ケルタ─1 プリンを作ろう
優しい橙色の夕陽が沈む中、二人分の元気な声が響く。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日な」
いつもの分かれ道で手を振り、ケルタはリンと別れた。黒のリュックサックが次の曲がり角を曲がって見えなくなると、ケルタはようやく行くべき道を歩き出す。
見慣れた住宅地を歩いていくと、自宅が見えてくる。まだ春も半ばだからか、可憐な花が花壇に咲いていた。
「ただいま」
「お帰りなさい、ケルタ」
台所から顔を出したのは、ケルタの母だ。夕食の支度をしているのか、調味料の香りをまとわせている。
昼間に数時間だけ市場で働いている母は、その仕事の後に買い物をして帰宅する。父は、いつも仕事で夜遅い。
「おやつにプリンがあるけど、食べる?」
「いる! あ、じゃあリュック置いてくるね」
「手も洗ってらっしゃい」
「わかった」
母に見送られ、ケルタは手を洗いうがいをしてから、自室にリュックを置きに行った。勉強机の上に宿題と筆箱だけは出しておき、プリンを食べるために走る。
「……で、おいしかったな、プリン」
「よかったな、ケルタ」
ケルタの楽しそうな話を聞いて、目を細め相槌を打つのはリンだ。
ここは翌日昼休みの教室。ほとんどの子どもたちは外に遊びに行くか校舎内を走り回っており、ケルタたちのように留まるのは一握りだ。
給食を食べ終われば、皆我先にと散っていく。今日は教室で喋りたい気分だ、と言ってケルタはリンを呼び止めたのだ。
リンは銀の華という自警団団長の長男で、いずれは跡継ぎと見られている。そのためかはわからないが、少しクラスメイトからは遠目に見られることが多いのだ。リンも遠慮して、自らクラスメイトと関わろうとはしない。
だから、ケルタはリンを誘う。時折クラスメイトから非難の眼差しで見られるが、知ったことではない。
(リンは、ぼくの大事な友だちだからね)
友だちを独りぼっちにはしない。ずっと一緒にいることは出来ないが、心は寄り添うことが出来るだろう。
心の片隅でそんなことを思いつつ、ケルタは主な思考をプリンに戻した。「そうだ!」と手を叩く。
「土曜日、暇?」
「え? ……うん、午後からなら大丈夫」
「一緒にプリン作ろう! 一緒にやったら、一緒に食べれるだろ?」
我ながら良い考えだ、とケルタは胸を張る。しかしリンはぽかんと口を開け、固まっていた。
「……? リン?」
「俺が、一緒で良いのか? 俺はみんなに遠巻きにされてるし、たぶん、ケルタも──」
「リンは友だちだからね」
リンの言葉を皆まで言わせず、ケルタは言葉を重ねた。きっとリンは「ケルタも仲間外れにされるかもしれない」とでも言いたかったのだろう。
しかし、ケルタはリンにそんなことを言わせたいのではない。まだ小学生であっても、言葉は足らずとも気持ちだけは一人前だ。
「とも、だち」
「そう、友だち。だから、一緒にプリン作ろうよ」
「……ふふっ。お前、本当にプリン好きなんだな!」
「リンと一緒に作るなら、きっと何倍もおいしく出来るからね」
だから、とケルタは右手の小指を立てて見せた。そして、不思議そうに見ているリンの右手を挙げさせる。同じように小指を上げさせ、指切りをした。
「ゆびきりげんまん、ウソついたらはりせんぼんのーます。ゆびきった!」
「ゆびきり」
「そうそう。ほんとに切るんじゃないよ? 約束って意味だから」
「わかった。明日、約束な」
ゆびきりすら友だちとしたことのないらしいリンは、自分の小指を見つめて嬉しそうにはにかんだ。
翌土曜日。昼食を食べたケルタは、そわそわと部屋の中を歩き回って母親に笑われた。
「そんなに慌てなくても、リンくんは時間になったら来てくれるわよ。本当に待ちきれないのね~」
「わかってる!」
カッと顔を赤くして、ケルタはパタパタと自分の部屋へと戻ってしまう。
それから十分後、自宅のインターホンが鳴った。
「こ、こんにちは。リンで……」
「待ってたよ、リン!」
「うわっ!? 突然開けるなよ!」
目の前の扉が勢い良く開き、リンがわずかにのけ反る。文句を言いつつも、リンは照れ笑いを浮かべた。
「ケルタの家、初めて来た」
「うん、上がってよ。台所に全部用意してるからさ。まずは手を洗って……」
「わかったよ」
お邪魔します。そう言って、リンは玄関から部屋に上がると靴を整えた。それからケルタに従って、台所へと向かう。
ケルタの母親へ挨拶を済ませると、二人は腕まくりをしてレシピとにらめっこした。
それから、台所からは楽しげな声が響く。
卵を割って、牛乳を入れて……それだけの作業のはずだが、何故か笑えて仕方がない。ケルタもリンも始終笑顔を絶やすことなく、プリンを冷蔵庫に入れた。
「後は、固まるのを待つだけか……」
「その間に、片付けも済ませよう」
「だね」
普段、ケルタはあまり家の手伝いをしない。しかし、友だちの前でカッコ悪い所など見せられるはずもない。
母が笑顔でこちらを見ているのを気にせず、ケルタはリンと共にボウルやハンドホイッパーを洗剤で洗った。洗うのはリンの役目で、片付けるのはケルタへと役割が分かれていく。
それから、二人はケルタの部屋で宿題を終わらせた。休日はいつもより少し多い量の宿題が出るが、二人でやればすぐに済む。
「そこはこうして……」
「なるほど。じゃあこっちは?」
「それは……ってケルタ、自分でも調べてくれよ」
「教科書なぁ」
基本的に、リンが先生でケルタが生徒役になるのが常だ。
そうこうするうちに時間は過ぎ、ケルタの母が二人を呼ぶ。
「プリン、出来てるわよー!」
「行こうぜ、リン」
「ああ」
二人が台所へ行き冷蔵庫を開けると、バットに乗せられた二人分のプリンが程よく固まっていた。それらを取り出し、それぞれ皿を帽子のように乗せて、せーのでひっくり返す。
「出来た!」
「俺も!」
形は崩れず、後からカラメルソースをかける。とろりと広がるソースが、より食欲を誘った。
スプーンを用意し、向かい合わせで椅子に座る。
「「いただきます!!」」
目を輝かせ、二人は同時にプリンをすくって口に入れた。
「……!」
「……っ」
それから、無言で嬉しそうにスプーンを動かす。初めてのお菓子作りは大成功だった。
「今日は、ありがとう。楽しかった」
「うん、ぼくもだ。またやろう!」
「ああ。……また学校で」
「またね」
玄関の戸が閉まり、リンの足音が遠退いていく。
ケルタは満足感に満たされ、「よし」と気合いを入れた。
そんな息子を見守り、母親は何も言わずに夕食の支度に取り掛かった。
明日は休みだが、明後日の月曜日は学校でリンに会うことが出来る。次は何を話そうか。そんなことを考えながら、ケルタは鼻歌を歌いながら自室に引き上げた。
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