ジェイス─3 来世をも賭けて
目の前に広がるのは、あの時焼失したはずの家々。より鮮やかにより堅牢に建て替えたと話すアルシナの背を見詰め、ジェイスは優しい微笑を浮かべた。
「それで、あれが展望台……ジェイス?」
「ん? いや、何でもない」
説明の手を止め、不思議そうにこちらを見て小首を傾げるアルシナ。翡翠色のセミロングがふわりと揺れ、無邪気な表情を見せる。
本人は、そういうところだという自覚はない。
(全く、リンや克臣のことを笑えないな。わたしがこんなにも誰かを想う日が来ようとはね)
自らの変化に苦笑し、ジェイスはアルシナに続きを促した。
「気にしないで。ほら、まだ行くんだろう?」
「そうだった! 次は、さっき言った展望台に行こう。そこからなら、里の様子が全部みえるから」
「ああ」
アルシナの指が、遠慮がちにジェイスの手を握る。彼女の手には、里の復興の為に努力したかこそ付いた傷跡がたくさんある。切り傷や潰れた
寸止めで踏み留まる。その代わり、ジェイスは自ら彼女に手を伸ばした。
「───……っ」
ジェイスから指を絡めたことで、驚き見上げてくるアルシナに微笑む。彼女は頬を染め、手を握り返してくれた。
「ほ、ほらっ。行こう!」
「ふふっ、行こうか」
アルシナのフレアスカートが風に舞い、二人は里の奥にある山道へと向かった。
ここは、ジェイスがもともと住んでいるソディリスラではない。そこから海を渡った場所にある、
全ての発端はアルシナとの出逢いだが、その詳細は本編に譲る。
二人が三十分程山道を進むと、視界が開けた。
「着いた、か」
「うん。……ジェイス、こっちに来て」
鬱蒼とした森を通ってきたためか、日の光が眩しい。目を細めていると、ジェイスの腕をアルシナが引いた。
アルシナが向かうのは、展望台から階段を上ってもう少しだけ高台にある場所。そこには木で足場が組まれ、より広範囲を見渡せるようになっていた。
「あれが、里。それで、あっちが……お城とかの方向」
少しだけ、アルシナの言葉に溜めがあった。それが意味するところを察し、ジェイスは何も追及しない。
話の流れを変えようと、ジェイスは「そういえばジュングは?」と話題を変えた。
ジュングとは、アルシナの弟だ。色々あってジェイスは目の敵にされているが、姉思いで真っ直ぐな性格の青年である。
弟のことに話が移り、アルシナは明らかにほっとした顔をした。
「ジュングは相変わらず、手厳しいよ。ダメ出しもたくさんしてくるし……でも、それも里のことを思っての言葉だから、姉としては嬉しい」
「ジュングはきみのことが大好きだからね」
少し妬ける程に。苦笑気味にジェイスが言うと、アルシナは「そんなことない」と顔を赤く染めた。
表情がくるくると変わり、目を離せない。そんなところも、アルシナの魅力だ。
「今、ジュングは率先して王様との話し合いの場に出てくれてるの。あの子の方が交渉事には向いてるし、冷静に考えられるから」
「そうだな。……ヴェルドさんは?」
「
ふるふると首を横に振り、アルシナは目を伏せた。しかし、すぐに顔を上げる。
ヴェルドはアルシナとジュングの義父であり、同族の男性だ。力を使い果たしてから眠りにつき、ずっと目覚めない。
いつ目覚めるか誰にもわからない状況だが、アルシナは努めて明るい声で言う。
「大丈夫、
「……強いな、アルシナ」
「え?」
目を瞬かせるアルシナの手を自分の方へ引いて、ジェイスは彼女を腕の中に収めた。何が起きたのかわからず呆然としていたアルシナは、抱きすくめられたことで顔だけでなく体も赤くする。
「え? あ……ちょっ! ジェイス、待って!」
「これ以上は何もしないから。ちょっとだけ……アルシナに触れたい」
「ジェイス……」
ジェイスの胸に押し付けられたアルシナの耳に、彼の心臓の音が聞こえる。ドクドクという激しい鼓動が、彼女の心拍数をも上げていく。
「……」
そっと背中に触れたアルシナの細い指を感じながら、ジェイスは自分よりも小さくて細い彼女を大切に抱き締める。
(アルシナを、わたしは確実にいつか置いて逝くんだ。それまで、どれだけの時間が残されているんだろう?)
鳥人も長命だが、竜人程ではない。その時のことを考えてしまい、ジェイスは頭の中でその考えを打ち消した。
今出来ることを精一杯にするしか、道はない。時間はないとはいえ、幸いまだ残されている。
「ごめんな、アルシナ。驚かせて」
「あっ……ううん、大丈夫」
そっと解放すると、アルシナは名残惜しげにジェイスに手を伸ばしかけて引っ込めた。熱を帯びた瞳は蠱惑的だが、ジェイスは己の手綱をしっかりと握り締める。
しかしジェイスの理性を試すかのように、アルシナは声を震わせる。
「ジェイス、わたし……っ」
「───……。アルシナ、そろそろ戻ろう」
「あっ……うん」
顔を真っ赤にして俯き、アルシナは頷く。自分がとんでもないことを言いかけたことに、気付いたらしい。
そんな恥じらう姿も可愛らしく思い、ジェイスが理性を保つのに苦心するなどアルシナは知らない。ジェイスは深呼吸して、彼女の手を引いて歩き出そうとした。
里の様子の確認は終わった。もう少しだけアルシナと話をして、ジェイスはリドアスへと帰るつもりだ。
流石に、海を翼で飛ぶのは骨が折れる。ジェイスは定期船の時刻表を頭に思い浮かべた。
「行くよ、アルシナ」
「えっと……ジェイス」
「何?」
歩こうとしないアルシナを不思議に思い、ジェイスは振り返って彼女を見詰める。
「……あ、あの」
「うん」
幼子が喋るのを待つように、ジェイスはアルシナの言葉を待つ。
アルシナは迷い、そしてここには自分たち以外誰もいないことを確かめた。そうでなければ、こんな大胆な発言をすることなど出来ない。
「わたし、ジェイスのこと大好きだから。た、例え離れ離れになったって、絶対探し出すから。それが……それが来世だとしても、ジェイスと一緒に生きていきたいの!」
「……アルシナ」
アルシナの精一杯の愛の言葉は、ジェイスをかなり動揺させた。そして自分が勝手に不安になっていたことにも、不安にさせていたことにも気付く。
「ありがとう、アルシナ。……わたしもきみを愛してる。悲しい思いをさせてしまうだろうけど、わたしも必ずきみを見付けるから」
だから、待たせてしまうけれど。ジェイスが目を伏せると、アルシナはくすくすと小さく微笑んだ。
「待つのは得意。ジュングのことも義父さんのことも、わたしはずっと待てたんだから」
何百年くらいなら、大丈夫。健気なアルシナの言葉を、執着とは呼ばない。
アルシナの顔を見詰めていたジェイスは、自分の中の何かが焼き切れるのを感じた。こんな時、リンよりも我慢が足りないと自覚する。
「……前言撤回」
「え? ……きゃっ!?」
ぐいっと手を引かれ、アルシナは悲鳴を上げる。そんな彼女をお姫様抱っこして、ジェイスは少し不機嫌そうに呟いた。
「嫌だと思ったら顔でも殴るか叫んで。……じゃなきゃ、止まれない」
「え……え!?」
ジェイスの言う意味を理解して、アルシナの体温が急上昇する。心臓が大きく飛び跳ねて、アルシナは
「嫌なわけ、ない」
「……この命が繋がる限り、きみを愛すると誓うよ。アルシナ」
それは、遠回しな誓いの言葉。嬉しそうにはにかみ頷くアルシナを抱き締め、ジェイスは白銀の翼を広げた。
里へと飛ぶ途中、懐かしい人の声が聞こえた気がした。
──幸せか、ジェイス?
(幸せだよ。父さん、母さん)
弟分がいて、親友がいて、仲間たちが傍にいる。そして今、腕の中には愛する人がいてくれる。この何処に幸せでないという要素があるのか。
──だったらもっともっと、たくさんの幸せを見付けなさい。あなたの未来を、わたしたちは見守っているから。
きっと笑ってくれているだろう人たちに思いを馳せ、ジェイスは飛び続けた。
─────
次回からは亡風編です。
登場予定キャラクター
❀ラクター・レスタ・ジール
❀オドア・トラシエ
❀サドワ
❀ヒスキ
❀ケルタ
お楽しみに。
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