レオラ お宅訪問

 街の雑踏の中、パーカーに付いたフードを目深に被ってぼやっと立っている一人の青年がいた。空き家となったその店舗の軒先に陣取り、往来する人々を何の気なしに見詰めている。

「今日も特になし、か。ま、こんなもんだろ」

 朝から昼前までそこにいて、若干の不審の目を向けられたきらいはあるが。青年は肩を竦めると、空腹を抱えて歩き出す。

 フードを脱げば、人目を惹く白銀の姿と端整な顔立ちが覗く。しかしそれは彼─レオラ─が欲するところではないのだ。

 やがて市場を抜け、広場に停まっていた屋台から一つを選ぶ。食事用クレープを買い求め、きちんと代金を支払った。

「まいどあり」

「どうも」

 無精髭の生えた男からクレープを受け取り、少し離れたベンチに腰を下ろす。薄く仄かに甘いクレープ生地と野菜、味をつけて焼いた鶏肉の味を楽しみながら、再び視線を前に向けた。

 広場には、親子連れやカップル、写生に来たらしい青年の姿などが見える。思い思いに過ごす姿は、レオラにとって安堵する景色の一つでもあるのだ。

 心地の良い涼やかな風にフードを持って行かれそうになり、レオラは慌てて縁を掴んだ。

「……危ない危ない。そろそろ移動するか」

 いつの間にか、ベンチに座って一時間が経とうとしていた。レオラは目的地を思い、そっとその場を離れた。


 レオラが足を向けたのは、アラスト郊外にある一軒の屋敷だ。図書館も備えた広い敷地に、春になると蔦が絡む洋館が立っている。

 中庭にそびえ立つ巨木の頭が、屋敷の屋根から覗いていた。

「……何かご用ですか?」

「! ああ、お前か」

 玄関先に立っていたレオラに誰何したのは、銀の華に所属する晶穂だ。買い物帰りなのか、手には買い物袋を下げている。彼女の目が不審そうに細められるのを見て、レオラはフードを脱いだ。

「これで、誰かくらいわかるだろう?」

「……レオラさん?」

「久方振りだな、晶穂」

 目を瞬かせ、晶穂がまじまじとレオラを見詰める。アポも取らずに来たが、神がアポイントメントを取るのも変な話だろう。

 くすりと微笑み、レオラは晶穂の手から袋を取り上げた。

「あ……」

「持ってやる。とはいえ、もうすぐそこだがな」

「ありがとうございます」

 知り合いだと知ってほっとしたのか、晶穂の顔が緩む。彼女の警戒心が薄れたのを見て取り、レオラも目を細めた。

 そこに、ガチャリという戸を開ける音が聞こえる。二人が同時に振り返ると、リンが少し驚いた顔をして顔を出していた。

 リンの姿を認め、晶穂の表情がパッと明るくなる。

「リン、ただいま」

「お帰り、晶穂。もうそろそろ帰ってくる頃かと……何でレオラがいるんだ?」

 若干の警戒心を保持したまま、リンはレオラを見る。攻撃の意思がないということは互いに承知しているが、レオラには彼の威嚇が楽しく映る。

 からかってやろうと思い、自然な動作で隣にいた晶穂の肩を抱いた。

「なに、晶穂との親睦を深めようかと思ってね」

「……寝言は寝てから言え」

「冗談だ。本気で魔力を撃とうとしないでくれ」

 リンの右手に光の魔力が集まっているのを感じ、レオラは肩を竦めて見せた。するとリンが晶穂とレオラの間に入り、更にレオラの手から買い物袋を奪い取る。

「何か用事があるんだろ? 入れよ」

「ああ、お前たちの近況を見に来た」

 玄関ホールに入り、レオラはくるっと全体を見回す。全ての部屋を回らずとも、頭の中には銀の華のメンバーそれぞれが思い思いに過ごしている様が映る。どうやら、皆元気らしい。

「お前たちは相変わらずらしいな」

「まあな。……で、甘音あまねやヴィルさんは元気にしてるのか?」

 食堂に通されたレオラの前に、リンが冷蔵庫で冷えていたという紅茶を出す。それをすすって、レオラは苦笑をにじませた。

「変わらず、元気にしている。クロザたちも甘音の様子を見に来てくれ、遊びや勉強も教えてくれている」

 クロザたち古来種は、以前一度リンたちとは対立した。しかし和解して、今では神の養い子である甘音の世話係を仰せつかっている。

 どちらも楽しそうだから、レオラとしては安堵しているのだ。

「ヴィルとの時間も、一緒に過ごすことも増えた。これで、あいつの機嫌が良いままで行けば良いのだがな」

「そんなこと言いながら、レオラさん嬉しそうに見えますよ」

「……気のせいだ」

 素直ではないレオラはそっぽを向くが、晶穂たちには彼の赤く染まった耳が見えていた。照れているのが丸分かりである。

「……そろそろ時間だ」

 一時間程リンと晶穂相手に話していたレオラは、ふと掛け時計を見て立ち上がった。神というものは自由気ままに見えて、意外と多忙なのである。

 玄関まで見送りに出たリンと晶穂に対し、レオラはじっと目を向けた。彼の透明感のある銀の瞳に、二人の未来が見え隠れする。

(これからも、平坦な道ではないようだな。それでも……二人が一緒なら、仲間と共に歩くのであれば、その困難も乗り越えられよう)

「何だよ?」

「何か付いてますか?」

 レオラに見詰められ、二人は居心地悪そうに顔を見合わせた。そんな表情すら、二人の関係性が透けるようだ。

 くすりと笑い、レオラは「何もない」と首を横に振った。

「また来る。……じゃあな」

「いつでも。俺たちはあなたを歓迎しますから」

「ふん、言うようになったな」

 軽く手を挙げて背を向けたレオラの姿は、瞬時に掻き消えた。


 ─────

 次回は銀の華の物語。

 エルハのお話です。

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