第20話
「いの——」
「あいつめ、卑怯な手を使いやがって‥‥‥!」
祈はあたしの携帯を握りしめ、わなわなと怒りで震えている。
「あいつって‥‥‥祈ちゃん、心当たりがあるの?」
「多分だけどね。やるならあいつしかいない」
誰のことだろう。うーんとクラスの人の顔を思い浮かべてみるが、あたしには検討もつかない。
「え、続気づいてないの?」
祈が驚いたようにあたしの顔を見る。
「あたしの知ってる人?」
祈はあたしの答えに大きな溜息をついた。
あたしへの攻撃は、おそらく長尾風子だと祈は言った。でも、正直長尾さんとはあまり話したことがないから、あたしはなんとも言えない。
「もしかして、続ちゃんって鈍感?」
「それ、こもちゃんが言う?」
「え、あたしって鈍感なの?」
「続もこもちゃんも、どっちも鈍感だよ」
「それ、祈が言うことじゃない」
「じゃあ、みんな鈍感ってことで」
あたしは思わず笑みを漏らしてしまった。なんの話をしていたのかわからなくなってしまった。
「こんなこと話してるヒマなんてないよ!とりあえず真麻に連絡!それと掲示板に嘘だって書き込む!」
「え、なんで竜田さん?」
「真麻、顔が広いから」
ああ、たしかに。人懐っこそうだもんね。
「でも虚偽の情報だってこと流したら、自己防衛だと思われて、もっと叩かれることもある」
「こもちゃん?どういうこと?」
「言葉の通り。その情報は嘘だ、とか間違いだ、とか反論しちゃうと、自分を守るために本人が言っていると思われて、余計続ちゃんや祈ちゃんへの風当たりが強くなる」
背筋がぞっとした。そんなこと考えたこともなかった。
「うちの学校、そういうの教えてくれるから。おかげでネット被害、授業に取り入れた三年前からゼロなの」
「小桃ちゃんってどこの学校通ってるの?あたしたちの学校じゃないよね」
「うん、宝来学園」
「宝来?」
うーん、聞いたことあるような、ないような‥‥‥。
「あの学費めっちゃ高いお嬢様学校。え、続知らないの?」
「あー、なんか聞いたことあるような‥‥‥」
「やっば、宝来知らないの?超有名だよ」
「やめてよ祈ちゃん。あんなとこ、ボンボンと親の七光りだらけだよ。まああたしもボンボンだし」
そっか、さすが豪邸の子。でもなんか、ちょっと庶民感あって親しみやすい。まあ、他のボンボンとか親の七光りにあったことは無いんだけど。
「まあ知らなくていいよ、あんなとこ。あたしも入りたかった訳じゃないし。祈ちゃんも続ちゃんも、高校絶対宝来選ばないようにね!」
「学費高いしまず頭が足りない!」
祈はすぐ小桃ちゃんに突っ込むけど、あたしはうまく笑えなかった。
「どうしたの、続ちゃん」
それに目ざとく、小桃ちゃんは気がついてしまう。祈はすっと、あたしから目を背けてしまった。
「‥‥‥そうだね、宝来だけは入らないようにする」
せめてもの笑顔を貼り付けてそう答える。だけど小桃ちゃんは、そんなに甘くはない。
「ねえ続ちゃん。私小さい頃からこの家に遊びに来てたんだ。だけど私は、続ちゃんとは一回も会ったことない。それって変だよね」
小桃ちゃんは、鋭い。あたしはすっと視線をそらしてしまった。小桃ちゃんがそんなことで引くはずないと、わかっているのに。
「‥‥‥教えて、続ちゃん」
小桃ちゃんはあたしの手をとった。温かい、柔らかい手のひら。‥‥‥あたしとは、全然違う。
あたしの手は、こんなに温かくない。痩せ細り、骨ばった不健康な手、腕にはいくつも刺したような跡。これはすべて、注射と点滴によるもの。嫌でもわかってしまう。
「あたしは、‥‥‥小桃ちゃんとは違う‥‥‥!」
力いっぱい、小桃ちゃんの腕を振り払った。小桃ちゃんは驚いたように、そして少し悲しそうに、あたしの顔を見た。あたしは二人の横をすり抜け、家を飛び出した。誰も、追いかけては来なかった。
「あれ、水羽?それとも祈?」
「‥‥‥五月、くん」
ランニング途中なのだろうか、動きやすそうな服装で息は少し弾んでいる。額には大粒の汗が浮かんでいた。
「水羽か。遠くからみるとやっぱわかんないわ」
「近くで見てわかるのも、充分すごいと思うけど」
「まあ、そりゃあ、ね」
五月くんは少し含んだような笑みを漏らした。あたしはああ、と感づいてしまい、小さな笑みを返した。
「水羽、どうしたの」
「‥‥‥ううん」
あたしはどこへ行くでもなく、ゆっくりと坂道を下った。五月くんはあたしに合わせてゆっくりと歩みを進める。
「走ってる途中なら、行っていいのに」
「いや、水羽が心配だし」
彩都くんのことを聞くなら、今がチャンスだと思った。だけどあたしは、何も言えなかった。もしかしたら五月くんの、地雷を踏んでしまうかもしれない。そうしたらもう、話してももらえなくなるかもしれない。あたしは立ち止まってしまった。五月くんも、あたしに合わせて立ち止まる。
「家まで送るよ」
「‥‥‥うん」
どうしてか、彼とずっと仲良くしていられることを、彩都くんのことを知るよりも、あたしは望んでしまっていた。
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