銀の華の物語―4
シン─1 眠る前のこと①
シンは、祠のあった中庭の中央に立つ木の枝に座っていた。ぼんやりと空を見上げていると、木の葉の間から眩しい光が照らしてくる。
夜空色の翼をパタパタと動かし、白い体が光を反射した。
「平和だなぁ」
「シーン!」
「やほー!」
「ん? ……ユキ、ユーギ!」
リドアスの建物の中から、二人の少年がこちらへ向かって手を振っている。それに応じると、彼らは走って戸を開けた。
ユキは水色の瞳を持つ魔種と呼ばれる種族で、ユーギは狼人の流れをくむ。種族は違えど、後二人を含めて仲が良い。シンもつるんでいる。
「シン、何してるの?」
「ん、日向ぼっこ。気持ち良いよ」
小さな翼をめいっぱい広げ、シンは日向ぼっこの心地よさについて力説する。それを楽しげに聴きながら、ユキとユーギは木の幹に背中を預けて足を伸ばした。
うーんと伸びをし、ユキが空を見上げる。
「本当だ。気持ちいいね」
「寝ちゃいそうだ。……あっそうだ」
ユーギはポンッと手を叩くと、浮いているシンに声をかけた。
「ねぇ、シン」
「何?」
「シンがあの神殿で寝る前のことを教えてよ」
ユーギの言う『あの神殿』とは、シンが長い眠りについていた大樹の森の神殿のことだ。
リンたちが狩人を追って南の大陸へと向かう道すがら、晶穂と共鳴して彼女を導き、銀の華の仲間となった。
シンが仲間になった経緯を簡単にしか知らないユキは、首を傾げるも興味深そうに小さな竜を見ている。シンと銀の華との出会いは、ユキを探す旅の途中でもあったのだ。
「寝る前、かぁ」
気の抜ける欠伸をして、シンはふるふると首を左右に振った。
「とっても長い時間を寝て過ごしたから、覚えていないことも多いよ。断片的な思いででも良い?」
「勿論! シンのことがもっと知りたいだけだから、どんなことでも話してよ」
「ぼくも聞きたい! ね、シン話して」
ユーギとユキにせがまれ、シンはこそばゆい気持ちで笑った。どんな思い出も、銀の華の仲間にならば笑って話せる気がする。
「じゃあ、幾つか。思い出せる範囲で」
シンはそう言って、地面に一番近い枝に着地した。そのすぐ下では、ユキとユーギが木の幹に背中を預けてシンの話を待っていた。
ある時。シンは神殿傍の木の上に寝ていた。
当時、神殿周辺は拓けていて、森ではなく、草原に近い様子だった。また木々はといえば、まばらに生えていたのだ。
この頃、
「竜神さま」
「あ、こんにちは」
「こんにちは」
木の上に寝転ぶシンに挨拶をした少女は、神殿を眺めながらシンの休む木の幹に背中をくっつけた。ひんやりとした幹の感触を心地良いと感じ、そっと目を閉じる。
少女は、この近くの村の娘だ。時折一人でここに来ては、シンと少し話をして帰る。
たった一時間程の時間だが、シンにとっては楽しみで待ち焦がれる時間でもある。
ただ、いつもシンは少女が話し出すまで口を開かない。何か理由があってここへ来る彼女が、話したいことをたくさん話させてやりたいから。
だから、待つ。目を閉じて、気のないふりをして。
「あのね」
「うん、どうしたの?」
シンが話すよう促すと、少女は大きな瞳をキラキラさせた。ずいっとシンに手のひらに乗せたものを見せる。
身を乗り出して見れば、四つ葉のクローバーだ。
「これ、見付けたの! しかも二つも!」
「二つも? 凄いね」
シンが褒めると、少女ははにかみ嬉しそうに微笑んだ。そして、ありがとうと小さな声で言う。
「だからね、幸せのおすそわけだよ」
「くれるの? ボクに?」
目を丸くしたシンに、少女は不思議そうな顔をした。驚かれた理由がわからないらしい。
「だって、竜神さまはわたしのトモダチでしょ?」
「トモダチ……」
「そう! だから、トモダチには幸せになってほしいの」
邪気のない、屈託のない笑顔がシンに向けられる。
シンは、この世に生を受けて長い時間が経っていた。その中で人間と交流を持ったことは数える程しかなく、少女はその珍しい一例だ。
だから、こそばゆくも嬉しい。温かい気持ちが溢れてくる。
「ありがとう」
シンは枝から離れて翼を動かすと、少女の前に移動した。そして、小さな手を伸ばしてクローバーを受け取った。
鮮やかな緑色の四つ葉のクローバーは、少ししなびている。それでも、シンはクローバーを抱き締めた。壊さないよう、優しく。
「……ありがとう、カグリ」
「ふふっ。どういたしまして、竜神さま」
カグリと呼ばれた少女は、面映ゆそうに微笑んだ。
「ばいばい、また来るね」
カグリが手を振って帰って行ったのは、西の空が赤く染まり切ってからだった。いつもよりも長く居させてしまったことを悔いながらも、シンは楽しかった時間を反芻する。
夜が近付き、闇の住人たちが目を覚ます。梟が目を光らせ、猫や鼠が我が物顔で闊歩を始める。
「ボクも、そろそろ戻らなくちゃ」
そう呟くと、シンは世界を眺めていた木の上から飛び立つ。ぱたぱたと翼を動かし、神殿に入っていく。
神殿は、シンの家だ。大昔、シンの父が生きていた頃から建っているそれは、人間と竜の絆の証なのだと聞いた。
「……絆というか、大き過ぎる竜の力を封じ込めてるだけだけどね」
楔のように、首輪のようにシンを閉じ込め離さない神殿。半径一キロ圏内から出ようとすれば、体を雷が貫く。互いの生活圏を定めて侵させないようにすることで、人間は竜と共存してきた。
神殿の由来を話してくれた父は、少し諦めのにじんだ笑顔だった。
「さ、寝よう」
神殿の奥。祈りの間の更に奥に、竜の台座がある。その冷たい石面に丸くなり、シンは目を閉じた。
カグリが次に遊びに来るのはいつか。明日か、明後日か。そんなことを考えるだけで、頬が緩む。
―――それが、温かな時間の最後だとも知らずに。
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