第21話
祈に言えない秘密ができてしまった。さっきのこともあって、余計に家に入れない。
「どうしたの、水羽?家、誰もいないの?」
「‥‥‥」
でも、後ろに五月くんがいる限り、家に入らないという選択肢はない。どうしようかとあたしは足りない頭を巡らせるが、一向にいい案が思いつかず、結局入るしかなくなった。
「‥‥‥ただいま」
あたしはなるべく音を立てないようにして、階段をゆっくりと登る。よし、大丈夫だ、と自室のドアノブに手をかけようとした、その時。
「‥‥‥続、ちゃん」
あたしの体はピクリと震えた。絶対、バレてないと思ったのに。
「小桃、ちゃん‥‥‥!」
祈の部屋から顔をのぞかせてこちらを見ているのは、紛れもない、今一番会いたくなかった、神宮院小桃ちゃん、だった。小桃ちゃんは祈の部屋からでて、あたしの前にやってきた。あたしは全く動くことが出来なかった。
「さっきは、ごめん」
小桃ちゃんは深く、深く頭を下げた。あたしはそれを見て、なんて声をかけていいのかわからずにまごまごしてしまう。
「続ちゃんの気持ちも考えずに、恵まれて育ったウチが、首を突っ込む資格はないのに」
小桃ちゃんは、私と違って恵まれている。そんなの一目瞭然だ。社長令嬢で、宝来学園に通ってる。それに対してあたしは病気で、いつ死んでしまうかわからない。
「小桃ちゃん、頭を上げて」
小桃ちゃんはその声に、躊躇いがちに頭を上げた。
小桃ちゃんなら、言ってもいいのかもしれない。
「あたしは‥‥‥あたしは、病気なんだ」
小桃ちゃんが少し眉をひそめたのがわかった。けれど、あたしは淡々と続ける。
「先天性の難病、四葉病」
あたしは、生まれてからずっと、病院にいたこと。今年の四月に退院し、現在ここに住んでいることを話した。だけど余命のことは――触れなかった。ううん、触れられなかった。単純にあたしが、小桃ちゃんに言う勇気が出なかったんだと思う。
「‥‥‥話すの、嫌だったよね。‥‥‥無理矢理聞き出して、ごめん」
「ううん。聞いてくれてありがとう、小桃ちゃん」
いつの間にか廊下に出てきていた祈と目があったけれど——すぐに逸らした。大丈夫か。そう語りかけてくる瞳が、今のあたしにはとても辛くて、痛かった。
「続、あの」
「ごめん、祈。あたしちょっと疲れたから、部屋で休んでるね」
「続!」
祈の呼びかけも無視して、あたしは部屋に入った。バタン、と響いた大きな音は他でもない、拒絶だ。
あたしはただ、意味もなく泣いた。胸が痛くて、吐きそうなほどに苦しくて。そんな気持ちを押し流すかのように、静かに泣いた。
「五月くん、今日の部活の後、一緒に帰れないかな?」
「え、いいけど‥‥‥二人で?」
「‥‥‥うん」
「おっけ、わかった。待ってる」
じゃ、とあたしは特別教室へ、五月くんは体育をしにグラウンドへ向かう。
早く、彩都くんのことをはっきりさせたい。仲良くなれたこの関係が壊れたっていい。だってあたしは、明日生きているかどうかわからないんだから。
でも‥‥‥そんなことを考えるたびに痛むこの胸は、一体どうしたんだろう。私は数学のノートを開いたまま、特別教室からグラウンドを見下ろした。今日は男女合同でリレーをしているみたいで、十から九人が一チームの四組。五月くんはビブスを着ている。アンカーのようだ。ぱあんっという大きな音が響き、第一走者が走り始める。五月くんのチームの第一走者は祈、そして第三走者は竜田さんだ。五月くんのチームは第四走者が転んでしまったことで、アンカーに渡る時点で約四分の一周の差がついてしまっている。
『頑張って』
あたしは胸の中で小さく呟くように応援した。すると――。
「「「わああああ!」」」
グラウンドは歓喜の渦で巻いた。五月くんは猛スピードで他チームを猛追する。
そして――。
パンパンッ!
五月くんのチームが、一着だった。五月くんのチームの九人が寄ってきて、五月くんを称賛する。その中には、祈もいる。仲良さそうに五月くんと笑い合っていて――少し胸が痛む。
と、五月くんがふと、こちらを向いた。目が合うと、よっしゃ!と言うように笑顔でガッツポーズを見せた。あたしはそれに、小さく手を振り返した。弾けるような笑顔に、少し胸を高鳴らせてしまったのは――内緒だ。
あたしはその日の授業に全く集中できなかった。それに加えて地頭が悪いののダブルパンチで、おそらく次のテストはさようならだろうな、と思う。
「マネ!ボールだしお願い!」
「はい」
三年のキャプテンに言われ、私はセッターにボールを出す。セッターはそのボールをきれいな弧を描いてスパイカーのところに持っていく。そのボールをスパイカーは、反対側のコートに力いっぱい打ち込む。
バンッ!
大きなその音が、私は心地よくて大好きだ。
「ナイストス!」
「おう、ナイススパイク!」
セッターとスパイカーはエアーでハイタッチを交わした。
「水羽、帰ろうぜ」
「うん。‥‥‥ありがとう」
校門を出て、いつもどおり、大通りを通って、坂を登って‥‥‥。その間、話すのはどうでもいいような世間話。あたしはなかなか本題を言い出すことができずにいた。なんだか怖くて仕方がなくて。
「水羽、家ついたぞ。また明日な」
五月くんはじゃ、と片手を上げて、元の道を歩き出そうとする。
これじゃ、意味がない。一歩も彩都くんの事実に近づけないまま、あたしは死んでしまうかもしれない。
「待って!‥‥‥聞きたいことがあるの」
五月くんは振り返って、どうしたの、と言いたげな優しい瞳であたしを見た。
――ああ、怖いなあ。このまま終わってしまいそうで、怖いなあ。事実を知ってしまったら、もう今まで通りに過ごせなくなりそうで、嫌だなあ。
そんな気持ちが胸を一杯にして、あたしは苦しくなる。
「どうした?」
五月くんの声は、どこまでも優しい。あたしはぐっと唇を噛み締めて、覚悟を決めた。
「五月彩都くん、を知っていますか?」
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