エストラル 見果てぬ夢

 どんな宝物にも勝る力を持つ宝が存在する。そんな夢物語が本当にあるなどと、最初エストラルは信じてなどいなかった。

「そんなものがあれば、とっくの昔に各国が奪い合って戦が起こっておろう。何故、お主がそれを知っておるのか」

「陛下のおっしゃる通りでございます」

 カグロ・ウォンテッドは頭を垂れ、うやうやしく丁寧に言葉を紡ぐ。ほとんどエストラルと年齢が変わらないはずだが、そこには無条件に信じてしまいそうな重厚さがあった。

「こちらをご覧下さい。この世界──ソディール全体の地図でございます」

 傍らにあった大きな紙を開き、カグロは机の上にそれを広げた。丁度王座から見下ろすと、全体をまんべんなく見ることが出来る。

 カグロはエストラルが興味を引かれていることを感じ、意味ありげにもったいつけた仕草で地図の北側を指差した。指差されたのは、ソディリスラ北部。

「この辺りは、昔から『神の庭』と呼ばれております。誰一人として立ち入った者もおらず、長年謎の地として恐れ敬われてきました」

「……朕は、その先に神の住まう地があると学んだ。だから、何者も侵してはならない神聖なる地だと」

「おっしゃる通りでございます。ですが」

 カグロの指が、すすすと動く。神庭かみのにわと呼ばれる地域を通り過ぎ、やがて地図上ですら雲に隠された場所へと移動する。

「この辺りにあるのでございますよ、神々の宝が。伝承のみであるにもかかわらず、その非実在性が明らかにならないのがその証拠です」

「つまり、確かめた者はいないと言うのだな。それでは信用など出来ない相談……」

「ですから、我々が明らかにすれば良いのですよ」

 何度も繰り返してきた応酬に飽き飽きしていたエストラルだったが、カグロが諦めずに食い下がる為に仕方なく聞いてやる。聞く耳を持った主の様子に気を良くして、カグロは身を乗り出す。

「陛下にお願いがございます。探索に優れた兵を一隊お貸し頂きたいのです。彼らと我が兵を用いて、必ずや世界を統べる宝物を手に入れてみせましょう」

「……宝、な」

 エストラルは伸びてきた顎髭を撫で、思案する。

 カグロの言う『世界を統べる宝物』に興味をそそられない、といえは大嘘だ。しかし同時に、計略に乗ることへの危機意識も働く。

 面白いからと手を伸ばし、野望のために金をはたき、泣きを見ないという確証はない。

「……わかった」

 それでも、エストラルは首肯した。他人が見れば、彼の目の焦点が合っていなかったのはわかったはずだ。

 しかし、エストラルはそれを己の意思と思っていた。己で判断し、決定し、行動に移したのだと。

 まさか、カグロの右口端がわずかに引き上がっていた等とは知る由もない。カグロの毒が、いつの間にかエストラルを蝕み始めていた。

「では、本当にあるというのだな? 『神の庭』という秘境が」

「ええ、エストラル陛下。文献に幾つもの記載が見られ、またそうであろうと思われる空間の不可思議な断絶が起こる場所もございます。調べてみる余地は、充分にあるのではないでしょうか」

「面白いかもしれぬな。……全てを手に入れることの出来る宝が本当にあるのならば、このノイリシアが手に入れる」

「では、わたくしは更なる調査を致します」

「頼もう。我が軍の一部も貸し与えよう」

「仰せのままに。感謝の言葉もございません」

 失礼致します。そう深々と礼をして下がったカグロへ、エストラルは頷いて見せる。扉が閉じてカグロが去ると、彼の両肩にドッと疲れが押し寄せた。

 エストラルは王座の背に体をもたれさせ、大きく息を吐く。侍従よって次の来訪者が告げられるまで、彼はその場から微動だにしなかった。


「シックサード」

「父上……お加減がよくないとお聞きしましたが?」

 カグロと共に神庭の探索を始めてから数年後、エストラルは体を壊して臥せっていた。その頃には少年と呼べる年齢を過ぎようとしていたシックサードが、不安げに父親を見下ろす。

「何か、欲しいものなどありませんか? 食べやすいものを言って下されば持って来……」

「……かい」

「何ですか?」

 エストラルの呟きを、シックサードは拾い上げようと耳を父の口元に近付ける。そこに聞こえてきたのは、驚きの言葉だった。

「世界が、欲しい。我が手に全てを収め、統べる世界が」

「父上……」

 シックサードが目を伏せ、膝の上の拳を握り締める。ぼんやりとした視界の端にそれを知りつつも、エストラルは内心首を傾げた。


 それから時を経て、神庭は再び神話の世界から現れることになる。


 ―――――

 次回は、シドニアルのお話です。お楽しみに。


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