オドア・トラシエ 人買いの過去

「これで、終わりか」

 目の前に竜巻を発生させ、オドア・トラシエは呟いた。酷く気だるげに、面倒臭いという気持ちが前面に押し出された顔で。

 ここは、とある町の郊外だ。ある殺人犯が刑務所から脱走したということで、何でも屋を営むオドアが呼ばれた。彼の風の魔力を用い、殺人犯を拘束するためだ。

 そしてその思惑は、現場に来て一分以内に叶えられた。

「や……やあやあ、助かったぞ何でも屋」

「構わない。仕事だ」

 様子を見ていた依頼主の激励をつれない態度で受け流し、オドアは右手を差し出した。手間賃を寄越せという意味である。

 しかし、金が手渡されることはなかった。

「グッ」

 ──ガッシャン

 背中を鈍器でなぐられ手錠をつけられ薬を嗅がされ、目覚めると同時に背中に痛みが走った。すぐさま鍵をかける音がしたことから、何処かに閉じ込められたのだろう。

 背中の痛みに耐え、オドアは身を起こす。丁度彼を閉じ込めた誰かが、鉄格子の向こうから去る足音が遠ざかるところだった。

 見回せば、何処かの洞窟を作り替えたと思われる牢屋の中だ。土や岩で形作られた壁は、ゴツゴツとして世を預けるには具合が悪い。

 チッと舌打ちをして、オドアは頭を掻いた。

……!」

 そう、またなのである。

 オドアの職業は何でも屋だ。荷物の運搬から店番、子守りから家事まで何でもやると評判の高い何でも屋。

 しかし裏では、血に手を染めることも多々ある。そのためか恨みやそねみを買うことも多く、こんなことは日常茶飯事だ。

「さて、と」

 だから、脱走などはお手の物だ。

 ──カチッ

 靴の裏に隠し持っていた細い針のようなものを取り出して口に咥え、まず手錠を外す。それから自由になった手に針を持ち、鉄格子の外側にある鍵穴にそれを突っ込んだ。

 無事に開けることに成功し、オドアは地下牢を脱した。途中で見張りと鉢合わせたが、鳩尾に拳を叩き込んでやり過ごす。

「貰うもんは貰って、ずらかるか」

 まだ手間賃を貰ってはいない。オドアは軽く息を吸うと、トントンとその場でジャンプした。

「……行くか」

 地下牢の外は、何処かの屋敷の裏手だった。すぐ傍に森が迫っていたが、オドアはそちらではなく屋敷の方へと足を向ける。

 屋敷と思われたが、そう見えるだけで中身は刑務所だ。高い塀に囲まれた籠の中で、オドアは所長室へと飛び上がった。

 壁の鉄格子を辿り、唯一格子戸のない部屋へと忍び込む。背を向けて座っていた所長の手を拘束すると、彼の口を手のひらで塞いだ。鼻はきちんと空けてある。

「仕事はした。金を寄越せ」

「……っ、……!」

 コクコクと頷く所長の指差す金庫から、オドアは手間賃として指定された金額だけを掴んで懐に入れた。

 無駄に欲をかかないのは、欲のために自由を奪われないためである。それに、オドアは毎回このように仕事料を奪い取るわけではないのだ。

「じゃあな」

 所長を解放し、オドアは建物の窓から飛び下りる。所長が窓辺に駆け寄った時には、既にオドアの姿はなかった。

「……っと」

 森を疾走し、オドアはやがて隠れ家へとたどり着く。素早く誰もいないことを確かめると、小屋へと入った。

 しん、と静まり返った部屋で、オドアは一杯の水を飲み干す。それから手間賃を財布に入れ、それを金庫に放り込む。

 背中を固いベッドに預けて、オドアはようやく人心地ついた。

「何でも屋、か」

 ふと、自分の職業名を呟いた。

 赤子の世話から暗殺まで手広くやってきたが、何故か満たされたことはない。飽いたこともないが、足を洗おうと思ったこともなかった。

 腹が減り、昨日の残り物を掻き込む。そして、古びた手帳を本棚から取り出した。

 それはオドアが何年も前から使っている手帳で、カバーをそのままに中身だけ取り替えて使っている。

 手帳には、スケジュールがびっしりと書き連ねられていた。ほとんどは仕事の依頼である。

 明日は、町の不良を懲らしめてほしいという依頼だ。数組の不良グループが日夜喧嘩を繰り広げ、住民が迷惑しているという。

(わたしには全く関係ない話だがな)

 関係はないが、報酬は破格だ。質素なオドアの生活ならば、数ヶ月は食うのに苦労しないで済む。

「さて、ね」

 オドアは特に期待等せず、半分意識を起こしたままで眠りについた。


 翌日、依頼主の元へと向かう。依頼主はその町の町内会長である初老の男だった。

 彼はオドアの身なりに眉を潜めたが、咳払いをしてから依頼内容を詳しく話してくれた。夕刻にいつも二組が喧嘩している空き地に行き、両方を叩きのめしてほしいのだという。

「これが、前金です」

「……確かに」

 報酬は、前金と結果の出来高だ。それに加え、負傷すれば医療費もくれるらしい。それだけする価値が、若者たちにあるというのだろうか。

(ま、私には関係ない話だ)

うけたまわった」

 一言だけ返事したオドアは、会長が顔を上げた時には既にそこにいなかった。


 夕刻、オドアは町内会長に指定された空き地へと向かった。すると既に、数人ずつの若者が二手に分かれて睨み合っていた。

 オドアは嘆息すると、突然若者たちの真ん中に飛び込んだ。

「何だっ……」

「何者ですか?」

 一気に六人を回し蹴りでしたオドアに対し、二人分の問う声が聞こえた。一人は猫人、もう一人は魔種らしき若者だ。

 たった二人だけが、オドアの奇襲を躱した。

(ほぅ、この二人は見どころがあるかもしれんな)

 思わぬ拾い物をしそうだとほくそ笑み、オドアは眼光鋭く名乗った。

「私の名は、オドア・トラシエ。お前ら二人、負けたらついてきてもらおうか」

 名を聴いておこう。終始偉そうなオドアに困惑しつつも、敵対する二人は口を開く。

「オレはサドワ」

「ぼくはヒスキです」

 猫人はサドワ、魔種はヒスキという名らしい。

 オドアは名を頭の中で復唱すると、ニヤッと口角を上げた。


 これが、オドアとサドワ・ヒスキの出逢いである。


 ─────

 次回はサドワのお話です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る