第3話
授業中、トントン、と後ろから何か細いもので背を叩かれる。
続だ。私は振り返らず、小さな声で何、と問う。
「(わ、か、ん、な、い)」
‥‥‥先生に言えよ。
続は勉強が不得意らしく、小三で習う割り算ですら危うい。
私は無視することにした。わからないのであれば、先生に聞いてくださーい。私はわかりませーん。
先生の説明が右から左に流れていく。とりあえず写している板書も、ぐちゃぐちゃで何を書いているのか、自分でもよくわからない。そんなんで続に教えられないし。なんなら私が聞きたい気分だ。‥‥‥さすがに和差乗除くらいならわかるが。
やがてつまらない五十分の数学の授業が終わった。いやあ、わかんなかった。質問しようと席を立ったけれど、数学担の
私は数学を仕舞い、次の授業、理科を取り出す。私は理数系が全くだめだ。よくわからない。先生がなにを言っているのかわからない。
「祈、ここ教えて」
結局授業中無視された続は、待ってましたと言わんばかりにノートを突きつける。私とよく似た、でも少し‥‥‥ううん、かなりぎこちない字が並んでいる。
「私に聞くの、間違い」
私はそれだけ吐き出すように言うと、理科の予習をしようと教科書を開いた。もう話しかけるな。その合図だ。
「むっ!」
続は少しむくれると、ふんっとどこかに行ってしまった。そっと目だけ動かしてみると、真麻のところに行ったようだ。でも続、真麻ははっきり言って、間違いだと思うよ。だって真麻、私と同じレベルくらいだから。案の定、真麻の笑い声が聞こえて、少し遅れて続の乾いた笑い声が聞こえる。
突如、その笑い声がやんだ。ん、と思ってそちらを見ると、五月がノートを覗き込んで続と真麻に教えている。無意識のうちに顔を歪めていた。はっとして顔を戻すと、目に入ってきたのは続の横顔だった。嬉しそうにはにかむその顔が、なぜだか頭に焼き付いて、離れなかった。
「いのりん、いいの?」
部活の給水中、真麻は私の顔を覗き込む。お互い、額には汗が滲んでいる。ついさっき、百本のスマッシュを終えたところだ。
「‥‥‥なんのこと?」
「続ちゃんのことだよ」
真麻は、体育館の二階でバド部の練習風景を眺めている続に目を向けた。
続?なんかあったっけ?
「とぼけるのもいい加減にしなよ。いいの?続ちゃんに五月を取られても」
そう言われて少し考える。
可愛い服を着て、ベンチに座る続。その隣にいるのは、五月だ。二人とも楽しそうに話していて、嬉しそうに笑っている。お互いの右手と左手を、ぎゅっとつないだまま――。
ないないないない。ないない。
ていうか、よりによってなんで続?ないない。
「まあ、いいけどさ。いのりん、取り返しのつかないことになる前に、素直になりなね?」
真麻はなだめるように言うと、お願いしまぁすと、コートに入っていった。私はぽうっとその後姿を眺めていた。
「祈、一緒に帰ろう」
着替え終わった頃、ひょっこり現れた続。真麻と三人で校門に歩いていく。
「祈ー、一緒に帰ろうぜ」
またもぽんぽんと私の頭をはたくのは、顔を見なくてもわかる。五月だ。
「んもう!背が縮むでしょ!小一の頃から毎日毎日!そのおかげで私は150センチもないんだよ!」
軽く170はあるであろう五月をじとりと睨む。
「五月、そんな前からいのりんの頭、ぽんぽんしてたの?そりゃ伸びないわ」
「もうっ!真麻!」
次は、自称160センチ(おそらくそこまではないが)の真麻を睨む。
ごめんごめん〜と二人して謝る。
「てか五月、さっきはよく、いのりんと続ちゃん間違えなかったね?あたし、まだあんまり見分けつかないし」
あ、たしかに。みんな、続のこと祈って呼ぶし、祈のこと続って呼ぶ。今でもあんまり変わらないし。
「そうか?全然違うだろ、祈と水羽は」
「「祈と水羽‥‥‥」」
小さな呟きが重なる私と真麻。続は会話についていけないのか、一人黙っている。
「あー‥‥‥そう、親ってさすがに見分けられんの?」
「‥‥‥あ、まあ、多分」
黙っている続を気遣い問うたのだろう思い黙っていたが、続は答える様子はなく、急いで私が答える。
ていうか、基本私と続は一緒に行動しないし、あんまり間違えられた覚えはないな。
「あ!じゃああたし、こっちだから!じゃあね、いのりん、続ちゃん、五月!」
「おう、じゃあな」
「ばいばい、真麻」
曲がり角に真麻が消えていくのを見届けてから、まっすぐ進み始めた。
「五月、真麻送ってかなくて大丈夫なの?」
「あいつ強いし、大丈夫じゃね?」
わー、テキトー。私は顔をしかめてしまった。
「嘘だよ、嘘。竜田が行った方向、広い通りだし。こっちは人通り少ないからな」
あ、そうか。真麻、翠坂通りのレジデンス翠坂に住んでるんだっけ。真麻の家には行ったことないし、一緒に遊んだときにちょっと通りかかるくらいだったから、よく知らないや。
「あ、五月、ありがと。気をつけてね」
「おう。じゃあまた明日な」
私はいつものように、五月が曲がり角に消えるのを見届ける。続はその前に先に家に入っていた。急いで家に入ると、続はもう靴を脱いでいた。夜ご飯はマーボー豆腐だろうか、いい匂いが鼻を掠めた。
「‥‥‥祈」
そのまま洗面所に行くと思われた続は、立ち止まった。ん、と靴を脱ぎながら答える。
「五月くんのこと、好きなの?」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
「なんで?」
「だって‥‥‥五月くんと話す時の祈、なんだか嬉しそうなんだもの」
私は続を無視するように立ち上がって洗面所に向かった。
「‥‥‥別にいいでしょ」
声が震える。どうして?隠してたつもりだったのに、なんで?なんで続にバレてるの?
「‥‥‥祈」
はっと気がつくと、入り口に立っていたのは続だった。その目はそうなんでしょ、と語りかけているようだった。
「もう、放っておいてよ!」
私は入り口に立つ続を押しのけ、自室に飛び込んだ。
「どうして勝手に私の心を覗くのよ——」
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