エルハ─3 気の休まるひと

 ノイリシア王国に戻って一年。エルハは兄のイリスについて回り、様々なことを頭に叩き込んでいた。

「……で、この国との関係性は」

「そうそう。で、外交上……。後は貿易……」

「ソディール上に国家は少ないけど、これだけの項目を裁くなんて……イリス殿下は流石ですね」

「ふふ。でも私も覚えるのには苦労したから。エルハも時間をかけて覚えれば良い」

「はい」

 職務上、イリスはエルハの上官であり王太子である。兄弟であることは公にしているが、エルハが特別扱いを遠慮したため、彼は兄を『殿下』と呼んでいる。

 臣下の中には、ある意味新参者のエルハを疑問視する者もあった。しかし二人の努力のためか、その声は日に日に小さくなっていた。

 今も、二人の姿は王太子の執務室にある。イリスの書類整理を手伝うエルハは、その多岐に渡る諸事情と執務に頭痛を覚えていた。

 銀の華にいた頃は、日本で情報収集の傍らで雑貨店経営をしていた。商品の納品や納金、各種締め切りに追われることはあったが、ここまで頭を悩ませることはなかったように思う。

「……さて、午前中はこんなものかな」

 トントンと書類の束を整え、イリスが微笑む。傍には量が半分程に減ったインク瓶と柄にもインクの付いたペンが置かれている。芯にインクを入れて使う代物だが、イリスは毎日二回はインクを入れ換えていた。

「……ふぅ」

「お疲れ様、エルハルト」

 思わず息をつくエルハに、イリスは弟の真名を呼んでねぎらった。

 兄の言葉に礼を言うと、エルハは早々と片付け始める。机に広げられた書類は少ないが、ファイルなどは片付けておかないとイリスが更に仕事をするのだ。

 以前イリスが昼食を摂り忘れたことがあり、エルハは気を付けるようになった。そんな弟の表情を見て、イリスは微笑む。

「今日もありがとう。午後からは、ゆっくりしておいで」

「はい。すみません、午後もお手伝いが出来なくて」

「構わない。私も明日は仕事を早く切り上げて、ノエラに会いに行くつもりだから。後はエルハに頼むし」

「ふふっ、承知しました」

 まだ伴侶のいないイリスは、末の妹を可愛がっている。あまりしつこくても嫌われるため節度は守っているが、溺愛に近い。

 エルハも妹は可愛いが、今日は別の大切な人と会う日なのだ。

「では、行ってきます」

「行ってらっしゃい。気を付けてな」

「はい」

 片付けを終え、エルハは執務室の戸を開けた。彼と入れ替わりで、メイドの一人がイリスに昼食の時間を告げる。彼女の声を聞きながら、エルハは王城の外へ向かい歩き出した。


「エルハ!」

「やあ、サラ」

 王都にある広場の噴水の前。伊達眼鏡をかけて本を読んでいたエルハは、明るい声を耳にして顔を上げた。

 パッとエルハの腕に抱き付いたのは、ノエラについて世話係をしている恋人のサラだった。猫人のサラの耳がピクピクと動き、エルハの頬をくすぐる。黒いしっぽが嬉しげに揺れた。

「今日、とっても楽しみにしてたよ」

「僕もだ。さ、行こうか」

「うんっ」

 にこりと笑い、サラはエルハに寄り添う。二人はくすぐったそうに笑い合うと、久し振りのデートを開始した。

「お昼は?」

「ノエラ姫と一緒に軽く。だけど、デザートならまだ入るかな」

「じゃあ、カフェに行こう。僕は食べずに来ちゃったから、軽食が食べたい」

「ギリギリまで仕事してたんだね。お疲れ様。……じゃあ、この間とおるに教えてもらったカフェに行こう! 男の人も満足するメニューがあるって」

「融、意外とそういうの好きなんだ」

 いつも真面目な顔で剣を振る青年の姿を思い出し、エルハは目を丸くした。するとサラも「そうでしょ」と微笑み、種明かしをする。

「お城の衛兵の知り合いにカフェ巡りが趣味の人がいて、その人に連れて行ってもらったんだって。だから、きっと間違いないよ」

「楽しみだな」

 サラの案内でカフェを探すと、観葉植物がたくさん置かれた緑豊かな店舗を見付けた。スタッフに導かれて店内に入ると、天井からも植物が釣り下がっていた。

 スタッフからメニュー表を受け取り、二人して目を通す。

「このハンバーグ定食、美味しそうだな。店内の雰囲気通り野菜たっぷりだし……うん、僕はこれにするよ」

「じゃああたしは、こっちのベリアパフェにしよ。甘酸っぱくて大好き」

 満面の笑みでスタッフを呼び、サラは注文を終える。その楽しげな顔を見ながら、エルハは無料の冷水を飲み干した。


「美味しかったぁ。お代、払ってくれてありがとう。次はあたしの番だからね」

「わかった。でも、気にしなくて良いんだけど」

「だとしても、だよ。あたしもエルハに喜んで欲しいの」

 店手作りのソースたっぷりハンバーグ定食とホイップクリームたっぷりのパフェをそれぞれ食べ終えたエルハとサラは、次の目的地に向かいながらそんなことを言い合った。エルハは遠慮したが、サラが譲らず次のデートでランチ代を払うことで決着する。

「次行くところ、エルハも楽しみにしてたよね」

「ああ。王立植物園なんて、久し振りだな」

 二人が向かうのは、ノイリシア王国が運営する植物園だ。国中で自生する植物や、品種改良された新しい植物を見ることが出来る。今日のような穏やかな日和には、もってこいの場所だ。

 今回は、植物園で催されている花祭りを見るために向かう。巨大な花時計や背の高い植物で作られた迷路等、工夫の凝らされた展示品があるのだとか。

 植物園内には芝生の広場もあり、そこは親子連れがよくボール遊びをしている。のんびり過ごすのにも良いところだ。

 入口でチケットを貰い、二人は植物園へと入り込む。昼過ぎということもあり、園内は来園者の増える時間帯だった。

 廃ってすぐにある花の回廊に入ると、別世界に来たような感覚に陥った。エルハが隣を見ると、サラは息を呑んで垂れ下がる紫の花を見詰めている。

「……」

「……っ。綺麗だね、エルハ」

「うん」

 我に返ったサラが、照れ隠しに微笑む。そんな彼女が愛しくて、エルハはサラの指に自分のそれを絡めた。

「エルハっ」

「ふふ。行こうか、サラ」

 エルハがぐっと手を引くと、サラも小さく笑い声を上げて駆け出す。幸い、前に人だかりはない。

 花回廊を通り抜けると、芝生の広場に出る。そこには大きな色とりどりの花時計が作られ、時刻を正確に刻んでいた。

 ピクニックシートが幾つも広げられ、家族連れの賑やかな声がこだまする。

「エルハ、迷路に行ってからもう一度ここに来よう? 花時計見ながら、エルハと話したい」

「勿論。行こうか」

 二人は一度その場を離れ、植物園の奥にある巨大迷路へと足を向けた。


 迷路を抜けて広場に戻ってくると、人の数がまばらになっていた。意外と時間と手間を取り、夕刻に差し掛かっていたのだ。

「今日、とっても楽しかった。ありがとう、エルハ」

 花時計が真正面に見えるベンチに腰掛け、サラが隣のエルハを見上げる。片時も離さなかった彼の手を握り直し、温度を確かめる。

 明日は、また会えない日々が続く。互いに忙しく、働く場所も違うために会える機会は以前より減ってしまった。

 それでも互いに心を砕き、相手の気持ちを慮る。それが、水鏡による連絡や短い夜の逢瀬に繋がる。

「僕も、きみと過ごせて楽しかった。……また来よう。今度は別の季節に」

「うん」

 自然と視線が交わり、どちらかともなく目を閉じた。触れた温かさは、耐え難いほどの甘美な誘いをかけてくる。

 指を絡め、エルハの片手がサラの髪をすく。不意に耳にエルハの指が触れ、サラはぴくりと身を震わせた。

「エル、ハ……」

「また今度ね、サラ」

 唇が離れると、エルハの胸にサラがしだれ掛かる。互いの熱を感じながら、二人は暫し、夕闇を包む風にあたっていた。


 幼い頃に母を喪い、立場を放り出して家族も一時は失った。それでも生きてこられたのは、サラというエルハにとっての光があったからだろう。

(それだけじゃ、ないな)

 そもそも身元不明の自分を受け入れてくれたリンたち銀の華の面々、そして遡れば、日本刀の扱いを教えてくれた師匠、静かに見守ってくれた父や兄姉たちがいたからだ。最近になって、エルハにはようやくそれが理解出来るようになってきた。

「もう一度、始めないとな」

 故郷に戻り、再び自分と向き合う。その苦難の道のりを、エルハは今歩き始めた。

 独りではない、それを知っているエルハならばきっと大丈夫だ。


 ─────

 次回はノイリシア王国編をお送りします。

 登場予定キャラクター

 ❀イリス・ノイリシア

 ❀ヘクセル・ノイリシア

 ❀ノエラ・ノイリシア

 ❀シックサード・ノイリシア

 ❀エストラル・ノイリシア

 ❀シドニアル・ノイリシア

 ❀ネクロ・ウォンテッド

 ❀ゴウガ

 ❀アゼル・ドルトーサ

 ❀ゴーウィン・ウォンテッド

 ❀はるか

 ❀イズナ

 ❀アスタール・ジルフォニア

 ❀ジスターニ・アドフォルト

 ❀クラリス・エーバンド

 ❀とおる

 ❀武藤義尚たけふじよしなお


 お楽しみに。(過去最大数のキャラクターかも知れませんね)





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