アイナ─1 義父との約束

 高崎美里たかさきみさとことアイナ・レーズは孤児だ。

 物心ついた頃に獣人によって両親を殺され、ソイルという男に養子として引き取られた。成長してから晶穂たちに出逢うのだが、これはそれより前の物語。


「アイナ、何処だ?」

 ソディールのとある田舎町に、若い男の声が響く。

 男はキョロキョロと周りを見渡しながら、物陰や背の高い草むらの中を掻き分ける。時折通り過ぎる通行人が怪訝な顔をするが、意に介さない。

 男の名は、ソイル。とある組織に所属しながら、一人の少女を育てている。

 彼の属する組織については、また別の機会に。

 兎も角も、ソイルは若干の疲れをにじませながら歩いていた。

「……あ」

 商店の陰に、見慣れたツインテールの端が見えた。しゃがみこんだままゆらゆらと揺れるそれは、何かを誘っているようにも見えた。

「アイナ」

「あっ、ソイル!」

 こちらを向いた少女は、パッと地面を指差す。そこには、蟻の行列があった。

「こいつら、何してるの?」

「蟻の行列だ。餌を運んでいるのか探しに行っているのか、他の理由かどれかだろう」

「ふぅん……」

 ソイルの雑な説明を真に受けて、アイナはじっと蟻の行列に見入っていた。しゃがんでそのまま動かないものだから、五分後、ソイルは小さな背中に尋ねてみる。

「アイナ、足は大丈夫なのか?」

「……」

 答えずにいたアイナだが、見れば足下が震えている。しばし待っていると、ペタン、と尻もちをついた。

「アイナ?」

「……足、痺れた」

「だろうな」

 苦笑し、ソイルはアイナの足の痺れが治まるのを待つ。彼女が立てるようになってから、背中を見せてしゃがむ。

「ほら、おぶされ。帰るぞ」

「うん」

 素直に頷いたアイナの体重が、ソイルの背中にのし掛かる。まだ九歳の少女の重さなど、二十代のソイルにとっては軽いものだが。

 きゅっと肩を掴むアイナの手が温かい。しばらくして、彼女の頭が力を失った。

「……寝たか」

 背負われて揺れ、いつの間にかアイナは夢の世界に旅立っている。

「こんな子が、復讐なんてな」

 自らの境遇を棚上げして憐れまれているなどとは露知らず、アイナはただソイルに体を預けていた。


 ふと目を覚ますと、アイナはたった一人で森の中に立っていた。先程までソイルの背中に背負われていたはずだが、彼の姿は見当たらない。

 アイナは急速に不安に襲われ、身を震わせた。

「ぱぱ、まま?」

 見回せど、両親の影も形もない。アイナは自分の記憶が後退していることには気付かず、恐る恐る一歩を踏み出した。

 風はなく、動物の鳴き声も聞こえない。ただ、静かな木々と草花の共存があるだけだ。

 たった一人で歩いていると、ふと懐かしい気配を感じた。キョロキョロと見回すと、木々の向こうに大好きな両親が見える。

「ぱぱ、まま!」

 目を輝かせて走り出したアイナは、両親を呼びながら懸命に足を動かす。しかし、一向に距離は縮まらない。更に、彼らもアイナに気付かない。

「ぱぱ、まま!!」

 一層声を張り上げるが、全く気付く様子もない。

 流石におかしいと思いながら走っていたアイナだったが、立ち止まらざるを得なくなった。

 目の前で、獣の爪が振るわれたからだ。太い牙が首を切り裂くのを見たからだ。

「ぱぱ、まま……?」

 両親の傍に膝をつき、アイナは両親の体を揺する。いつものように笑顔で抱き締めてほしい、と願いながら。

 しかし、その願いは空しく散る。

 徐々に広がる血の海が、否が応でも現実を知らしめる。自分の手のひらを見れば、赤い液体がこびりついていた。

「あ……あぁ……っ」

 少女の慟哭が響く。何が起こったのか瞬時に理解させられ、大粒の涙が止めどなく流れる。

「いやぁ、いやぁ」

 ぶんぶんと頭を振り、起こったことを否定しようとする。しかし過去に起こった真実が何ものであろうと、アイナはそれが消えないと知っていた。

「───味わわせてやる」

 物騒な言葉が。アイナの幼い唇をつく。

「ぱぱとままが味わった苦痛を、絶対に刻み付けてやる!」

 ぼろっぼろと涙を流しながら、幼いアイナは金切り声で叫んでいた。


「……アイナ?」

「───っ、ソイル」

「どうした? 寝ながら泣いてたぞ」

 アイナが目を覚ますと、そこは住み慣れた我が家だった。我が家となったのは何年か前だが、アイにとって、この家は安らげる唯一の場所となっている。

 天井からは照明器具がぶら下がり、四畳と少しの部屋の中に布団が敷かれている。壁にはカレンダーが一枚掛けられている。

 窓の外には、日が暮れる印の赤っぽい空が広がる。射し込む光も、心なしか赤い。

 布団の上に仰向けになっているアイナを、ソイルがおっかなびっくりした顔で見下ろしている。何故そんな顔をしているのかと不思議に思いつつ、アイナは自分の頬に触れた。

「……濡れてる」

「言っただろう。寝ながら泣いていたんだ、お前は」

「泣いてた?」

 アイナは寝ている時のことを思い出そうとしたが、何故か霧の向こうにあって思い出せない。一先ず寝間着の袖で涙をぬぐい、上半身を起こした。

 彼女の頭に、ポンッと大きな手が置かれる。その主はと言えば、心配そうにこちらを見詰めていた。

「熱でもあるのか? それとも、腹でも痛いのか?」

「ちょっ、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」

「それなら良いが……。何かあれば言うんだぞ」

 それがどんな些細なことでも、どんなに大きなことでも構わない。ソイルは笑って、アイナの頭を撫でた。

 されるがままのアイナは、うんと頷く。

「アイナは、ソイルの傍にいる。だから、何かあってもソイルが守ってくれるもんね」

「……そうだな。約束だ」

 ソイルが小指を差し出し、アイナにも同じように指を立てるよう促す。二人の指が絡んで、小さな約束が交わされた。

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