ユーギ─1 父との鍛練

 ある年の夏、ユーギは学校の夏休みを利用して帰省した。

 宿題は夏休み前半にユキたちと共に終わらせ、あることをやるために帰ってきたのだ。「ただいま」と自宅の戸を開けると、妹のナキが抱き付いてきた。

「お帰りなさい、お兄ちゃん!」

「ただいま、ナキ。父さん、いる?」

「いるよ。居間でお母さんと話してる」

「ありがとう。後でいっぱい遊ぼうな」

「うんっ」

 兄と久し振りに遊ぶ約束を取り付け、ナキはご満悦だ。そんな妹の顔を見られて嬉しいユーギだが、今はそちらに気を取られて良い時ではない。

 ごくりと唾を飲み込み、ユーギは緊張した面持ちで居間へと足を踏み入れる。

「ただいま」

「お帰りなさい、ユーギ」

「帰ったのか。お帰り」

 母コノミに笑いかけ、ユーギはすぐに胡座をかいているテッカの目の前に正座する。耳をピンと立て、垂れそうなしっぽを叱咤する。

「父さん、頼みがあるんだ」

「どうした、急に?」

 飲んでいた水の入ったコップを机の上に置き、テッカが軽く身を乗り出す。コノミは察するものがあるのか、素知らぬ顔で洗濯物を畳んでいる。

 きゅっと膝の上の拳を握り締め、ユーギは勇気を振り絞って父に頭を下げた。

「ぼくに、稽古をつけて欲しいんだ! ここにいる一週間で、なれるだけ強くなりたい!」

「何故、そう思う?」

 テッカの問いに、ユーギは間髪を入れずに答える。そうすべきだと、無意識が判断した。

「理由は、友だちに……仲間に負けたくないから。ユキも唯文兄も春直も、どんどん強くなってる。一緒に鍛練してても、勝ち負けは五分かそれ以下だ」

「……」

 腕を組んで黙ったままのテッカを相手に、ユーギは本気であることを示そうと言葉を重ねる。

「互いに高め合って……でも、時々不安になるし、悔しさが募ってくる。大事な仲間に守られるばかりのぼくじゃなくて、守るぼくになりたいんだ」

「守られることは、決して恥ではないぞ。それが戦略上の最善策のこともある」

 淡々と反論され、ユーギは「わかってる」と耳を伏せた。

「守られて、いざという時に力が発揮出来ればそれが良いのかもしれない。でもそれは、ヒーローの役割じゃないから」

 思い描くのは、晶穂を守るリンの姿。そして、家族を背に立ち向かうテッカの姿だ。

「ぼくは団長のように……父さんのように強くなりたい」

「はぁ……わかった。だが、息子だからといって手加減などしないぞ」

のぞむところだ!」

 キラキラと輝くユーギの瞳の光が、テッカには眩しく映る。気合いを入れるように「よしっ」と自分の頬を叩いたテッカは、ユーギを伴って外に出た。


 ユーギの故郷ホライ村は、獣人の村だ。とりわけ犬人や狼人の血を分けられた者が多く、ユーギ一家もその一つに数えられる。

 家を出ると、近くにいた犬人の大人が話しかけてきた。挨拶程度だが、その話には時に重要な事柄もあるから疎かには出来ない。

「やあ、息子さんと仲が良いですね」

「ありがとうございます。これから、普段出来ないコミュニケーションを取るために、公園に行こうと思っているんですよ」

「良いですね。楽しんで」

「ありがとう」

「またね、おじさん」

 歩幅の大きなテッカについて行くため、ユーギは小走りになる。

 テッカは「公園に行く」と行ったが、向かった先は森の中だ。二人が向かうのは、森の中に作られた訓練場である。

「……ユーギ、準備は良いか?」

「勿論、いつでも」

 バトルフィールドのように、砂地が広がっている。左右に分かれて距離を取り、テッカとユーギは向かい合う。

 互いに得物はない。素手で戦うのだ。

 狼人は、他種族よりも拳や蹴りの威力が高い。武器を持つよりも、素手の方が攻撃力が高い者もいるとか。

 森が静かにその時を待つ。

 ふと、それまで吹いていた微風が止まった。

「やぁっ!」

「ふんっ」

 それを合図に、二人は体のバネを使って相手の懐に飛び込んだ。

 身軽さを武器に、先手を取ったのはユーギだ。テッカの鳩尾を狙い、思い切り回し蹴りを放つ。

「甘いっ」

 瞬時に腕でガードをして、テッカはユーギの足を払い除ける。ユーギはバランスを崩して背中から地面に落ちそうになるが、身をよじって受け身を取った。

「くっ」

 足の裏を地面に着いて着地したものの、ユーギに深呼吸する暇など与えられない。すぐさまテッカの跳び蹴りが炸裂し、ユーギはその場で跳び上がって躱した。

「はっ」

「まだまだっ」

 ユーギは落ちる速度を利用して、テッカの脳天を狙い踵落としを放つ。テッカはすぐには対応出来ず決まったかと思われたが。

「くっそぉ」

「まだまだなのはお前の方だな」

 ほぼ地面と垂直に上げられたテッカの足の裏で、受け止められてしまった。テッカはそのまま硬直するユーギの横腹にもう片方の足で蹴りを入れると、ふんっと鼻を鳴らした。

 フィールドに落とされたユーギは、砂まみれになりながらも立ち上がる。膝や腕には擦り傷が出来ているが、これくらいの傷はどうということはない。

「ぼくは、団長たちと一緒にずっと戦ってきたんだ。……そして、これからも。だから、絶対に諦めないからな!」

 口の中で、何かがジャリッと音をたてた。どうやら落下した時に砂が口の中に入ったらしい。

 飲み込むことは出来ず、ユーギはやむなくそれを吐き出した。それから手の甲で口を拭うと、再び戦闘態勢を取る。

「絶対、一本決めてやる」

「やってみろ」

「言われなくてもっ」

 ダンッと地面を蹴り、ユーギは走り出す。一気にテッカとの距離を詰め、勢いのままに拳を突き出した。

「そんな拳……何っ!?」

「狙いはこっちだ!」

 自分のパンチを受け止めたテッカの手のひらを軸として、ユーギは地を蹴った。背中からくるりと一回転すると、目を見張るテッカの背中に蹴りの一撃を放った。

「ぐっ……」

 急激な一撃は、テッカの予想の範囲外だ。思わず膝をつき、信じられないという顔で後ろに着地したユーギを振り返る。

 トンッと着地したユーギは、テッカを振り返るとニヤリと笑った。

「一本、入った!」

 どうだと言わんばかりに胸を張って腰に手をあてる愛息子に、テッカは素直な感想を言った。

「正直驚いた。……知らない間に、子どもってのは成長してるもんだな」

 でも、とテッカは立ち上がる。

「オレを倒すには時がかかりそうだ」

「う……。絶対、超えてやる」

「楽しみにしてるぞ、ユーギ」

 くしゃくしゃと頭を撫でられ、ユーギは抗議の声を上げた。しかしその声も少し笑いを含んでいて、本気で嫌がっているわけではないことが察せられてしまう。

「そろそろ帰ろう。コノミもナキも待ってる」

 気付けば、日が西に傾いていた。赤く染まり始めた空の色が、ユーギとテッカの肌の色を変えていく。

「うん、帰ろう」

 目標を新たにして、ユーギはテッカの背中を追った。どれだけ遠くとも、必ず辿り着いてみせると心に誓いながら。

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