ノエラ 幼き姫のわがまま
それは、昼過ぎの平和な外宮に響き渡った。
「ノエラだって、わたしだって、一人で出来るもんッ!」
バサバサバサ……。庭園の泉で羽を休めていた鳥たちが、声の大きさに驚いて一斉に飛び立つ。
鳥以上に驚いていたのは、外宮にいた者たちだ。クラリスはポカンと口を開け、サラは目を瞬かせて固まってしまう。他のメイドや侍従たちも部屋の外に駆けつけていたが、戸を開けて良いものかどうか逡巡せざるを得なかった。
「えっと……? ノエラ姫様、落ち着いて」
「そうですよ、姫様。何もあたしたちは全部否定した訳じゃ……」
「でも、ノエラにはまだ出来ないって言った!」
普段なら、ノエラは自分のことを「わたし」と呼ぶ。それが出来ない程興奮し、ノエラは真っ赤に
なった目で世話係たちを睥睨する。
彼女のの手には、模造剣がある。誕生日祝いに兄イリスから贈られたものであり、ノエラ自身がそれを贈り物に望んだ。
彼女の夢は、現在のところ騎士なのだ。リンたち銀の華との出逢いを経て、剣で戦う者たちのかっこよさに見惚れた。
魔術師に憧れたこともあったが、自分は魔力を持たない人間だからと早々に諦めた。しかし剣は、鍛えれば扱えるようになる。
それを知っているから、ノエラはクラリスに頼んだ。剣の稽古をつけて欲しい、守りたい ものを諦めないために、兄や姉の助けになるために強くなりたいと願った。
しかし、その意思はクラリスによって却下された。そして、今に至る。
何故か意固地になってしまったノエラを持て余し、クラリスは大きなため息をつく。それがノエラを更に刺激するとわかっていたが、それでもよかった。
「ノエラ様、押し問答をしていても仕方ありません。無茶な鍛練は、体を痛めます。成長途中の体が、成長を止めてしまうのです。ですから、ノエラ様はもう少し……」
「もう、待てないもん!」
「姫様!?」
サラが手を伸ばした時には、既にノエラの姿は部屋の中になかった。お気に入りの模造剣と共に、バタバタという足音が遠ざかっていく。
「す、すぐに追わないと!」
「行かなくて良いわ、サラ」
「でもっ」
引き留められても飛び出していきそうなサラに、クラリスは首を横に振った。
「あの方に必要なのは、落ち着く時間。大丈夫、ほら」
「なにが、『ほら』だよ。ノエラ姫様が飛び出していったけど?」
「泣いておられたが、どうかしたのか?」
クラリスにつられてサラが部屋の入口を見ると、
「そうよ。だから、融が従って」
「……何故に」
「あんたなら、姫様も許して下さるからね」
「わかった。適当に時間潰して、戻るようにする」
軽く嘆息し、融はその場を去った。特に躊躇う素振りも見せなかったことにサラが驚くと、クラリスはくすくすと笑う。
「融は、姫様を妹みたいに思ってるから。だけど……ノエラ様はどうだかね」
「どういう、意味ですか?」
「……さあ、アタシたちはアタシたちでやるべきことをしておくよ!」
サラの問いには答えず、クラリスはパンパンッと手を叩いた。
ノエラは一人、外宮を飛び出していた。
とはいえ、行く宛といえば王城くらいしかない。早くも途方に暮れるノエラの背に、聞き慣れた声が届いた。
「ノエラ姫」
「……融、何で」
「姫様を心配している人たちに、姫様に従えって命じられたんですよ」
「クラリスたちに……」
模造剣を抱き締め、ノエラは目を伏せる。勝手に外宮を飛び出したことを既に悔いていた彼女は、次に融の口から飛び出した言葉に耳を疑った。
「じゃ、何処に行きたいですか?」
「……え?」
目を丸くするノエラに、融は不器用な笑みを見せる。膝を折り、幼い姫と同じ目線になった。
「毎日勉強ばかりでは、気が滅入ります。剣の鍛練はノエラ姫様の体を考えて出来ませんが……折角飛び出したんですから。普段行けないところに行ってみたくはありませんか?」
「……いい、の?」
「折角ですし、どうぞ」
融に手を差し伸べられ、ノエラは躊躇する。王女という立場にある自分が、我儘を押し通して他人を振り回して良いのかと。今更ながら、ノエラを
しかし好奇心に負けて、ノエラは融の手を取った。
「融、あのね」
「何なりと」
きゅっと融の指を握り締め、ノエラは行きたい場所を口にした。
体躯がノエラの数倍もある動物が、大きな牙を振り上げた。地球の象に似た生き物が、手すりを挟んだ向こう側にいる。
「おっきい! かっこいい!」
「動物園に行きたかったんですね」
「うん! 次は、向こうに行こ」
目を輝かせ、ノエラは融の袖を引いた。
ここは、ノイリシア王国最大の動物園。自然のままに近い環境で暮らす動物たちを見てほしいというコンセプトで作られ、毎年来園者数は右肩上がりだ。
ノエラも噂では聞いたことがあったものの、身分の都合上気軽に「動物園に行きたい」とは言い出せなかった。しかし今回、機会を得られた。身分を隠し、融とは兄妹という設定で散策する。
次に向かったのは、ふれあい広場だ。子どもの膝に乗る大きさの小動物に触ることの出来るエリアで、子どもたちに大人気である。当然、ノエラも心惹かれて近付いた。
「かわいい!」
すると、ふわふわの体毛に覆われた綿あめのような動物が近付いて来た。スンスンと鼻を動かし、つぶらな瞳でノエラを見上げる。
ノエラが恐々膝をつくと、その上にぴょんっと飛び乗った。ウサギやモルモットに近い生き物で、耳は体長の半分くらいの長さがある。
芝生に正座し、ノエラは綿あめの体を撫でた。気持ちが良いのかうっとりと目を細めるその子に、ノエラも嬉しそうに微笑む。
「お腹空いたね」
「そうですね」
ふれあい広場の後にも幾つかの催し物を見て回り、すっかり機嫌を直したノエラがベンチに座って笑う。時刻は夕刻に差し掛かり、複数の親子連れが出口へと歩いて行く様子が見える。
「……」
ノエラは手を伸ばせば必ず繋いでくれた、融の手を見上げた。彼は警戒の意味も込めてノエラの傍に立っているが、彼の雰囲気から以前感じていた拒否の空気はない。
(晶穂おねえちゃんに会ってから、あのことがあってから、何か柔らかくなった?)
全てを拒絶する空気を纏い、主であるヘクセルにも必要以上の敬意を示さなかった融。しかし、幾つもの出逢いを経て、彼は明らかに変わった。
それは、幼いノエラにも如実にわかる。そして、小さな胸のうちが不思議な気持ちを抱えていることにも、彼女自身が気付いていた。
名を付けることも出来ない何かは、ノエラが融を見上げる度に鈍く痛む。
「……融、そろそろ帰ろう」
「良いんですか?」
「良いの。もう、大丈夫」
膝を折って目線を合わせてくれた融に、ノエラはしっかりと頷く。だから融も詳しく聞くことなく「そうですか」と微笑した。
「―――……っ」
カッとノエラの頬が熱を持った。幼い――七歳になろうかという幼い姫君には、まだ理解し切れない感情だ。
理解出来ずとも、ノエラはそれを受け止めた。そして、きゅっと融の大きな手を握り締めるのだった。
「お帰り、ノエラ」
「……ただいま、姉上。飛び出して、心配かけてごめんなさい!」
ノエラと融が外宮に戻ると、クラリスとサラに加えてヘクセルまでもが迎えた。イリスとエルハも心配していたらしいが、全てをヘクセルに任せたという。
ノエラは頭を下げ、泣き出しそうなのを懸命に我慢した。泣いて喚くだけでは、何も伝わらない。
「自分が何がしたいのかもわかんなくて、したいと思ったことも思うように出来なくて、困らせたい訳じゃなかったの。……でも、たくさん心配させて、ごめんなさい」
「……今日は、楽しかったかしら? ノエラ」
「!」
パッとノエラが顔を上げると、何処か呆れたような、それでいて泣きそうなヘクセルの姿はあった。彼女の後ろにはクラリスとサラがいる。
「融のお蔭で、楽しかったです。だから、もう大丈夫」
「あなたが年相応以上に背伸びしていることは知っているわ。わたくしもそうだったし、兄上やエルハもね。でも、それだけじゃいけないことも知っているの」
ヘクセルはノエラの体を抱き寄せ、小さな背を撫でた。
「立場上、なかなか自由は利かないわ。でも、時にはわがままも必要。わたくしやクラリスたちが相手の時は、言いたいことを言いなさい。……エルハをこの国に帰らせるためにあなたを利用した、わたくしの責任もあるのだから」
「あねうえ……」
ありがとう、とノエラは呟いた。そして、姉の胸の中で大声を上げて涙を流す。ごめんなさいを連呼して、何度も決意を新たにした。
その後、ノエラはクラリスとサラ、そして驚かせてしまった使用人たちに謝った。誰もが許してくれ、ノエラはほっと息をつくことになる。
十代になり、ノエラは自らの想いを自覚することになるのだが。それは、まだまだ先のお話。
―――――
次回は、ノイリシア王国の王・シックサードのお話です。
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