エルハ─2 師事
生母を亡くし、エルハルトは更に王子という立場を重荷に感じるようになった。兄であるイリスが王子として、人として成長するのを横目に、己の小ささと弱さを自覚していたことも影を落とす。
やがてエルハルトは、自ら家族である王族や臣下たちとの間に距離を作るようになる。幼い子どものやることと、周囲は呆れ半分で見守っていた。
しかし反抗的態度が目に余るようになると、父はエルハルトに対して軟禁を命じた。
「今日から、ここがぼくの居場所になるのか……」
イリスに伴われて王城の自室を出たエルハルトは、馴染みすぎたにおいを吸い込んだ。
「そうだ、エルハルト。軟禁とはいえ、ここを出ることを禁じられたわけじゃない。私も様子を見に来るから、また書物の話をしよう」
「はい。楽しみです、イリス兄上」
そう言って微笑むエルハルトに、イリスは痛みを堪えるような表情を見せた。
イリスには、エルハルトの屈折した思いが何となく理解出来た。本人ではないのだから全てを、とは言えない。それでも思い通りにならない現実と己の無力さを抱え込んで暴れまわりたい気持ちは、イリス自身が圧し殺したものでもあった。
「兄上……?」
「──あ、ごめん。じゃあ、政務があるから失礼するよ。何でも、書庫長に話しなさい」
「わかりました」
頷く弟の頭を撫で、イリスは図書館を立ち去った。後に残されたエルハルトは、ふっと肩の力を抜く。それから、胸の内で「ごめんなさい」と呟いた。
(これは、ぼくのせいだから。兄上が責を負う必要はないんです)
伏せた目元が震えたのは、気のせいではないだろう。
は、と吸った息を吐く。気持ちを切り換え、エルハルトはぐるっと図書館を見回した。
これから軟禁が解かれるまでの間、エルハルトは公務に出ることは出来ない。つまり、有限ではあるが読書の時間を得られたことになる。もしかしたら王は、それをエルハルトが喜ぶと見越していたのかもしれないが。
「今日は、何処から読もうかな」
今まで以上に、楽しみに時間を費やすことが出来る。寂しさを差し引いても、エルハルトにとっては嬉しいことだった。
軟禁状態に置かれてひと月。エルハルトは、徐々に外にも目を向けるようになっていた。
全ての本が全く違う世界観を持つとはいえ、それが少年にどれ程耐えられるかという話になる。結果、エルハルトは少し飽いてしまった。
「今日は、城下に下りてみよう。この時期は、何が見られるかな?」
室内に籠っていた白い肌に日の光は容赦ないが、エルハルトは見張りの兵に行き先を告げて城の外に出た。
後ろから護衛がついて来ているのを感じて、エルハルトは知らぬふりをしたまま歩く。イリスが心配してつけてくれている護衛の誰か、それがわかっていれば良い。
城下町の賑わいを抜け、人通りの少ない川縁へと近付く。何度かその川へは行ったことがあったが、いつもは誰もいない。
しかし、今日は先客がいた。
「誰だ、あれ……?」
堤防の上から見下ろす形になったが、エルハルトの目は一人の男へと注がれる。
ヒュンヒュンと空気を断つような剣筋に、少年は見惚れた。縦に、横に、斜めに。躍るかのように軽やかな身のこなしを見せる男は、決して若くは見えなかった。
(少なくとも、兄上よりは年かさだ。でも、あれだけ動けるって凄いな)
素直な感動を覚えて見つめていると、不意に男が動きを止めた。そして、エルハルトの方を見上げる。
「何か用かな、少年?」
「えっ……と」
エルハルトはびくりと体を震わせ、視線を彷徨わせる。まさか向こうから話しかけられるなどと思いもしなかったのだ。
パクパクと口を開いては閉じ、それを何度か繰り返す。男は何も言わず、ただエルハルトが声を発するのを待っていた。
ごくんと唾を飲み込み、エルハルトは勇気を振り絞った。
「……あなたは、ここで何をしているんですか? こんな、誰もいない場所で」
「私は、ここで剣術の稽古をしている。旅の途中だが、おあつらえ向きに河原を見付けたのでね。……きみは?」
「ぼ、ぼくは……散歩に来たんです。あの、近くで見ても?」
「見せられるようなものではないが、それでも良ければ」
「ありがとうございます!」
ぱっと顔を明るくしたエルハルトは、石の階段を使うのももどかしくて堤防の坂を滑り降りた。そんな少年を待ち、男は手にしていた剣を構えた。
後で知ったが、男の持つそれは剣ではない。日本刀だ。
片刃の剣を構えた男は、それを素早く振った。木の葉が舞い、真っ二つになる。
次の瞬間には、剣は男の腰の鞘に戻されていた。
「……っ」
息を呑み、エルハルトは目を見張る。何故なら、男の動きは一瞬だったから。
いつ木の葉を斬ったのか、見えなかったからだ。
「っ、あのっ!」
この瞬間、エルハルトは心に決めた。空っぽだった心に、一筋の光が射す。
「ぼくを、弟子にしてください!」
「……弟子、か。お前の名は?」
「エルハルト。エルハルト・ノイリシア」
少年の名前を聞いて、男は目を見開いた。ノイリシアとは、この国の名だ。
「お前、この国の王子か。そんな高貴な御子様が、私のような何処の馬の骨ともわからぬ家からにかかわっても良いことなどありますまい」
首を左右に振られたが、エルハルトは諦めない。つい、本心が転がり出る。
「ぼくは、王子としての自分に全く自信がありません。だから反抗して……兄上たちに迷惑をかけっぱなしです。いつか、いつか自分がこの国に必要な人間なんだと思えるように、何か身に付けたい。きっと、ぼくはまだ迷うけど、でも」
「相わかった。引き受けよう」
皆まで聞くことなく、男は首肯した。
思いもしなかった反応に、エルハルトは思わず自分の耳を疑った。
「本当に……」
「武士に二言はない」
からり、と初めて男が笑った。そして、武骨な手をエルハルトへと差し出す。
「我が名は
「はいっ」
これが、エルハルトが刀剣の師である義尚と出会った瞬間だった。
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