ダクト─2 一転した未来

 ≪火事の描写あり。苦手な方は飛ばしてください≫ 


 両親の結婚記念日を祝った翌日、ダクトは一人学校へ行った。ガチャガチャと通学鞄が背中で音をたてる。

 両親は珍しく共に休日で、一日フェリアと共に過ごしてくれるのだという。

「いつもダクトに任せきりだから、たまには羽を伸ばしなさい」

 母はそう言って、ダクトを送り出した。

 本当はダクトも両親に甘えたかったが、学校から帰ったら思い切り甘えようと決めていた。それまでは、フェリアに譲ってやろう。

「ダクト、帰りに寄り道しようぜ」

 放課後、声をかけてきたのは学友の一人だった。聞けば、数人で駄菓子屋に行って帰るのだという。

 ダクトは一瞬迷った。しかし、両親に言われたことを思い出し首肯する。

「行くよ」

「よし、一人ゲーット」

 学友はダクトが一緒に来るというとを了承したことを喜び、他数人を呼び寄せた。普段あまり誘いに乗らないダクトが了承したことが、とても嬉しいのだと言った。

 それからダクトは、学友四人と共に鞄を背負ったまま遊びに行った。駄菓子屋で買い食いし、公園で日暮れぎりぎりまで遊んだ。

「楽しかった。また明日な!」

「うん。また明日」

 公園を出て、二手に別れた。更に、次の十字路で一人になる。

「楽しかったな、久し振りに」

 うーんと手を上に伸ばし、ダクトは軽い足取りで帰路を急いだ。

「……ん?」

 すると、ふと鼻腔に触れるにおいにダクトの神経を逆撫でした。

「何だ、このにおい。……焦げ臭いような」

 何処かで火事でも起こったのだろうか。ダクトは不安になり、歩き方を変えた。小走りに、次いで全力で駆け出す。

「はぁ、はぁ、はぁっ」

 我が家へと近付けば近付く程、においが濃くなる。その中に血のにおいが混ざり込み、危機感が煽られた。

 あの角を曲がれば、自宅は目と鼻の先だ。そう思うと同時に、最悪のシナリオが脳内を駆け巡る。

(ない、ない……絶対、ない!)

 悪い予感を振り払うように、ダクトは手と足を懸命に動かした。

 つんのめりそうな勢いで角を曲がり、ダクトの足が止まった。

「……嘘だろ」

 目の前で、自宅が燃えていた。炎は天を突き、駆け上がるようにして燃え盛っている。

 消火をするために水の魔力を持つ魔種や獣人で構成された消火団が大声で叫び、互いに指示を出し合っている。魔種が消火を行ない、獣人はその手助けと野次馬の整理が主な仕事だ。

「ああ……ダクト」

 ぼんやりと消火の様子を見ていたダクトを、お隣さんが見付けて駆け寄って来た。彼は老年に差し掛かった紳士で、生まれた頃からダクトたちを知っている。

 昔からの知り合いがいたことで若干の安堵を得たダクトは、弱々しい仕草で自宅だったものを指差した。

「おじさん、あれ……」

「ああ、酷いものだな。ダクト、お父さんたちは仕事かい?」

「ううん。今日は……しご、と、じゃない」

 そうだ。両親は今日、フェリアと共に一日家にいたはずだ。では、彼らは何処だ。

 よろけながら、ダクトは家族の姿を探す。火事現場には、野次馬が多くいる。その中から見つけるのは至難の業だが、ダクトはお隣さんに手伝ってもらいながら、懸命に人並みをぬった。

「―――いない」

 探し始めて三十分。野次馬の中を三往復はした。それでも、家族は見つからない。

 火事も消火がほぼ終わり、ブスブスと黒い煙が立ち昇るのみだ。家を構成していた木材は炭と化し、家財道具もほとんどが焦げ落ちている。

 いつの間にか野次馬は去り、そこにいるのはダクトとお隣さん、そして消火団のメンバーのみとなっていた。

「ダクト、顔色が悪いよ。……一度、うちに来るかい?」

「いえ……。もう少しだけ」

 再び歩き出そうとしたダクトの背後で、馬車が止まる音がした。焦げたにおいを嫌がる馬をいなし、一人の女性が降りて来る。

 彼女が現場に入ると、雰囲気が一変した。空気は張り詰め、それまで以上に団員たちの動きが機敏になる。

「―――そうですか」

 凛とした声を響かせた女性は、ふとまだ現場に残る少年と老人を見つけ、首を傾げた。同僚たちに「あれは誰ですか」と問うが、答えられる者はいない。

 女性はダクトの前に膝を折り、目線の高さを同じにした。そして、落ち着いた笑みを浮かべて口を開く。

「……こんばんは。私の名はアリーシア。警吏をしております」

「警吏、さん?」

「そうです。きみの名前を教えてくれますか?」

「……ダクト」

 一瞬の戸惑いの後、ダクトは己の名を名乗った。その横で、お隣さんも自己紹介をする。彼は犬人のクリウスだ。

 アリーシアは二人の名を反芻して覚えると、何をしていたのかと尋ねた。すると、ダクトが目に涙をいっぱいに溜める。

「どうし―――」

「おれの家、なんだ。火事になったの」

「なんですって」

 目を見開いたアリーシアは、その言葉に偽りはないのかとクリウスに尋ねる。彼はこの辺りのおさを務める人物であったため、アリーシアは顔と名前だけは知っていた。

「ええ、彼の言うことは正しいです。……あれは、この子の家です」

 隣接している自宅も壁が一部焦げてしまった。しかし、クリウスにとってそれは些細な事。既に伴侶を亡くした自分には、隣の幼い兄妹が慰めだったのだから。

「そう、ですか……」

 沈痛な表情で、アリーシアはダクトの頭を撫でた。

「あなたは無事だった。……それを今は喜びましょう」

「……」

 なされるがままだったダクトだが、アリーシアの同僚たる消火団の一人が声を張り上げたことで勢いよく顔を上げた。

「来てください、警吏! こちらに―――」

「わかりました」

 眼光が変化する。険しい表情のアリーシアに、ダクトは初めて自分から尋ねた。

「なにが、あったの……?」

「……見つかって欲しくなかったものが、見つかったようです。あなたは、クリウスさんと一緒にいて下さい」

 それだけ言うと、アリーシアは火事の現場へと駆けて行ってしまった。

 残されたダクトは、クリウスに問う。何があったのだろうか、と。するとクリウスは悲しそうな顔をして、ゆっくりと頭を振った。

「いずれ、連絡が来る。ダクト、少し時間を置こう」

「?」

 何を言っているのかと尋ねたかったが、クリウスは首を振るだけだ。このままでは、ただ家から離れてしまう。

「―――ごめん、クリウスさん。ありがとう」

「何を……。ダクト!」

 クリウスの手を振り切り、ダクトはアリーシアを追った。その緊迫した様子に、消火団の誰も彼を止めることは出来なかった。


 焦げ付いた嫌なにおいが立ち込め、ダクトは顔をしかめた。しかし立ち止まることはなく、真っ直ぐに自宅の中を進む。

 家の中は酷いものだ。全てが焼けこげ、原形を留めていない。

 しかもそれだけではなく、物が散乱していた。食器類は棚から離れた場所にも散らかり、椅子や机が横倒しになっている。それらを不思議に思いながらも、ダクトは両親の寝室を目指した。

「……な。これは」

「ええ。……かもしれません」

(アリーシアさんかな)

 寝室の方向から、アリーシアともう一人分の声が聞こえる。ダクトはにおいに慣れた鼻を動かし、顔をしかめた。生々しいにおいが残っているのだ。

(これ、もしかして……?)

 ―――ガタッ

「誰ですか?」

「っ」

 声を殺したが、もう遅い。アリーシアが寝室から顔を覗かせ、ダクトを見付けた。

「きみは―――」

 心底驚いた顔をした後、アリーシアは沈痛な面持ちになった。その変化を見て、ダクトは己の軽率な行動を悔いた。

「ごめんなさい。……でも、ここはおれの家だからっ。気になって」

「気になるのは仕方がないでしょう。だけど……きみにはまだ、知らないでいて欲しかったのです」

「え……?」

 ふわり、と温かいものがダクトを覆う。それがアリーシアであったと知るのは、彼女が体を離してからだった。

「アリーシア、さん?」

「……今ここで、話すべき話ではないでしょう。けれど、きみはいつか知らなくてはなりません」

「先輩」

 アリーシアと共にいた魔種の青年が、彼女を制する。しかし、アリーシアは首を横に振った。そして、ダクトと目線を合わせる。

「今から、私たちが推測したこの火事についての全貌をお話します。とはいえ、現場検証でのみわかったことからです。多分に推測が入っていることを忘れないでください」

「……はい」

 神妙に頷いたダクトの背を押し、アリーシアは家を出た。外には心配していたクリウスが待っていて、二人を涙顔で出迎える。

 アリーシアと共に、二人は近くの警吏駐在所に入った。小さな個室で椅子につくと、アリーシアは二人を前にして話し始めた。

「……火事の現場には、三つの遺体がありました」

「いた、い」

「はい。―――ダクトくんのご両親と妹さんで間違いないでしょう」

「!?」

 ダクトの顔から血の気が引く。ふらついた彼を、クリウスが隣で支えた。

(嘘だ。嘘だ。―――嘘だ)

 アリーシアの説明が頭に入って来ない。隣のクリウスの温かさも遠退いて行く。

 絶望の淵に立たされたダクトの耳に、かろうじて入ってきた言葉があった。

「遺体の首には、噛み千切られた形跡がありました。これは……獣人に殺された上に証拠隠滅の為に放火されたのだと推察されます」

(獣人に、殺された……?)

「でも、何故」

「クリウスさん。……今ちまたで、人間を滅ぼして魔種と獣人だけの世界を正義と崇める人々がいることをご存知でしょうか」

 アリーシアの問いに、クリウスは首を横に振った。

「彼らには名がありません。しかし、この世界に散らばった悪意がこんな近くまで来ているなんて……」

 その後の会話は、ダクトの耳に入っていなかった。彼はいつの間にか駐在所を離れ、家事の現場に赴いていたのだ。

 ふらつく足取りで、自宅の中へと向かう。においも何もかも、既に感覚の外だ。

 寝室に入り、まだ回収されていなかった遺体と対面する。

「……お父さん、お母さん。フェリア」

 間違いない。間違いなく、ダクトの家族だ。

 ダクトは、己の中に何かが堰を切ろうと蠢いているのを自覚した。それは怒りのようであり、悲しみのようであり、溢れ返る感情の渦であった。

「――――赦さない。おれは決して、赦さない!」


 その後、クリウスの前からダクトが消えた。あの晩、無理やりにでも共に宿に泊まればよかった、と彼は何度後悔したかわからない。


 十数年後、十数名の人間の青年たちのよる団体が設立される。その名は、狩人かりゅうど

 狩人は、人間のための世界を創るために活動する組織だった。

 そのボスたる青年は、幼い頃に家族を獣人に殺されたのだという。大きな悲しみを抱えた同志たちが集まったのだ、と彼は言った。


 ―――これは、原初『狩人』誕生までの物語。



 ―――――――

 ❀ダクト

 本編前半における諸悪の根源。死してなお、世界に影響を及ぼし続けた。

 かつては家族が大好きで元気な少年だった。


 ❀アリーシア

 町の警吏。部長職にあり、その人柄を買われている。人間。

 ダクトの家族の事件は、彼女にとって最も後悔の残る事件だった。


 ❀クリウス

 ダクト家族のお隣さん。犬人。

 夫人を亡くし、ダクトとフェリアを本当の孫のように可愛がっている。

 ダクトが行方をくらました後も、死ぬまで彼を探し続けていた。


 次回は、アイナ(高崎美里たかさきみさと)の物語。

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