第12話
あたしと彩都くんと出会ったのは、病院の院内学級だった。
あたしは小学一年生の頃から院内学級に通っており、彩都くんはあたしが小学二年生の頃にやってきた。年はいくつなのかは知らない。
彩都くんが入院していた部屋は、あたしと同じ、大人数部屋の隣のベッドだった。小部屋が良かったそうだが、空いてなかったらしい。同じ部屋に入院していたのは、あたしたちより小さな子ばかりで、彩都くんはみんなのお兄ちゃんをしていた。
あたしたちが打ち解けるのに、時間はかからなかった。最初に話しかけたのは、多分彩都くんだったと思う。それから毎日話すようになり、かけがえのない友達となっていた。あたしたちの交流は、五年生になるまで続いた。その関係が切れたのは、彩都くんが退院したからだ。
「ボクね、退院するんだ」
彩都くんは少し頰を染め、嬉しそうに笑うけれど——でも、なんだか悲しそうにも見えた。あたしはよかったね、と笑った。
あたしはそれまでに二度の延命手術を経験していたが、病はだんだんと進行して、症状も重くなっていた。体を思うように動かすことができず、ベッドの中で体を横にしたまま過ぎて行く日も少なくはなかった。そんな中での彩都くんの退院を、あたしは心から喜んであげることができなかった気がする。
報告を受けた日も、あたしは布団をかぶって朝からトイレ以外に立ち上がってはいなかった。朝ごはんや昼ごはんもまともに食べることができず、もう二、三日、栄養補給のものばかりで、気分は最悪だったから。
彩都くんはあたしの返事を聞くと、何か言いかけて——やめた。すぐに彩都くんは、自分のベッド——テリトリーの方に戻って行った。
あたしはなんだか悔しかった。
どうして彩都くんよりあたしのほうが長く入院しているのに、普通の生活を送れるようになるのは、彩都くんが先なの?でもそれは、今考えれば仕方がないことだった。だっておそらく、患う病気は、あたしと彩都くんは違ったのだから。彩都くんはきっと、治る病気だったのだから。
でも、いくら辛い世界を知っているとはいっても、まだ小学生だったあたしは、そこまで考えられなかった。初めて自分の病気に対して反感を持った。仕方がないことだと思いながらも、悔しくて悔しくて。
長い入院生活と病気の辛さで、ナーバスになっていたのだと思う。
彩都くんにはずっと、悪いことをしてきたと思う。
いつだってあたしの太陽だった彩都くんは、憧れであり、また恨む相手でもあった。彩都くんが来るまでは、あたしが頼れるお姉さんだった、可愛い妹だった。なのに彩都くんがきた途端、それらは全て、彩都くんに向けられる。カッコいい優しいお兄ちゃんは、彩都くん。聞き分けのいい、可愛い弟は彩都くん。あたしの居場所がなくなっているような気さえして、気がつけば冷たい態度ばかり取るようになっていた。
あたしは多分、彩都くんのことが好きだったのだろうと思う。それは単なる愛情だけではなくて、憧れも大きかった。彩都くんと一緒に過ごした三年間は、かけがえのない宝物であり、あたしの入院生活唯一の色だった。
どうして忘れていたのだろう。彼の存在自体を、なぜ忘れていたのだろう。大切な思い出だったはずで、大切な友達、そして初恋だったのに。
あたしは彩都くんが退院してすぐに最後の延命手術を受けた。六年生になる春のことだ。成功したものの、あたしの体調はすぐれなかった。
彩都くんのことなど、忘れてしまっていた。自分のことが精一杯で。自分の病気に甘えて。彼はもしかしたら、まだあたしのことを覚えているのかもしれない。それなのに。
申し訳なかった。それ以上でもそれ以下でもない、ただただ、申し訳なかった。
彼のことがふと頭に浮かんだのは、初めて五月くん‥‥‥五月円都くんにあったときだった。彼の面影があり、『水羽』とあたしを呼ぶ声も(本当は祈を呼んだつもりだったんだけど)、どこか彼に似ていて。
あたしは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。それは病気とは違って、決して嫌なものではなく、かといっていいものでもなかった。不穏なものが胸をよぎる感覚。
何度か五月くんに優しくされるうち、あたしは五月くんと彩都くんを重ねるようになっていた。彩都くんが助けてくれるときは、いつだってあたしが困ったときだった。それは、五月くんも同じ。あたしが困っていたらすぐに現れて、助けてくれる。彩都くんを思い出せなくとも、胸の中に残る思い出は色濃く、くっきりと浮かび上がる。
「あたしは、彩都くんに会いたいんだろうか」
ふと呟くが、その問いに対する答えはない。あたしが出さなきゃいけない答え。他の誰でもない、あたしが。
「謝らなきゃ、いけないんだろうか‥‥‥」
掠れて消えてしまいそうなほどにか細い声は、部屋の中でこだますることなく消えていく。でもその声は、あたしの胸の内に、ずっとこだましていた。
「会いたい‥‥‥」
あたしは気付かぬうちに呟いていた。ぽろりとこぼれたその言葉は、あたしの胸の塊を、すっと解いていくようだった。
「会わなきゃ、話さなきゃ」
あたしはさっきよりも力強く声を出した。自然と顔も、上を向く。
あの頃のように、話せるだろうか。純粋な、出会ったあの頃のように。
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