優しげな空気を持っていた。
「あれが……」
「うん。兄さんたちも、融さんを待ってるよ!」
先に行くね、とユキが走り出す。あっという間に玄関にたどり着くと、こちらを振り返って手を振ってみせる。
「わたしたちも、行こうか?」
「そうだな」
ユキがリドアスの中に入るのと同時に、晶穂が進行方向を指す。融は頷き、彼女に続いた。
「よお、来たな」
「久し振りだね、融」
「はい。宜しくお願いします」
玄関ホールに入ると、ユキに呼ばれたらしいリンたちが融を出迎える。
今晩、融はリドアスに泊まる。全て揃っているから自分が必要な私物だけ持ってこいという言葉に甘えた融だが、確かにこの大所帯ならば何でも揃っていそうだ。
船旅の間に時間は過ぎ、もうすぐ夕方だ。
ちらりと融の手荷物を見たジェイスが、まずは部屋に案内すると言った。
「荷物を置いて、食堂に来ると良い。積もる話もあるだろうし、食事まで時間もあるしね」
「わかりました。ありがとうございます」
融がぺこりと軽く頭を下げると、ユキとはまた違う狼人の少年が進み出て融の服を引いた。ユーギと名乗り、笑みを溢す。
「こっちだよ、ついてきて」
「頼む」
二人がホールから遠ざかるのを見て、リンは「ふう」と息を吐いた。それを見て、晶穂が首を傾げる。
「リン?」
「ああ、いや。……融が無事に着いたとエルハさんに連絡してくる」
誤魔化すようにその場を去ったリンの背を見送り、晶穂は頭の上に疑問符を浮かべていた。彼女がリンの行動の意味を理解していないと気付き、ジェイスと克臣は苦笑し合うのだった。
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