ツユ─1 木苺を探して
ツユは、自我が芽生えた時には自分が特別な存在だと知っていた。
古来種の祖神と伝わる女神に仕え、古来種が安らかであることを願う
毎朝の
禊が済めば、朝食。精進料理程の規定はないが、食卓にパンケーキやドリア等のツユにとっておしゃれな料理が並ぶことはない。
それが自らの体が人より虚弱な為だと知るのは、もう少し成長してからだ。
しかしそんな退屈な日常は、ある出逢いを経て変わる。
朝。小鳥の声で目を覚ます、ということはない。朝御飯のにおいと、日の光の眩しさが目覚まし時計だ。
そして、身支度をして食事をするまでは今までと変わらない。
変わったのは、ここからだ。
「よぉ、ツユ」
「おはようございます、ツユ」
「おはよう。クロザ、ゴーダ」
五歳の時、二人の少年を紹介された。
彼らはこの里で当時唯一の子どもだった、クロザとゴーダである。二人はツユの友人として、護衛として集められた。
「今日は何処に行く?」
「まずは先生の所に行きますよ」
「ええっ。オレ、勉強したくないんだけど……」
「つべこべ言わないでくださいよ」
クロザの辟易した顔を見ても、ゴーダは全く動じない。それどころか、叱る始末だ。
クロザは未来の
「ふふっ、わかった。勉強が終わったら、森に遊びに行こう」
「おっ、良いな。じゃあ、さっさと終わらせようぜ!」
「あ、待ってください」
ツユの提案を快諾したクロザは、二人を置き去りにして塾へと走り出す。
この里では、子どもは一定の年齢になると塾と呼ばれる学校のような場所に通うようになる。そこで、生きるために必要な勉学や技術を身に付けるのだ。
「全く……遊びとなるとすぐこれです」
「でも、いつもクロザはきちんと勉強してるよね?」
肩を竦める一つ年上の幼馴染みに、ツユは小さく笑って弁明した。あれだけ嫌だと言っている塾だが、クロザは好成績をおさめて通い続けている。
ツユの言葉を聞き、ゴーダは「わかっていますよ」と苦笑した。
「何だかんだ言いながら、
クロザと同い年のゴーダは、ツユと出会った時には既に丁寧な言葉遣いで話していた。それが従者として当然の振る舞いだ、と信じているのだ。
「堅苦しいなぁ、ゴーダは」
「性分なものですから」
ツユの呆れ声にも、ゴーダは動じない。
諦めて、ツユは彼の手を引いた。もうクロザの姿は見えないが、おそらく既に塾の中だろう。
「クロザが待ってる。行こう!」
「そうですね」
塾の時間が終わり、三人は約束通りに森へとやって来た。
秋風が心地よく頬を撫で、美しく色を変えた木の葉を舞わせる。その煽りを受けて、ツユの赤い髪が翻った。
「きゃっ」
「大丈夫か、ツユ」
長い髪が視界を邪魔する。それをかき分け整えてくれたのは、傍に立っていたクロザだった。
「あ、ありがとう……」
ツユは照れて下を向いた。
何故かツユはクロザに触れられると恥ずかしくなって、彼の顔を直視することが出来なくなる。それは何故かと物知りなゴーダに尋ねたことはあるが、今にわかるとはぐらかされてしまった。
「この先に、美味しい木苺があるんだって。それを探しに行こうよ」
疑問に蓋をして、ツユは二人に提案する。
木苺の話を教えてくれたのは、屋敷の使用人だ。使用人とはいえ、年の離れたお姉さんのように感じる女性である。
彼女が、以前薬草を取りに行った時に見つけたと言う。その証拠となる木苺も彼女が持ち帰り、食べさせて貰ったから確実だ。
そう熱弁するツユをまじまじと見て、クロザとゴーダは顔を見合わせた。そして、くすっと笑う。
「暗くなる前に帰りますよ?」
「探そうぜ、木苺!」
「ありがとうっ」
三人はツユが聞いた証言を頼りに、森に出来た獣道を歩いて行く。
「こっちか?」
「うん。お姉さんがいつも通るのはここ」
クロザが指差す方を見やり、ツユは頷いた。何度も彼女と共に森に入ったことがあり、道は覚えている。
しかし、木苺のありかだけは知らなかった。
「お姉さんは、いつも薬草を採る場所の更に奥って言ってた。ここの、もう少し先」
ツユたちが今いるのは、薬草がたくさん生えている一角だ。それらを通り抜け、より森の奥へと向かう。
「足下に気を付けろよ」
先を歩くクロザの声が飛んで来る。
ツユはゴーダの後に続き、三番目を歩いている。森は段々と密度を増し、木々に隠れて空が見えなくなっていく。
足下が見え辛くなり、ゴーダはツユを気にしながら先を行くクロザに向かって声を張り上げた。
「クロザ、速いです。もう少しスピード落として」
「お前らがもっと早く歩けばいいだろ?」
「そうじゃないんです……って、聞いてない」
すみませんと謝られ、ツユは首を横に振った。
「いいの。クロザが先に木苺を見付けてくれるかもしれな――」
「うわあっ!?」
ツユとゴーダは顔を見合わせた。今の声は、悲鳴はクロザのものではないかと。
聞こえない程小さな音で舌打ちし、ゴーダはツユを振り向いた。
「先に行きます。ツユは後から来て下さい」
「わかった」
ツユが返事をすると同時に、ゴーダの歩く速さが変わる。駆け足になり、全力疾走に変化した。草や蔦で進みにくい森の中だが、ゴーダの進行を遮るものはないように見えた。
「あた、しも」
ツユはない体力を総動員して、もたつく足を叱咤して進む。息は切れて、呼吸に雑音が入る。普段ならば足を止めるが、今は進んでいたかった。
「―――ザ、クロザッ」
「聞こえてるって。デカい声だな……」
「ゴーダ、クロザ、は……?」
声が聞こえることから、無事なことは間違いない。しかし姿のないクロザを不安に感じ、ツユは地面に膝をついているゴーダに尋ねた。
「ああ……ここ、ですよ」
「ここ?」
ゴーダが指で指し示すのは、下。よく見れば、彼がいる場所より前は崖になっている。そこから下を覗くと、滑り落ちたらしいクロザが力なく手を挙げた。
「よお、ツユ」
「よお……って、大丈夫!?」
暗がりだが、クロザが膝や腕、頬をすりむいているのがわかった。赤く染まった傷口に怯え、ツユは泣きそうな声で問う。
ツユの声に驚いて目を見張り、クロザはすぐに歯を見せて笑った。
「おう、これくらいなんとも……」
「何ともないなんてことはありません。ほら、僕の手を掴んで」
すぱっとクロザの強がりを斬り、ゴーダが崖下に手を伸ばす。幸いにも手の届く範囲にクロザがいた為、ツユも手伝って引き上げた。
「……本当に、心臓が止まるかと思いましたよ」
「悪い。ありがとな」
「無事でよかったぁ」
念のためにとゴーダが持っていた救急セットで治療し、三人は笑みを浮かべ合った。
「歩けますか?」
「ああ。折れてもいないし、大丈夫」
「今日はもう、帰りましょうか」
クロザは怪我をしたし、日も暮れて来た。木苺を探すのは明日でも良いだろうというゴーダの提案に、ツユは内心残念に思いながらも頷く。
これ以上、誰かが怪我をしたら辛いからだ。
クロザが動けることを確認し、三人は里へ向かって歩き出そうとした。
「あ……」
「どうしたの、ゴーダ? あっ」
「何だよおま、えら……あれはっ」
三人の視線の先に、わずかに見えた赤いもの。西日になった光が枝の間から射し、森の奥の何かを照らし出す。
「行くぞ」
顔を見合わせ頷き合うと、三人はゆっくりとその赤いものへと向かって歩いて行く。
「……うわ」
「凄い」
「綺麗っ」
ツユたちの前に、たくさんの木苺が現れた。
低い木に、鈴なりになった木苺が日の光を浴びて輝く。それらと同じように目を輝かせた三人は、同時に実へと手を伸ばした。
それからしばらく、三人は賑やかに木苺を食べた。
リスのように頬に木苺を詰め込むツユを見て、クロザとゴーダが笑う。
「むー、二人共笑い過ぎ!」
「だって、面白んですもん。ふふっ」
「ああ、すげぇ可愛い」
「……へっ!?」
「あ……」
クロザの言葉に赤面したツユを見て、ゴーダが「あちゃ~」という顔をした。その微妙な雰囲気の意味を察すことが出来ず、クロザは首を傾げる。
「何だよ、二人共?」
「えっ? あぁ……」
「ほ、ほらっ。もう暗くなりましたし帰りますよ!」
確かにゴーダの言う通り、辺りは暗くなっていた。
三人は口の中の木苺を急いで食べると、家族へのお土産を鞄に詰めて歩き出した。
一度通った道ならば、ゴーダが間違えることはない。彼の魔力があれば、迷子になることだけはないのだ。
里の明かりが見えて来た時、クロザが「あっ」と何かに気付いた。
「クロザ?」
「オレたち、絶対怒られるよな。ゴーダ」
「……こんな時間まで帰らずに、怪我もしましたしね」
「うっ」
気付きたくなかったことに気付いてしまい、三人の表情は暗くなる。
そのまま帰りたくなくて、ツユは「でも」と努めて明るい声を出した。
「あたし、倒れずに元気だよ! いつもなら、もうとっくに倒れてるもん」
「それ、自慢にもならないぞ」
「そうだけど! ほら、良いこともあったじゃない」
背中のリュックを揺らし、ツユは微笑む。彼女の笑みを見て、クロザとゴーダも笑い合った。
帰宅後、三人はやはり揃って叱られた。
それでも笑顔だったのは、三人でいたからなのかもしれない。
「あ……」
更に、ツユは気付く。走ってあれだけしんどかったにもかかわらず、あの苦しさがもう消えていることに。
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