ゴーダ─1 敬語を使わないわけ

 ──お前は、クロザくんを支えてやってくれ。

 幼い頃、父親から言われた言葉だ。なんてことはない一言だが、これが僕の一生を決定付ける。


 とあるよく晴れた日の朝。クロザとゴーダはいつものように、里の中心にある大きな木の下で待ち合わせた。

「おはようございます、クロザ」

「おはよ、ゴーダ。今日はあっちに行ってみようぜ!」

 元気な笑顔を見せ、クロザは北の森の方を指差した。小さな頃から何度も出入りし、勝手知ったる庭のような場所だが、奥まで行かずに引き返すのが常だ。

 というかある地点まで行くと、それ以上先に進めなくなる。まるで、何かに遮られて戻されるかのように。

「だから、今日こそはあの謎を解明するんだ」

「解明って。どうやってするつもりです?」

 ゴーダが尋ねると、クロザは「……」と腕を組んで考え込み、力強く拳を握り締めた。

「それは、これから考えるんだ」

「……だと思いましたよ」

 ため息を呑み込んで苦笑したゴーダに、クロザは頬を膨らませる。そして、ゴーダの手を引いて森へと向かった。

 まだ十歳にもなっていなかったこの頃、ゴーダはクロザに丁寧な言葉遣いをしていた。その理由は、父親の言葉にある。

 仕えるべき主人なのだから、一線を引いて接するべきだと考えたのだ。その考え方は決して間違っていないが、同時に適当でもない。

「本当にあそこまで行くんですか?」

「? そうだけど」

 秘密基地の横を素通りし、更に森の奥へと入っていくクロザ。彼の背を追いながら、ゴーダは言い知れない不安にさいなまれていた。

(この先にあるのは神さまの領域だって、クロザも知っているはずなのに……!)

 森の奥深くには、この世界を創り出した神さまの住まう場所がある。だから、神ではない者が立ち入ることは許されない。

 その言い伝えがあり、更に進んでも元の場所に戻るという現象が存在する。真偽は兎も角、進めない以上は信じるしかない。

 しかし、クロザはゴーダが止めても歩みを止めない。ゴーダも「戻る時は戻るで納得してくださいよ」と言って、クロザの後を付いて行く。


 しばらく進むと、霧が立ち込める領域にやって来た。この先が、決してたどり着けない神の領域だ。

 ごくり、とクロザが喉を鳴らす。後ろに控えるゴーダを振り返り、少し緊張した面持ちで口を開く。

「行くぞ」

「わかりました」

 ゴーダが頷くと、クロザは再び彼の手を取った。

 しっかりと互いの存在を感じて、二人は同時に駆け出す。

 少年たちの体を霧が包み込み、消える。

「ああっ、駄目かぁ」

 そして、無情にも元の場所に戻してしまった。

 頭を抱えうずくまるクロザを「だから言ったのに」という顔で見下ろすゴーダ。しかしクロザは、すぐに立ち上がった。

「よし、もう一回!」

「まだやるんですか」

「一回で諦められるかよ」

 ほら行くぞ、とクロザはゴーダを急かす。

 ゴーダもゴーダで、クロザの挑戦が楽しくなってきた。だから、積極的には止めない。

「仕方ありませんね」

 そう言いつつも、何処か楽しげなのは否めない。

 それから何度も、十回以上は霧の向こう側に行こうと試みた。

 西の空に日が沈み、空が藍色に染まった頃。

「あぁもうっ! 何で行けないんだぁ!」

「く、クロザ……はぁ……もう帰りませんか?」

 もう何度繰り返したかわからないが、そろそろ足が棒になりそうだ。疲労を訴えるゴーダに、クロザはあと何回かの試行を提案しようとして、やめた。

 何故なら、腹の虫が鳴ったからだ。

 ───ぐうぅぅぅ

「……」

「……」

「……ふっ」

「あ、吹き出したな!?」

 我慢し切れずに笑い出してしまったゴーダは、クロザにむくれられて益々大きな笑い声を出す。もう目尻に涙が浮かぶ程だ。

「……そんなに可笑しいのか?」

「はっ、はは……。あー、もう駄目です。お腹痛いっ」

 お腹を抱えて大笑いするゴーダを見ていたクロザも、やがてつられて笑い出す。

 二人の笑い声は、星の輝き出した夜空に昇り、飛散していった。


 とっぷりと夜が更け、少年二人は里への道を歩いていた。月と星が照らしてくれるとはいえ、暗がりはやはり怖いものがある。

「ランタンくらい持って来ればよかったですね」

「まあな。けど、まだ大丈夫だろ」

 魔力を持っていても、こういう時はあまり役に立たない。気楽な様子のクロザに脱力し、ゴーダはそっと魔力を行使した。

 ゴーダの魔力は透視能力であり、遠くのものを見ることが可能だ。これで、正しい道をあるいているか知ろうとしたのだが。

「……クロザ、道を間違えてます」

「え?」

「この先を『視』ても、里が見えません。たぶん、反対方向……」

「戻るぞ」

 くるりと後ろを向いたクロザだったが、はたと立ち止まる。今前に見えている森は暗く、大きな黒い口を開けているように思えたのだ。

 ふと、恐怖が背中を駆け上がる。

「……い、行くぞ」

「待ってください、クロザ」

 闇雲に足を踏み出すクロザの手首を掴み、ゴーダは制止した。そして何か言いたげなクロザをスルーし、暗闇を見詰めて魔力を使う。

「……行きましょう」

「行くって。──うわっ、引っ張るなって!」

「帰りましょう」

 ぐいぐいと自分の手首を掴んだまま歩くゴーダの背を、クロザは懸命に追う。ゴーダは昼間のように周りが見えているのか、一切の迷いなく歩いていく。

 やがて、視界にわずかな光源が見えた。更に、周囲の景色がよく知るものに変わっていく。

 ガサガサ、と足元を覆う草むらを掻き分けて出ると、そこには夜に沈んだ里があった。

「……戻れた」

「よかった。さあ、帰りましょう」

「物凄く怒られそうだけどな」

「言わないでください」

 二人が村長であるクロザの家に戻ると、彼の両親が出迎えた。そこにはゴーダの両親とツユの父親もいて、二人を驚かせる。

「全く、どれだけ心配したと思っているんだ!」

「お前たちに何かあったら、私たちは生きる心地がしないんだぞ」

 案の定、二人の父親にこっぴどく叱られた。

 しかしそれ以上二人に響いたのは、ツユの父が言った言葉だった。

「ツユがきみたちのことを心配してね、夕方まで辺りを探していたんだ。今は、歩き疲れて家で寝ているけど。……明日、元気な姿を見せに来てくれないかな」

「「すみません。わかりました」」

 少年たちの返事に頷くと、ツユの父は自宅へと帰っていった。

 その後、クロザとゴーダは夜食にとお握りを二つずつ出してもらって空腹を満たした。

「なあ、ゴーダ」

「何ですか、クロザ?」

 ゴーダが父親と共に帰宅する時、クロザに呼び止められた。振り返ると、少し渋面気味の顔がある。

「クロザ?」

「……お前、敬語やめろよ。同い年だろ?」

「でも、僕はクロザの──」

「オレの友だちじゃないのかよ」

「───っ!?」

 ゴーダの中に衝撃が走る。まさかクロザが自分のことを『従者』ではなく『友だち』だと考えていた等と、思いもしなかったからだ。

 驚いて硬直してしまうゴーダに詰め寄り、クロザはニッと笑った。

「オレの幼馴染みで、親友だ。……違うのか、ゴーダ?」

「僕が友だちで良いんですか?」

「友だちなんて、改めて言うのも恥ずかしいけどな! オレはゴーダが良い」

「! ……ありがとう、クロザ」

「こっちのセリフだ。これからも宜しくな、ゴーダ」

「うん!」

 満面の笑みを浮かべ、ゴーダはクロザに差し出された手を握り返した。そして、クロザがとても緊張していることを知る。

 それが何だか可笑しくて、ゴーダは笑い出した。するとそれにつられるように、クロザもお腹を抱えて笑い出す。

 真夜中の元気な笑い声を、月と星が見守っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る