ヒスキ 新しい明日
見上げれば、日の光が燦々と降り注いでいる。まさか、こんな透明な光の下で生きることになるとは思ってもみなかった。
「おい、ヒスキ」
「何ですか、サドワ」
「この看板、ここで良いのか?」
ぼやっと空を見上げていたヒスキが視線を動かすと、キャンバス台のような小型の看板を運んできたサドワが立っていた。地面に置き、それに体を預けてヒスキを見ている。
看板には『人材派遣会社』の文字が書かれていてる。二人の上司にあたるオドアが、新しく作ったら会社の名だ。
オドアは元人買いかつ何でも屋を営んでいた男だ。どんな心境の変化かは知らないが、暗い世界からは足を洗うことにしたらしい。
サドワが看板を置いたのは、丁度大通りから見易い道端だ。そこで構わないだろう。
「良いんじゃないかな。ほら、後は何をすれば良いんです?」
「内装、だな。机とか椅子とか、この前買ったやつがそろそろ届くだろ」
そうこうしている内に、配送業者の男性に声をかけられる。伝票を見て、サインをした。
「ありがとうございましたー!」
野球少年のように帽子を外して頭を下げた男性を見送り、梱包された机と椅子を運ぶ。ちなみに、ヒスキはちゃっかりサドワに机を抱えさせた。
「おい、重いんだが?」
「サドワなら大丈夫ですよ」
「おい」
犬人ではないのに「グルルル」と喉を鳴らすサドワに苦笑し、ヒスキは彼を置いて事務所の中へと進む。
ヒスキが四脚の椅子を運び終えた頃、事務所の奥から一人の男が姿を見せた。相変わらずの痩身で、眼光は鋭い。その鋭さは、以前より落ち着いたが。
「終わったか」
「
「主。ええ、後は荷解きくらいでしょうか」
ヒスキが頷いて荷物を指差すと、主と呼ばれたオドアは困ったように苦笑いを浮かべる。
「……全く、あの坊主の言う通りにするのは癪だが、頃合いだろう」
オドアの言う「あの坊主」とは、銀の華と名乗る自警団の団長を務める若者のことだ。意志と芯の強さを併せ持つ青年は、確かにヒスキたちの生き方を百八十度変えた。
渋面を作るオドアが一番変化している。それを知っているのは、部下である二人の方かもしれない。
ヒスキは椅子の梱包材を解き、
「主、後一時間程で面接ですよ」
「わかっている。……慣れんな」
上手く笑うことも不得手なオドアが、思い切り眉間にしわを寄せた。彼の様子を見て、サドワが腹を抱えて笑い出す。
「ハハッ。百戦錬磨の主も、武器がなけりゃ覇気もねぇのか」
「サドワお前、それが上司に対する態度か」
本気で言っていない証拠に、オドアの目の奥が柔らかく笑っている。ペシンッと頭をはたかれたサドワは見ていなかったかもしれないが、ヒスキはそれに気付いていた。
(こういう景色を見ることになるなんて、ね)
少し前までは、殺伐として命のやり取りすらある場所にいた。空の色など忘れ、ただ目の前の相手をどう攻略するかだけを考えていたのだ。
幸い、ヒスキとサドワは誰かの命を奪ったことはない。奪われかれたことと奪いかけたことはあるが、そのどちらの時も相棒か主のどちらかが割って入った。殺し屋になり下がることだけは、誰もしなかった。
ヒスキはじゃれ合う上司と同僚を見ながら、ふとオドアと初めて出会った頃のことを思い出した。
ヒスキとサドワは同じ地域で幅を利かせる不良集団にそれぞれ属し、日々顔を合わせてはいがみ合っていた。喧嘩は日常であり、それが当たり前だった。
ある日のことだ。いつものように向かい合っていた二つの集団に、一つの影が飛び込んできた。
「!?」
影はヒスキたちに襲い掛かり、ヒスキはその全てを受け流したり弾いたり躱したりして致命傷を防ぎ続けた。
ヒスキが気付くと、相手方のサドワと自分以外の全員が伸びていた。ヒスキはサドワと思わず顔を見合わせ、何が起こったのかと目を瞬かせた。
「残ったのはお前らか。……良い面構えだ」
「ああ? お前、何もんだ?」
チンピラらしくガンを飛ばすサドワだが、彼の息は上がっていた。肩がわかりやすく上下し、短くも激しい戦闘を思い起こさせる。
それはヒスキも同じで、肩で息をしながら痛みを覚えて腕を見た。腕は赤く腫れており、血が滲んでいる箇所もある。
「……何か、ご用ですか?」
男の動きを見定めながら、ヒスキは尋ねた。妙な動きを見せたならば、すかさず攻勢に入るか逃走するかを選ばなければならない。
サドワもそれを承知しているのだろう。普段のような喧嘩腰の態度を軟化させて、いつでも動き出せる姿勢に改めた。
「何、用という程ではないがね。お前たちの喧嘩を止めてくれ、と頼まれたんだが」
気が変わった、と痩身の男は笑った。
「気が変わった?」
胡乱げな目でヒスキが見ると、滑稽だとも言いたげに男は顔を歪ませる。
「そうだ。……お前たち二人は、見処がありそうだ。私と共に来る気はないか?」
「共に……?」
「ああ。……ここで喧嘩に明け暮れるよりは、生きる意味を見出だせるかもしれんぞ」
甘味とは程遠い誘いではあったが、ヒスキはそれに乗った。サドワはヒスキと共にという条件を嫌がり辞退したが、後に行動を共にする。
生きる意味を見出だせるかも。その言葉が、凪いでいたヒスキの心を波立たせた。無感情にただ生きていた彼にとっては、自分に感情があるのかを知るための最後の機会に思えたのだろう。
頷くヒスキに、男は言った。
「我が名は、オドア・トラシエ。何でも屋だ」
──ボーンボーン
ヒスキは、掛け時計の音で我に返った。オドアとサドワも動きを止め、壁を見て時刻を知った。
「主、時間ですね」
「そろそろ来るんじゃね?」
「そうだな。……行こうか」
先に出していた作業台に置いていた上着を取ると、ヒスキとサドワを引き連れたオドアが戸を開いた。
─────
次回はケルタのお話です。
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