銀の華の物語―5

ジェイス─1 親友っていつの間にかなるもんだろ?

 ──えっ、気持ち悪……。お前、そんな非現実的なこと平気で言うやつだったんだ。

 ──何それ? 異世界なんてあるわけないじゃん。全部お話だよ。

 ──もう顔も見たくない! 気味悪いから消えちゃえ!


「止めッ……夢か」

 冷や汗か脂汗かが背中をぐっしょりと濡らし、不自然に心臓が動悸する。深呼吸を繰り返してようやく息をついた少年は、寝間着を着替えて部屋を出た。

「おはよう。……どうした、ジェイス? 顔色が悪いぞ」

「おはよう。本当ね……何か、怖い夢を見たのね」

「おはようございます。ドゥラさん、ホノカさん。……ちょっとだけ」

 ホノカが自分の前にしゃがんで顔を覗き込んできたため、ジェイスは少しだけ素直に頷いた。自分を引き取り育ててくれている二人に心配はかけたくないが、何も話さないことが心配に繋がる。ジェイスはもう、それを理解していたのだ。

 悲しそうに目を伏せるジェイスの頭に、温かくて大きな手が乗った。顔を上げれば、ドゥラが微笑んでいる。

「話したくなれば、話してくれれば良い。今日は新しい出逢いの日だから、嫌なことも思い出したんだろう」

 ドゥラの言う通り、今日はジェイスが新しい学校に通う初日だ。数日前まで別の小学校に通っていたが、だとカミングアウトした途端に苛められるようになってしまった。その為、転校したのだ。

「また、苛められないですか?」

「絶対に、とは言えない」

 身も蓋もないことを言われ、目を見開いたジェイスは口を閉ざす。

 でも、とドゥラはジェイスを抱き締めた。

「未来なんて、一秒先すら未定だ。だから、わからない未来を悩んでも仕方がないだろう? お前は自分が出来ることを精一杯やって来れば良い。そうすれば、良いことがある」

「……わかり、ました」

「不承不承だなぁ」

 ハハハッと声を上げたドゥラに、ホノカは呆れた笑みを見せた。

「あなたは能天気過ぎるんです! ……ジェイス、いってらっしゃい」

「いってらっしゃい、ジェイスさん」

「行ってきます。ホノカさん、リン」

 年の離れた血の繋がらない弟分の頭を撫でる。そして黒のランドセルをホノカから受け取り、ジェイスは『扉』を潜った。


「──今日から皆さんの仲間になる、霜月ジェイスくんです。お父さんがフランスの方で、仕事の関係で日本に来たんですって。みんな、仲良くしてくださいね。ジェイスくん、自己紹介お願い出来るかな?」

 担任となったのは、三十代前半の女性教諭だった。彼女に促され、ジェイスは教卓の横に立つ。

「し、霜月ジェイスです。今日から宜しくお願いします」

 ぺこり、と頭を下げる。すると、クラス中が一気に騒がしくなった。

 耳に届くのは、全て好意的な声。ジェイスの整った顔立ちと丁寧な印象を受け、歓迎ムードだ。

(よかった……)

 ほっと胸を撫で下ろしたジェイスは、次に担任が言った言葉で我に返った。

「霜月くんの席は……園田くんの隣ね」

「俺?」

「いーなぁ、克臣! 転校生の隣!」

 誰かが羨望の声を上げ、克臣と呼ばれた少年が目を瞬かせてこちらを見ている。

(そのだ、かつおみ、くん)

 ジェイスが目を向けると、一番後ろ窓際の席にいた克臣と目が合った。

 短い黒髪に、雲母のように光る焦げ茶の瞳。好奇心旺盛で無邪気な、少年らしい少年がそこにいた。

 席に近付き、隣人となる少年の前に立つ。

「よろしくね、園田くん」

「ああ、よろしく。俺は、園田克臣っていうんだ。克臣でいい」

 まさか初対面で名前呼びを指定されるとは思わず、ジェイスは目を丸くした。しかしそれが彼の流儀なら、と自分からも一歩踏み込む。

「……克臣。わかった。じゃあわた……ぼくのこともジェイスって呼んでよ」

「初対面で?」

 流石に面食らったらしい克臣に尋ねられ、ジェイスは不思議そうな顔をした。

「克臣も呼べって言っただろう?」

「まあ、それもそうか。よろしくな、ジェイス」

「うん!」

 二人の少年は固い握手を交わし、友だちとしての一歩を踏み出した。


 それから、数ヶ月が経った。

 二人で駄菓子屋に行ったり公園に遊びに行ったりして、遂にはソディールへも二人で行った。ジェイスはまさか、克臣を故郷に連れて行くことになるとは思っていなかった。

 克臣となら、本当の友だちになれるかもしれない。淡い期待は確信へと変わり、ジェイスは少しずつ日本での生活に慣れていった。

「──なあ、霜月って変な奴だよなぁ」

 その声を聞いたのは、新たな学年が始まってからしばらく後のこと。放課後、先生にクラスで集めた提出物を渡しに行く途中、渡り廊下で数人の男子児童が話している場面に出くわした。

「だよな? 異常に運動出来るし勉強の成績もダントツだし……なんかヤバいのかな?」

「克臣とよくつるんでるな。それに、女子からの人気エグいだろ」

「かっこいーからってちょーし乗ってんじゃね?」

 ゲラゲラという笑い声が聞こえ、ジェイスはきゅっと唇を噛んだ。ここもダメなのか、と心の中を黒いもやのようなものが漂い始める。

(やっぱり、ここもダメなのかな……?)

 心が澱み、気持ちが塞ぐ。せっかく出来た大切な友だちともう会えなくなるかもしれない、そう思うだけで泣きそうだった。

 ジェイスは廊下を通ることも出来ず、校舎の中で壁に背を預けてズルズルとしゃがみこんだ。

 その時、大声が渡り廊下を駆け抜けた。

「お前ら、何言ってんだよ!」

「!?」

 聞き覚えのある声に、ジェイスは顔を上げた。半開きになったドアから盗み見ると、反対側の校舎から克臣が歩いて来るのが見えた。

 彼の表情は怒り。純粋に「ふざけるなよ」という表情をして、ズンズンと男子たちに向かって歩いていく。

 克臣の迫力に負け、男子たちは悲鳴を上げて逃げ出した。彼らはジェイスの横を通り過ぎ、本気の恐怖を顔に貼り付けていた。

「……俺の親友を、ありもしない噂で言われるなんて腹が立つな」

「しん、ゆう?」

「いたのかよ、ジェイス」

 ぽりぽりと頬を搔き、克臣は恥ずかしそうに目を逸らす。そこにあの激しい怒りの感情は見えず、ジェイスは心が温かくなるのを感じた。

「わたしは、克臣の親友になれたのかな?」

「親友だろ? そんなの、いつの間にかなってるもんだ。俺にとって、ジェイスは大事な人だよ」

 照れて、それでも言わなければと克臣は顔をジェイスの方に向ける。一息で言った言葉は、真っ直ぐにジェイスの中へと染み込んだ。

「……ありがとう、克臣。わたしも、克臣が大事だ。日本で初めて出来た、親友、だから」

「おう」

 笑顔を浮かべ、克臣は照れ隠しにジェイスの荷物を奪い取った。回れ右をして、職員室へと歩いていく。

 ジェイスは軽くなった手を握り締め、克臣の後を追っていった。

「帰り、駄菓子屋寄ろうぜ。リンに何か買ってってやろう」

「きっと喜ぶ。何が良いかな?」

 夕焼けに染まり始めた空に向かって、二人の少年たちが歩き出す。

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