シン─2 眠る前のこと➁

 シンは夢を見ていた。

 誰かはわからない。しかし、何人もの人がシンに手を振っている。様々な色の髪や瞳の色をしていることから、彼らが人間だけではないことは明らかだ。

 シンは彼らに向かって、夜空色の翼を広げて飛ぶ。とても嬉しくて、楽しい。そんな、幸せな夢。

 誰かが、名もないはずの自分を呼んだ。──と。


「――――い、これで良いのか?」

「問題ない。後は、これに火をつければ……」

 急速に夢から引き戻され、シンは目を閉じたままで耳を澄ませる。周りには十人程の男たちがいて、ひそひそと言葉を交わしている。人数に関しては拾うことの出来た気配の数だが、おおむね間違ってはいないだろう。

「誰……?」

 ぼんやりとした声でシンが呟くと、男たちは驚いたのか一瞬動きを止めた。しかし、それで行動が終わることはない。

「おいっ、どうするんだ?」

「どうするのこうするもない。もう、決めたことだ」

 数人が迷いを見せるが、大半は粛々と手元の作業を続けている。

 徐々に意識が覚醒してきたシンは、彼らが何をしているのかに気が付いた。その意味を察し、胸の奥が冷える。

「お前たち、何をするつもりだ!?」

「何を……って、長いこと生きてるお前ならわかるだろう?」

「くっ」

 わかっているからこそ、信じたくない。里の人々が、シンを封じようとしているなどと、信じたくない。

 あの少女の笑顔が嘘などと、信じたくない。

「やめてくれ!」

 カッ、とシンの全身がまばゆく輝く。

 男たちの目がくらみ次に目を開けた時、目の前には怒りに燃える巨大な竜の姿があった。険しい瞳に睨み据えられ、男たちの一部は腰を抜かした。

「ひっ」

「うわぁ」

『お前たちを信じよう……そうやって信じたボクは間違いだったのか? こうやって、裏切られるのか?』

「嫌だ。死にたくない!」

「さ、里には妻が」

 悲しげに響くシンの声は、男たちには響かない。大半は、シンの神々しさと威厳に気圧され、耳など正常に機能していないのだ。

「だ、だから俺は止めようって言ったんだ!」

 誰かが自棄やけを起こして叫ぶ。それに数人が同調し、神殿内は耳障りな喧騒に包まれようとしていた。

 その時、一人の男の声が轟く。

「黙れ!」

 しん、と静まり返る。その気迫に満ちた声に、シンすらも驚いてそちらを見た。

 そこにいたのは、黒髪の男だった。決して若いとは言えない、働き盛りの男。しかし、その目は暗く淀んでいる。

「おれたちは、この竜神を──否、この悪神を封じて里に、世界に平穏を取り戻すんだ! その為ならこの命、朽ち果てても構わん。そうだろう、みんな! あの誓いを忘れたとは言わせんぞ!」

『ボクは悪神なんかじゃ……っ』

 シンの悲痛な叫びは、数人の男によって体を床に叩きつけられたことによって中断した。痛みに耐えかねて見れば、体の数ヵ所に斧や剣が突き刺さっている。それらが杭の役割を果たし、シンを縫い止めたようだ。

『痛いっ、痛いよ!』

 悲鳴を上げ、シンは身をよじる。しかしその動きが新たな傷と痛みを生んで、より強くシンを苦しめた。

「黙れ、この悪竜が。お前のせいで、世界は滅亡の危機なんだ!」

「そうだ! あの賢者様がおっしゃった。この里が守ってきた竜は、いずれ世界を滅ぼすと!」

「そうだ! 滅びを促す竜め!」

『滅び……?』

 男たちの声に、シンは愕然とした。それと同時に、何故自分が突然襲われたのか合点がいった。

 その『賢者様』という者が、彼らを唆したのだ。

 どんな手を使ったのかはわからない。しかし、里の人々がパニックに陥ったのは間違いない。

 何故わかるのかと問われれば、以前にも同じようなことがあったからだと言わざるを得ない。

『……ボクは、共に生きることは叶わないのか』

 男たちが何かを叫んでいる。四人が松明を掲げ、四つの蝋燭に灯をともそうとしている。

 それらを見ても、シンは抵抗しようとはしなかった。諦めた。二度裏切られ、シンの心は冷えてしまった。

「灯をともせ!」

 リーダーの男の掛け声で、一斉に蝋燭が赤く輝く。その瞬間、シンの体も同様に輝いた。

『くっ……』

 体にみなぎっていた魔力が溶け出すように消え、小さな竜の姿へと変わる。その小さな体は透明な球体に包まれ、四本の蝋燭の真ん中へと誘われる。

 いつも寝床にしていた柱の上で、球体は停止した。

(出来るなら、もう一度だけカグリに会ってお礼を言いたかったな……。ああ、眠いや)

 球体の中で、急速に眠りへといざなわれていく。傷の痛みも感じなくなり、シンは涙を流しながら目を閉じた。

 その時、神殿に幼く甲高い声が響く。

「竜神さまっ!」

「か、カグリ!? どうして……」

 カグリの目は真っ赤になり、涙がボロボロと流れている。震える拳を握り締め、少女は男の問いに答えることなく走り出す。

「待つんだ、カグリ!」

 仲間を煽動していた男が、慌てて少女に手を伸ばす。しかし、躱されてしまう。

「カグリ!」

 竜神を封じ、安堵するはずの男たちの間に、困惑と焦燥と驚きが流れる。自分たちはただしいことをしたはずなのに、何故少女は泣き叫んでいるのか。

 そんな空気の中、カグリは何度も転びかけながらも竜神の元へと辿り着いた。その柱にすがり付くように体を寄せ、何度も「ごめんなさい」と繰り返す。

「あなたを守れなかった。トモダチだったのに、裏切ってしまったの。何度も止めたのに、みんな、知らない間にここへ来てしまったの……ごめんなさい、ごめんなさいっ」

 竜神の眠る球体の乗った台座は、カグリの背丈では触れることが出来ない。それが歯痒くて、カグリは新たに涙する。

「カグリ……こっちへ来なさい」

 黒髪の男が、カグリを球体から離そうと手を伸ばす。しかし、カグリはその手を払い叫んだ。

「お父さんなんて、大っ嫌い! 竜神さまは、わたしのトモダチなのに!」

「カグリ!!」

 怒りを籠め、男が叫ぶ。しかしカグリは、意思の強い瞳で睨み返すだけだ。

(……ありがとう、カグリ。きみは、ボクのトモダチだったね)

 竜神はわずかに残った意識の中でそう呟くと、長い長い眠りへと身を沈めた。



「……それから、ボクは晶穂に出会うまで眠り続けたんだ」

 昔話を終えたシンは、懐かしそうに微笑んだ。

 ユーギとユキは何とコメントすれば良いかわからず、顔を見合わせる。それから、ユキがおずおずと尋ねた。

「何で、晶穂さんとは話せたの?」

「わかんない。だけど……お互いひとりぼっちだったから、共鳴したのかもしれないね」

「共鳴……」

 ぽつんと呟いたユーギに、シンは「そうだよ」と笑う。

「でも、きみたちとは何処かで必ず会えると思ってたんだ。だって、あの時夢で見たから」

 目を閉じれば、あの夢が蘇る。

 様々な種族の人々が集い、シンに向かって手を振る。あれは確かに、銀の華の面々だった。

 初めて名前をつけてくれた人は、青のにじむ瞳で自分を見付けてくれた。

「ボクは、きみたちに会えると信じていたから生きてこられたんだ。きっと、これからも」

 シンの笑顔は、もう寂しいものではない。それが本物の笑顔だと知っているから、ユキとユーギも笑顔を返した。


 今でも時折、あの時の少女を思い出す。幸せに生きただろうか、と気にかかる。

 確かめる術などありはしないが、どうか幸せであれ。笑顔であれと願う。

「ボク、たくさんの大切な人を見付けたよ。きみのお蔭だね、カグリ」

 少女の屈託のない笑顔を思い出し、シンは目元を緩めた。


 ─────

 次回は、ユーギの物語です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る