第17話

「ねえ祈、あたしは、もっと生きたいよ‥‥‥」


続の悲痛な叫びが、頭の中をこだまする。何年も続が背を向けてきた、本当の気持ち。ずっと描いてきたその未来が叶うことがないと、一番わかっているからこそ、辛い。


「続‥‥‥」

「あたしね、延命手術を受けることにしたんだ」

「え、でももう、受けられないんじゃ」


三回が限界だと、この前聞いたような気がする。


「よく覚えてるね。そうだよ、三回まで。今まで受けてきた手術ならば」

「え‥‥‥ってことは」

「そう、新しい手術方法が見つかったみたい」


私の胸に、一筋の希望が見えた。でも、その希望は一瞬で消えていった。『あたしはもっと、生きたいよ‥‥‥』。延命手術で生きながらえることができるのであれば、わざわざそんなことは言わないはず。


「さすが祈、鋭い」


続は片眉を下げて、少しきまり悪そうに笑った。


「この手術の成功率は、極めて低い。受けた人もごく僅かだし、その手術をすることができるのも、一部の人に限られる。成功したことのあるお医者さんが東京大学病院にいる。でも成功したことがあるからといって、あたしは成功するとは限らない。だからお母さんは‥‥‥それを、渋っている」


その言葉を聞いて、全てがつながった。この前の、続の怒鳴り声。あの日は確か、病院だったはずだ。そこで手術のことを聞いて、お母さんと仲違いしちゃったのだと思う。続は受けたいのに、お母さんは失敗して、死んでいくのを見ていられない。それはそうだ、大切な娘だから。私も続を失うことは、怖いし嫌だ。


「私は続が大事だよ」


私はそう言いながら、続の手を引っ張って、席から立たせた。右手で続の左手を握り、引っ張る。教室を出て、校舎を出て、校門を出て。


「見て、続。空が綺麗だよ」


私は夕焼け空を指さした。続は立ち止まった。振り返ってみると、その風景を目の裏に焼き付けるかのようにずっと、見つめていた。


「私はね、続が受けたいなら、手術を受けてもいいと思う。私だって、お母さんと同じで死んでいく続なんて見たくない。だけど、その道を選択するのは、続だから。続の人生だから」


私は続の顔を見た。続は私の顔を見ていた。泣きそうなほどに顔を歪ませ、瞳が潤む。


「なんでそんなに、かけてほしい言葉を、言ってくれるの‥‥‥?」


続の大きな瞳から、大粒な涙がこぼれ落ちた。私は続を抱き寄せた。


「それは、私が続の姉だからだよ。ずっと一緒にいなくたって、私は続の姉だから」


ずっと胸のどこかで、疎ましいと思っていた存在。背を向けてきた、その気持ち。続がいなければ、両親の愛情を独り占めできた。五月とだって、ぎくしゃくしないですんだ。なのにどうしてか、一度だって恨むことが出来なかった。それは、どれだけ疎ましくても、私は続が可愛くて仕方がなかったからだ。


「ありがとう、祈」


続の言葉は震えていた。続は私の胸の中で、しばらく涙を流していた。



「ただいま」


家に帰ると、真っ先に駆け寄ってきたのはお母さんだった。


「‥‥‥お帰り、祈、‥‥‥続」

「‥‥‥ただいま」


続は少し恥ずかしそうに、でもはっきりとそういった。


「お母さん、お父さん、話があるの」


そう言った続の顔は、自分の進むべき先を自分で決めたような、そんな顔をしていた。



続は何度もつっかえながら、ゆっくりと自分の気持ちを伝えた。

お母さんは悲しそうに顔を歪ませる。お父さんは無表情で何を考えているのか、感じ取ることはできない。


これまで感じていた、病気への不安。

私たちに感じていたねたましさ。

お母さんとお父さんへの申し訳なさ。

手術に対する思い。

将来への希望と失望。


一言も間違いたくない。そんな思いが、必死な表情や、ぎゅうっと握られたその手から伝わってくるようだった。私はそんな続を見つめるだけで、なにも言えなかった。私が続のことを知っているように、ものを言ってはいけないと思った。



「‥‥‥わかった」


お母さんはかすれた声で、そう呟いた。ただそれだけだった。

お父さんは結局、終始なにも言わなかった。ううん、言えなかったんだと思う。きっと私と同じ気持ちで、なにも言うことができなかった。

かたん、と小さな音を立てて、続が立ち上がった。そのまま何も言わず、リビングを出ていく。自室に帰るのだろう。


「‥‥‥続‥‥‥」


続が部屋を出ていったのを合図とするかのようにお母さんは晩ご飯を作るためにキッチンへ、お父さんはソファに座ってパソコンを広げた。私は頬杖をついて、そんな二人を少し眺めたあと、ゆっくりと立ち上がって部屋を出た。



部屋にもどると、ふうっと大きなため息をついてしまった。知らず知らずのうちに、気を張ってしまっていたのだろうか。


「‥‥‥?」


机の上に置いていた携帯が通知を告げていた。開いてみると、五月からのラインだった。


えんと:今日は映画、付き合ってくれてありがとう


私は返信する気力がなく、既読をつけずにラインを閉じ、携帯を切った。そしてそのまま布団に飛び込んだ。


「はあ‥‥‥」


長い溜息とともに涙が滲んで、慌ててこする。泣いちゃうなんて、らしくない。だけどそんな思いを嘲笑うかのように涙は溢れて、しばらく止まらなかった。

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