亡風編

ラクター・レスタ・ジール 富豪のその後

 暗い、暗い道が続く。こんな暗い道では、大抵誰かが明かりを持っていた。足下を照らし、先を見通せた。

 しかし、今明かりなどない。あるのは、痛みと憎しみのみ。

 世界的富豪として名を馳せた男は、現在孤児院の教師の一人として職を与えられていた。以前の彼ならば、こうやって己の手で仕事をすることなど考えられなかった。他人を使い他人に全てを任せておけばよかったのに。

(全ては、あの銀の華と名乗るやつらのせいだ)

 あてがわれた自室のベッドにどっかと腰を下ろし、ラクター・レスタ・ジールは心の中で毒ついた。

 声に出せば、隣室から同僚の女教師が声をかけに来る。その穏やかな幼稚園教諭のような笑顔が苦手で、ラクターは二回目からは口に出して文句を言うことはなくなった。

 この職場に放り込んだのは、ラクターが雇っていたはずの人買いであるオドア・トラシエだ。彼は何を思ったか、ラクターに孤児院の教師としての職を与えた。

 オドアは、ラクターが人としての心を取り戻すきっかけになればと思い放り込んだのだが、ラクター自身が気付くまでには長い時間が必要だ。更にオドア自身、人買いを生業にしてきたために『人の心』というものに疎い。

 どちらにしろ、孤児院にとっては扱いにくい人物を雇わざるを得なかったということになる。災難はどちらか、わかりきっていた。

 孤児院に入れられた直後に警吏組織に引き渡すという道もあったはずだが、そちらは塞がれていた。ラクターの元部下たちが組織に大金を渡し、無罪放免は決定済みだったからだ。

(逃げようにも、何故か子どもに見つかる……)

 ラクターは何度か脱走を図った。風の噂だが、持ち家の館はそのまま残されているということである。秘書が管理をしてくれているようだが、他人に対する信頼の希薄なラクターにとっては危険でしかない。

「おじいちゃんせんせー、なにしてんの?」

「お前は……」

 真夜中に逃走を図る度、何故か鉢合わせる子どもがいた。五歳の犬人の少年・璃々りりである。

 璃々は孤児院に来てまだ日が浅く、ラクターとはある意味同期である。彼は孤児院に来る前に親に暴行され、その心の傷のためか真夜中に目を覚ます。

「……璃々、部屋に戻れ」

「いやぁ、おじいちゃんせんせーとねるぅ」

「参ったな」

 こうやって脱走することも出来ず、何度も部屋に連れ帰った。その数、既に十数回に上る。

 何度も諦めず脱走を試みるラクターもラクターだが、遭遇する璃々も璃々である。彼は何故かラクターに懐いていた。

「全く、子どもとはわからんものだな」

 大仰なため息をつきつつも、ラクターの表情は何処か柔らかい。その変化に、ラクター自身は全く気が付いていなかった。

 目を閉じれば、あの魔種の少年の瞳が見ている気がした。お前の生き方を見ているぞ、と指を突き付けて。

(……くそっ、あのガキめ)

 毒つく先さえなく、ラクターは朝日が昇る前に目を覚ました。ガシガシと白髪の増えた頭を掻き、服を着替える。

 仕事などしないと全て放り出すことも出来たはずだが、最初の日に年若い男性教師に説教された。ラクターの過去など知る由もないその男は、不貞腐れて朝礼に出なかったラクターの部屋のドアを蹴り開けた。

「ラクター先生、あなたは今日からこの施設の教師なんですよ? あなたのようなご老公にはきついかもしれませんが、そんな風に閉じ籠っていては子どもたちに馬鹿にされますよ!?」

 だから、ラクターは渋々仕事を続けている。不承不承でやるが、手は抜かない。その姿勢は感心しないが、と施設長は苦笑いをしながら言ったものだ。

「あなたには、人を導く力があるはずです。その良い面を、ここで伸ばして卒業して下さい」

 つまり、いつかこの施設を出ることが出来るのだ。それを知って、ラクターの心が幾分か晴れたのは言うまでもない。


 今日も、璃々がラクターに向かって駆けて来た。直前で何もないのに転び、涙を目の端に溜める。

 ため息をつき、ラクターは璃々の傍に膝をついた。背中を見せて、ほらと言う。

「ほら、おぶされ。傷を水で流してやる」

「うぅ……おじいちゃんせんせー」

「泣くな」

 よじ登って来た璃々を背負い、ラクターは歩き出した。背中が少年の涙で汚れるが、気にした様子はない。

 二人の様子を陰ながら見ていた施設長は、柔らかく微笑んだ。


「縄を解け!」

「残念だが少年、お前は我がコレクションとなるのだ」

「ふざけっ……―――」

 あの日、真っ直ぐに挑むような瞳でこちらを睨みつけた少年は、風となった。橙色の瞳は強く、魔力の強さに辟易させられたが、あれは最高のコレクションだった。

 全ての間違いのもとであり、おそらくラクターが変わるきっかけとなった少年。その眼光をラクターが忘れることはないが、彼が生き方を変える日はそう遠くはないのかもしれない。

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