Chapter2〜Tuduki〜

第7話

三階から見る窓の外の景色は、いつもと変わらず、燦然とした朝日に輝いていた。


「続ちゃん、起きた?」

「おはようございます、マヤさん」


小さい頃からの顔見知り、田中たなか麻矢子まやこさんことマヤさんが部屋を覗く。

あたしはにこりと笑いを返す。


「うん、元気そう。体温はかって置いといてね、後で取りに行くから」

「はい」


あたしは机の脇に置かれた体温計を挟む。時計を見るともう七時を過ぎていた。


「‥‥‥祈はどうしているのかな」


あたしの小さな呟きは、昨夜締め忘れた窓から入る涼しい風に吹かれていった。



「体温、ちょっと高めねえ。まあ問題ないとは思うけど。昨日と変わったことはある?」

「いえ、特には‥‥‥」


問題なし、っとマヤさんは紙に書き込む。あたしはほうっと息を吐き出した。なんだか体が重たい。いつも重たいけれど、今日はいつにもまして重たく感じる。


「まあ、無理しないことよ。学校に行かなきゃとか、考えすぎないこと。わかった?」

「‥‥‥はい」


じゃあ、とマヤさんは部屋を出ていった。しんと静まり返る。子どもたちは皆、学校にいる時間だからかなり静かだ。現在いる場所は、小さい子供が少なく、中学生はあたしともうひとり、男の子がいたはずだがあったことはない。


「あと三週間か‥‥‥」


あたしは誰にともなくつぶやく。


「早く、家に、学校に帰りたいよ‥‥‥」


転校して二週間も経ってないのになんて、あたしついてないなあ。


「まあ、これも運命なんだよね」


あたしは病気を背負って生きていく運命。病気と戦いながら生きていく運命。いずれ死んでいく運命。


「あたしが死んだら、誰が悲しんでくれるんだろう」


お母さんは、お父さんは、祈は、悲しむだろうか。

いや、いなくなって、せいせいするかもしれない。あたしがいたせいで祈は寂しい思いをしてきた。五月くんのことで泣かせてしまった。そしても、たくさん迷惑をかけてしまった。


「‥‥‥そうだよね」


窓の外を見ると、マヤさんの植えたガーベラが太陽に照らされて、嬉しそうに揺れていた。

私は急激な眠気を感じて、ベッドに体を預けた。



『つづき?』


あたしは名前を呼ばれて振り返った。心配そうな顔をして立っているのは、祈だった。泣きそうなほどに顔を歪め、今にも涙が零れそうだ。

どうしてそんな顔をしているの、そう問う前に、ああ、と思った。体が淡く発光している。あたしは天に召されているのだろうか。そういえば、なんだか体が軽い。


『いっちゃいやだよ、つづき』


祈はあたしに向かって手を伸ばすけれど、あたしはその手を掴まなかった。ううん、掴めなかった。


『ごめんね、いのり』


あたしは祈に背を向けた。


『つづき――』


祈の悲痛な叫び声が、やけにリアルに響いた――。



「――ちゃん、つづきちゃん」


名前を呼ばれて目を覚ますと、担当医の江畑えばた先生があたしを覗き込むようにして立っていた。江畑先生は四十代くらいのおじさんで、腕のいい先生で評判らしい。難しいと言われる手術も何度も成功させてきたそうだ。


「ごめんね、起こして。お話の時間だし、何度も唸っていたから」


江畑先生は優しく目を細める。あたしはそれにつられて少し笑う。


「じゃあ、話せるかな」

「はい」


あたしは江畑先生と話しながらも、夢のことが気になって仕方がなかった。



正直言って、怖かった。前までは死ぬことが怖くはなかった。運命なのだと悟っていたし、心残りすらなかった。でも今は、心残りが多すぎる。やりたいことが、多すぎる。


祈ともっと、話がしたい。

竜田さんと、仲良くなりたい。

頭が良くなりたい。

高校に行きたい。

将来の夢を見つけたい。そして、それになりたい。

病気を治したい。

病気の人を、笑顔にしたい。

お母さんとお父さんに、恩返しがしたい。

ごめんね、ありがとう、と伝えたい。

そして――五月くんと、もっと仲良くなりたい。


あたしは江畑先生との話を終えたあと、机の中から一冊のノートを取り出した。小学校の入学前、祝だと言って祖母が買ってくれた、可愛いキャラクターのノートだ。『あたし、使わないかもよ』と言ったものの、『つっちゃんに必要になるときが、かならず来るからね』とそういって、あたしに渡した。結局小学生の時に使うことはなく、中学生になってからも、中学校で使うノートの行数などが合わず、使えずにいたものだ。おばあちゃんはそのノートを渡して数日後、持病で亡くなった。今思えば、あの言葉はおばあちゃんからあたしへの、最後のエールだったのかもしれない。

最初のページを開き、ノートにひとつひとつ、書き留めていった。丁寧に、丁寧に文字を書く。わからない漢字も多くて、ひらがなばかりが並ぶけれど、気にしない。文字の大きさがバラバラで、バランスも悪いけれど気にしない。自分が一番丁寧だと思えばそれでいいのだ。‥‥‥だよね、おばあちゃん。

1ページ丸々埋まったところで疲れを感じ、ノートを閉じた。まだまだ書きたいことはたくさんあるけれど、今日はここまで。続きは明日書こう。

表紙には、少し迷って、


『やりたいことノート

※全部達成するまで絶対に死なないこと

水羽 続』


と記した。気づかぬ間に、頬が緩んでいた。

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