第6話
「続‥‥‥」
結局続は帰ってこなかった。お母さんに聞いても、何も教えてくれない。でも、知ってしまったことを言えないから、無理に聞くこともできない。はがゆかった。
前に戻っただけなのに、なんだか寂しい。家が、教室が、登下校が、寂しい。
「——のりん、いのりん、祈?」
「‥‥‥あ」
前よりも教室で、ぼおっとしていることが増えた。真麻も五月も、いたわるように接する。クラスメイトたちも、前よりも遠巻きに、腫れ物に触るように扱う。前までは嫌だなあなんて思っていたけれど、今はそれすら気にならない。むしろ深く干渉されなくてホッとしている。
自分の中で、続が大きな存在になっていることに気がつく。
「いのりん、次体育だよ」
体操服に着替えた真麻は、心配そうに私の顔を覗き込む。ぼおっとしてしまった私は、席に座ったまま、他のクラスの女子が入って来たことにも気がつかなかったようだ。
「い、今着替えるねっ」
急いで横掛けカバンから体操服を取り出していそいそと着替え始める。
「真麻、先行ってていいよ」
体育の教科書とノート、筆記用具を出してくれていた真麻にそう言うと、わかった、と先に行ってしまった。真麻の軽やかな足音が遠ざかっていく。廊下には誰もいないのか、しんと静まり返っている。早く行かなきゃ。
わたわたと裾をズボンのなかに収めながら教科書類を取った――ところで。
「‥‥‥これ、続のだ」
三年間使うものであるため、一年使った私の教科書は少しくたびれていたけれど、転入してきた続は新しいもので、とてもきれい。それに続は、一度も体育の授業に出ていないし。‥‥‥病気だから。
「‥‥‥って、こんな事考えてる時間なかった!」
自分のを取り出すのが面倒で、続のを借りることにする。
「やばい、あと三分!」
全力で階段を駆け下りる。結局最後の方は四段くらい飛び降りてしまう。歩いていた先生や一年生が、何事かと私を見るが、そんなのにかまっている暇はない。ドスンッとすごい音を響かせながらなんとか一階に降り(二年生の教室は四階なのだ)、靴箱で履き替える。
「あっ‥‥‥」
小さな段差に躓いて、こけてしまった。倒れ込んだまま、動けない。そこまで痛いわけではなかったのに。
「もう‥‥‥疲れたよ‥‥‥」
続がいないこと、辛いのに、無理に笑って、笑顔貼り付けて。親や真麻たちに心配させまいと、明るく振る舞って。それなのに、腫れ物に触るように扱われて。
「本当のこと、教えてよ、続‥‥‥」
土で汚れた汚い靴が、目の前のさびれた靴箱が、歪んでいく。
授業開始のチャイムが鳴ったものの、私はしばらく動けなかった。
「水羽さん?」
しばらくして体育の先生——
「保健室行って、休もうか」
先生は、膝の汚れを落として、保健室まで連れて行ってくれた。続のことがあったから、きっと気を遣ってくださったんだ。
申し訳なく思いながらも、私は口を開くことができない。言われるがまま、されるがまま、膝を洗って消毒して、絆創膏を貼ってもらって、ソファーに座らせられる。井田先生は授業があるから、と早々に校庭に戻って行った。
「‥‥‥辛いことがあったら、言うんだよ」
養護教諭の
「祈、帰ろうか」
名前を呼ばれてはっと目を開けると、前に立っていたのは五月だった。
「う、うん」
私は立ち上がり、近くに置いてあった教科書類を手に取る。
「失礼しました」
「遠慮しないで、辛いことがあったら、また来てね」
「‥‥‥はい」
神崎先生は、にこにこと笑いながら気を遣ってそう言うけれど—— なんだか胸が、モヤモヤする。そのモヤモヤの正体は、わからなかった。
「無理して笑うんじゃないぞ」
「‥‥‥え?」
階段を登りながら五月にそう言われ、足を止めた。どきりとした。
「辛いことがあったとき、その気持ち無視して笑ってたら、辛いのは祈だぞ。そんな祈みたら、水羽はどこかで、悲しむんじゃないか?」
胸が急に冷えてゆく。
「‥‥‥っ」
五月の顔が滲んで、どんな顔をしているのかがわからない。
「な‥‥‥泣くなよっ!俺が悪いことしたみたいじゃん!」
焦ったようにアタフタと五月は階段を下って私の隣に並んだ。
「ご‥‥‥ごめん‥‥‥」
まぶたに何かが触れた。驚いて目を擦ると、五月がそっと、涙を拭ってくれていた。
「俺、祈の味方だからな」
その言葉はすっと私の胸に落ちてゆく。なんだか嬉しくて、もっともっと涙が溢れてしまった。
「いのりん、元気になった?」
真麻は帰ってきた私に駆け寄ってきて、前よりは少し硬いけれど、笑顔を見せてくれる。
「うん、大丈夫だよ」
私も精一杯の笑いを返す。やっぱりぎこちない笑顔だけれど、さっきよりも心から、笑えた気がする。どこかで続が見ている。こんな私を見たら、きっと悲しむよね。大丈夫だよ、続。その思いを込めて、もう一度、力一杯笑った。
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