第18話

「はあ‥‥‥」


はっとして飛び起きると、もうあたりは真っ暗だった。あのまま寝てしまったのか。携帯で時間を確認してみると、夜中の三時。出かけたワンピースのままはよくないと思い、面倒だが着替えることにする。階下に降りてみるが、誰もいない。私が夜ご飯食べてないって何みんな寝たのか。しんと静まり返っていた。お腹が空いたがもういい。五時間ほどで朝ごはんだ。

パジャマに着替え、歯を磨いて、また自室に戻る。まだ薄暗い室内で、机の上に置いてある携帯が目に止まった。

五月からのラインを、既読をつけずにそのままにしておいたんだった。携帯を持ったまま、布団に入った。

私は『こちらこそありがとう』、と送った。寝ているだろうから既読はつかないと思っていたが、ほんの十数秒で既読がついた。


「ええ‥‥‥!」


私は驚いて小さく声を上げてしまう。


えんと:なんかあった?

イノリ:別に


私はなんだか無性に五月の声が聞きたくなった。でもそんなこと、言えるわけない。時間も時間だし。


えんと:じゃあ、電話していい?


「‥‥‥え?」


私がびっくりしている間に携帯は五月からの電話が来たことを告げる。


「わあっ!?」


私は慌てて応答する。


「も、もしもし‥‥‥!?」

『もしもし。電話して、大丈夫だった?』

「うっ、うん!」


私は携帯を取り落しそうになるが、慌ててこらえる。


『いつも返信早いけど、今日全然つかなかったし、変な時間に返ってくるし。うざかったらごめん。‥‥‥なんかあった?』


私は五月の優しい言葉に、涙が溢れそうになった。‥‥‥温かい。


「五月、お願い。‥‥‥頑張れ、って言って」


知っている。頑張れなんて無責任で、無情な言葉だってことくらい、痛いほどわかっている。だけどどうしてか、辛いからこそその言葉を求めてしまうんだ。


『頑張れ、祈。頑張れ』


五月の力強い言葉に押されるように私は目をつむった。ありがとうと言ったのか、言っていないのか。気がついたら私は、意識を手放していた。



「んん‥‥‥」


私は朝日の眩しさに目を覚ました。何時だろうと手近にあった携帯を手に取る。時計は九時過ぎを示していた。


「うわ‥‥‥めっちゃ寝ちゃってた」


ラインを開くと、五月から一件入っていた。四時頃、私が寝てしまったあとだ。少し迷ったあと、タップして開く。


えんと:無理するなよ


私はその文面を見たあと、少し頬を緩めた。胸がどきりとし、ほかほかと温かくなる。ありがとう、と返すがさっきとは違い、すぐに既読はつかない。きっとまだ眠っているのだろう。私の電話に付き合って、全然眠れていないだろうから、当たり前だ。


「祈、ちょっと話があるんだけど」


続の声だった。


「どうぞ、入って」


私はベッドから起き上がり、開いたドアを見ると、やはりそこにいたのは続だった。


「寝てた?」

「ううん、今起きたとこだから大丈夫。どうしたの?」


私はベッドから飛び降りて勉強机の椅子に座って続にベッドを勧めた。どうも、と続はベッドに腰掛ける。


「お母さん、やっと手術に前向きになってくれたの。明日江畑先生のところに話を聞きに行く」

「そっか。よかったね」


私は少し笑った。それを見て、続も少し笑った。


「祈のおかげ。ありがとう」


すごく寂しそうな、笑顔だった。



続の手術が決まった。年末頃だからしばらく先だけど、検査とかもあるからと、手術の一ヶ月前から東京大学病院に入院するそうだ。約半年。もしかしたら半年後、続はいなくなってしまうかもしれない。そう思うととても胸が苦しくなる。

続が眠ってしまったあとのリビングには、なんとも言えないしんみりとした空気が漂っている。なにも言わないけれど、きっと二人とも最悪の場合を想定している。続がいなくなること。誰もそんなこと望んでいないんだよ、なんて言ったって、意味がないことはわかっているけれど。


この世界は理不尽だ。どれだけ善の人間であったとしても、いつか死ぬ。何故か、善の人間ばかり奪われる。生死のふちぎりぎりで生きている人を知っているからこそ、私には痛いほどによくわかる。



「祈ー!インターホンなったんだけど揚げ物してて手が離せないの!出てくれるー?」

「はあい」


階下からお母さんの大きな声が聞こえて慌てて玄関に走ってドアを開ける。


「おっ祈ちゃん!お久!」

「こもちゃん!久しぶり!」


にゅっと顔をのぞかせたのは、向かいの豪邸に住む幼なじみ、こもちゃんこと神宮院じんぐういん小桃こももだった。こもちゃんのお父さんは会社を経営していて、日本を担う神宮院財閥の長女で末っ子だ。偏差値トップクラスで異様に学費が高く、一握りのお金持ちしか通えないと言われる幼少中高大一貫の、私立 宝来ほうらい学院に幼稚舎から通っている、いわゆる純院だ。


「ちょうどよかった、こもちゃん。勉強教えて!テストが近くて困ってるの!」

「いいよん!あたし祈ちゃんと話したいことあったの!やっと会いにこれた!最近父上が厳しくって、兄上たちもそれに習って厳しいのなんの」


こもちゃんはお兄さんが四人いる、五人兄弟だ。だけどこもちゃんだけは腹違いの妹らしい。だけど、お兄さんたちから愛されているこもちゃんは、とても幸せそうだ。

私はお母さんにひと声かけて、部屋に連れて行った。こもちゃんはその間中ずっと一人で喋っていた。本当に溜まっていたらしい。


「あ、そうだ。この前ね、あたし見たの。祈ちゃんにそっくりな子が男の子と歩いてるとこ」


私はその言葉を聞いて、ばっと隣の部屋のある壁を見た。そこにいるのは、私にそっくりな続だ。


「こもちゃん、それっていつ?」

「ううん、ちょっと前くらいだっと思うけど」


私じゃない。私はここ最近、こもちゃんにはあっていない。間違いない。その日こもちゃんがあっていたのは、きっと続と、それから五月だ‥‥‥。

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