サドワ アニキの背中

 故郷は土地が豊かで、実家も裕福だった。それでも金だけで満たされるものなど高が知れていて、サドワを真に満たすものではなかったのだ。

「サドワ、お前こんなところにいたのか。探したぞ?」

「……アニキか」

 他人の家の屋根に登り、日向ぼっこを決め込んでいたのに。そう言いたげに眉を寄せる弟分に、アニキと呼ばれた狼人の青年は苦笑した。

「お前は本当に猫みたいな奴だな。良いのに勿体無い」

「『頭は』ってなんだよ。オレは顔も良いの!」

 サドワは自分を指差し、ふんっと鼻を鳴らす。明るい茶色の髪が揺れ、三白眼がアニキを捉えた。

 確かに容貌は整っているのだが、性格に難があるとアニキは思っていた。その粗雑な性格はどうにかならないものか、と。

「……。サドワ、昨日の誘い断ったんだって?」

 話題を変えたアニキに、サドワは目を瞬かせた。彼の言う『誘い』とは、オドア・トラシエと名乗った男の誘いのことだろう。

「あの、オレとヒスキあいつに一緒に来ないかって言ってたやつのことか? なんであんな奴と一緒について行かないと行けないんだよ。一度も勝ったことないのに」

「サドワが気に入らないのはそこか。くくっ」

「笑うことないだろ……」

 アニキが忍び笑いをするのを見咎め、サドワは眉間にしわを寄せた。

 サドワはヒスキをライバル視して、ここ数年頻繁にぶつかり合っている。仲間たちは向こうのメンバーとほぼ相討ちで終わるのだが、リーダー格の二人の喧嘩は簡単には終わらない。

 それでもヒスキの方が頭が良いのか、最後に地面に転がされるのはいつもサドワだ。それ程力の無さそうな体躯のヒスキだが、時にサドワを一本背負することもある。

「あいつは嫌いだ。何度ボコボコにしようとしても、何処か必ず転がされる。……ああっ、思い出すとイライラする!」

 地団駄を踏みそうな程いきり立つサドワは、耳としっぽの毛を逆立てた。

 一人でギャーギャーと賑やかなサドワに苦笑いを向けるしか出来ないアニキは、ふと真剣な表情に変わった。その変化に、サドワはビクッと体を震わせた。

「アニキ?」

「サドワ。あの人と共に行けば、お前はきっと知らなかったものにたくさん出会うだろう。その代わり、きっと今より厳しい日々だ」

「何言って……」

「それでもいつか、きみは変化の兆しに出会うだろうね。どう活かすのか、サドワ次第だけど」

「どういう意味だよ?」

 眉を幾ら潜めても、アニキがサドワの問いに応じることはなかった。その曖昧な表情のままで、アニキは背中に背負っていたサドワの愛用の武器を差し出してくる。

「ほら、忘れ物だ」

「さんきゅ」

 サドワの手に戻って来たのは、棒の両端に刃物をつけたお手製の武器だ。これをぐるぐると回すことにより、自分の周りに敵を近付けさせずに傷付けることが出来る。

 ヒュンヒュンと風を斬り、サドワは満足げに頷く。

「――よし、行こうぜ。今日は何処に行く?」

「……幼児園に武術を見せに行くんだ」

「マジかよ」

 思わぬ行き先を聞き、サドワは顔を引きつらせた。その表情が可笑しかったのか、アニキは腹を抱えて笑い出す。

「あっはっはっは! お前のそんな間抜け面、久し振りに見たよ」

「笑い過ぎだっての」

 ばつが悪くなって頬を膨らませたサドワは、ひょいと屋根を跳び下りた。

「行くんだろ?」

「……そうだね」

 見上げているサドワの瞳に、嫌がる素振りはない。全く、素直ではないのだから。


 それから、数週間が経った。

 サドワは相変わらず喧嘩をしながら仲間と気だるく過ごし、時にアニキに付き添って幼児園に通った。そこではサドワを不良ではなく「せんせい」と呼ぶ幼い子たちがいて、無条件に彼に懐いた。

「せんせいのしっぽ、やわらかくてあったかい!」

「……猫人だからな」

「サドワ、顔が固いよ」

「無茶言うな」

 ぴしぴしとしっぽを動かすと、幼児は喜色満面で飛びついて来る。幼児の体重などでよろけることはないが、少し気持ちがふわふわしているのが少し変な気分だ。

 複雑に難しい顔をしているサドワを見ながら、アニキはオルガンの前に座って指を動かす。弾き始めたのは、幼子の子守歌だ。

「懐かしいな、それ」

 しっぽを幼児たちに預けたまま、サドワは胡坐をかいて目を閉じた。脳裏に映るのは、幼い頃の思い出だ。まだ幸せだと信じていた頃の話だ。

「……アニキ」

「何?」

 夕刻、長い影を従えて歩くアニキが先を行く。その影が振り向いて、呼び掛けたサドワを瞳に映した。

 少し肌寒さが増してきた時間に、北風が吹き抜けていく。ぶるっと毛を逆立て、サドワは口を開いた。

「オレ、もう一回あの人に会ってみるわ」

「そうか。なら……

「は? 何言って……アニキ?」

 どさり、と体重がサドワにかかった。大人一人の体重を支え切れず、サドワは尻もちをついた。それでも動かないアニキの体を揺すり、徐々に現状を理解していく。

「嘘だろ。嘘だって言えよ……嘘だって言って笑えよ! ―――彪雅ひゅうが!」

 サドワは何度もアニキ―彪雅―に呼び掛けるが、彼は満足げに微笑んだまま目を閉じていた。


 後に、彪雅は重い病に侵されていたのだとオドアから聞いた。余命いくばくもなく、彼からオドアへ頼んでいたのだと。自分が死んだらサドワを頼む、と。

「あんたの分まで、生きてやろうじゃん。楽しみにしとけよ?」

 墓前で両刃の武器を振り回し、にやりと笑う。サドワは自分を呼ぶ声に応じると、くるりと墓に背を向けた。




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