第95話

 会場のどよめきが止まらない。

 イザークの胸の奴隷印が禍々しい色を放ち皆の前に晒されていた。





「これがこの男が魔物である証拠!!」





 デルフィーノが叫ぶ。


「これは…まずい事になりましたね、真相を知らない皆を誘導して彼女を悪人に仕立てたことで、彼女どころかこのままでは魔物を野放しにしたジーク様まで立場が危うく――」

「このままも何も、それも計算の内だろう、流石はローズ家の執事だな、魔物を執事にしている時点で脅威に感じている皆を誘導するのは容易い、この場面まで想定して時期を見計らっていたか…」

「感心している場合ですか!このままでは魔物だけではなく彼女までもが殺されてしまいます」


 会場内の殺気がビンビンと肌を刺す。


「‥‥」

「ここまで公では救いようがありませんね…」

「‥‥‥‥」

「ジーク様?」


 不意に立ち上がったジークヴァルトを見上げる。


「ちょっと行ってくる」

「え‥どこへっ」


 そのままジークヴァルトが姿を消した。


「やはりあの男魔物だったか…」

「魔物を飼い慣らしてる恐ろしい女だ」

「聖女はやはりレティシア様で決まりだな」

「それより、あの女何を企んでいるのやら」

「そう言えばジークヴァルト殿下が連れて来たとか…」

「何かやはり企みが…」

「これは極刑に値する!今すぐあの女も魔物も殺せ!」

「そうだ!危険だ!殺せっ!」

「殺せ!!」


 会場が一斉に『殺せ』コールが始まる。

 サディアスは焦り見渡す。


「マズいですね…」


 リディアとイザークを見下ろす。



「これが証拠です!皆が言う様に、今、ここで、殺すべきです!」



 デルフィーノが皆の声を代表するように大きな声で提唱する。

 オーレリーが思案するように黙り込む。

 会場は鳴りやまない『殺せ』コールが続く。

 アナベルやレティシアはニンマリとほくそ笑む。


「さぁ!ご決断を!」


 オーレリーの言葉を急かすデルフィーノ。

 

「殺せ!」

「殺せ!!」

「殺せえっっ!!」


 大合唱の会場。


(仕方ありません‥、魔物を殺してリディア嬢だけは協議に持ち込むか…)


 止めるのは無理と判断したオーレリーがリディアを見た。


「?」


 不意にリディアがゆっくりと歩き出す。


「おいっ動くな!」


 デルフィーノが止めるのを聞かず、そのままイザークの前へと歩む。


「リディア‥様…」


 怯え切った表情でイザークがリディアを見、顔を背ける。


「申し訳…ございま‥せん」

「初めてね」

「?」

「イザークが着崩しているの」

「っ‥‥」


 ずっと隠すため、キッチリ正装していたのかと、はだけた胸元を見る。

 色っぽいその様にゴクリと生唾を飲み込む。


(これは目の保養だわ…、こんなシーン覚えてないけど生で見れるなんて美味し過ぎる)


 思わずガン見する相変わらずゲスなリディアがここに居た。

 そんなリディアに見つめられるイザークは震え悲痛な面持ちで唇を噛みしめていた。


「私のせいで… 私の… 隠さずに…申し上げるべきでした…」


(必死に隠してきたのね…、ま、当然か…)


 考えてみればイザークにとっては初めての主。

 失いたくなかったのだろう。

 いつも首元までキッチリボタンをしめ、どんな時でも正装だった。 


(そう言えば…お風呂も正装のままだったわね…)


 お風呂の蒸せるような暑さの中でもきっちり一番上のボタンまでとめていた。




「ふっ、暑かったでしょう?お風呂とか」




 思わず吹き出す。


「!」


 笑うリディアを驚き見る。


「何を笑っている!殺されるとなって気でも狂いましたか?」


 デルフィーノがこの状況で笑うリディアを睨み見る。


(そうだった、イザークの理由が解って浮かれてしまっていたわ…)


 我に返ると会場中に響き渡る『殺せ』コールが煩い雑音となって耳に届く。

 周りをちらりと見、そしてイザークの奴隷印を見る。



「殺せ!殺せーっ!」

「何をしている!早く殺せ!」



(煩いわね、鼓膜が変になりそうだわ、早くこの状況を打破しないと… 問題はこの奴隷印よね…)


 禍々しく黒紫の色を放ち微かに蠢く奴隷印。

 その蠢く色にハッとする。


(そうだ、これ焼印じゃなくて、魔法印と言ってたわね…なら…)


「おいっ何をする気だ?!」


 リディアがそっとその奴隷印に手の平を当てる。


「リディア…様‥‥?」


(光魔法なら消せるかも?何てったって光魔法って浄化が得意分野よね…)


「ピ…」

「ぴ?」


 その場に居た者たちが首を傾げる。


(奴隷印浄化してやる!)






「ピカ――――っと!!!」






「!!?」


 辺りが眩しく輝く。

 リディアは目を見開き奴隷印を睨み見る。

 徐々に黒紫の蠢きが浄化されていくのをじっと見つめる。

 その黒紫の蠢きが最後、点となり完全に消滅した。


(よしっ消えた!!)


 奴隷印が綺麗さっぱり無くなったところで集中を止める。

 すると辺りの光が収まった。


「な‥‥」


 その場に居た者も、会場中の皆も、今まであった奴隷印が無くなった事に驚き目を何度も瞬く。

 イザークも驚き自分の奴隷印が無くなった胸元をぺたぺたと手で触る。




「えーと、何の話しかしら?」




 ニッコリ笑ってリディアがオーレリーとデルフィーノに振り返る。


「こ、こんなこと許されません!あなたは何てことをしたのですか!!魔物を解き放つなど!!」

「魔物ってどこに居るのです?」

「!」


 額に手を翳しキョロキョロと見渡すふりをするリディアにデルフィーノが怒りに震え叫ぶ。


「こんな危険人物!即刻殺すべきです!!魔物もこのままでは危険です!枢機卿!ご決断を!」

「もしかしてイザークが魔物とか言っちゃってます?目は紅いですけど人間だという事で決着ついてたじゃないですか~、今更蒸し返すのですか?」

「あなたはご自分のやった事の恐ろしさを解っていない!緊急事態です!至急駆除しなければ危険です!」

「やった事って、私、何もしていませんが?」

「したじゃないですか!今、目の前で奴隷印を消し去っただろう!」

「奴隷印ないじゃないですか」

「だからあなたが今消したのでしょう?!」

「奴隷印何てありませんでしたよ?私は落書きを消しただけよ?」

「はぁ?落書きなわけがないでしょう!」


「落書きよ、だってローズ家が押す奴隷印でしょう?それがこんなに簡単に消えるはずないじゃありませんか」


「っ…」


 デルフィーノが言い淀む。




「危険な事には変わりありませんわ!」




「レティシア様っ」


 そこでレティシアが前に出る。


「ローズ家の者が魔物と言っている、更にリディア嬢の使う魔法は陣を作らない見たこともない魔法、怪しい者であり危険人物なのは変わりませんわ!ねぇ、そうでしょう?」


 観客を煽り叫ぶレティシア。

 皆が今度は「そうだ!」と大合唱する。

 


「娘の言う通り!ローズ家の奴隷印を消し去るなど危険極まりない!今すぐその二人を始末なさい!枢機卿!」



 アナベルが立ち上がり、更に煽る。

 観客席はまた『殺せ』コールが始まる。


「さぁ、早く!」


 鳴り止まない殺せコールにサディアスが冷や汗をかく。


(まずい、このままではもう大衆を抑えるには殺すしか…絶対にリディアを殺させはしない、彼女だけは何としてでも、かくなる上は……)


 サディアスが覚悟を決め剣に手を当てたその時だった。



 


「静まれ!」






 ぶわっと会場が物凄い覇気に気圧され野次が止まる。


「ジークヴァルト‥‥」


 アナベルがジークヴァルトを睨み見る。


(ジーク様?!…ん?)


 ジークヴァルトの後ろに気配を感じサディアスが目を細め見る。


「検証する者を連れて来た!」

「!」


 ジークヴァルトの言葉に皆が驚き注目する。


「一体誰を?」


 皆が注目する中、ジークヴァルトの後ろからスーッと白髪の執事が現れる。


(な… ゴッドフリード…様を‥‥?!)


 サディアスが目を見張る。



「な… 御祖父…様‥‥ ?!」



 デルフィーノが信じられないという様にその白髪の老人執事を御当主であり自分の祖父であるゴッドフリードを見た。

 激しく動揺し言葉を失うディルフィーノ。

 サディアスもまた同じく動揺していた。

 現王側のローズ家であり、イザークに奴隷印を押したのも間違いなくこのゴッドフリード本人だ。

 これでは更に状況は不利になる可能性が高い。


(ジーク様は一体…?)


「ローズ家の事はローズ家のご当主に聞くのが一番だろ?な、枢機卿」

「‥‥ええ、そうですね」


 オーレリーが頷く。


「皆も、よいな!」


 誰も異議申し立てする者がいないのを確認するとゴッドフリードを見た。


「では、ゴッドフリードよ、質問する」

「はい」

「あの者、ローズ家の者で間違いないな?」

「はい、彼は我がローズ家の者に間違いございません」

「では、あの者に奴隷印を施した覚えは?」



 皆がゴクリと唾を飲み込みゴッドフリードの言葉を待つ。





「彼、イザークに奴隷印は施しておりません」






「「「!」」」


 イザークが目を見開く。

 皆が驚き閉口する。


「そんなっ、御祖父様、なぜ‥‥?」

「おや、デルフィーノもおったのか」

「御祖父様の… ご当主様本人の手で、確かに奴隷印の魔法を施していたじゃありませんか!」

「ああ、あれは飾り、奴隷印ではない」

「!?」

「ローズ家の者に奴隷印など押すはずがないだろう?」

「御祖父様……?!」


 ゴッドフリードの言葉に体がよろける。


「そんな‥‥、あの魔物を人だと…言うのですか?」

「ローズ家に人以外の何が居るというんだね、デルフィーノ」

「!」


 貫禄ある凄みにデルフィーノの表情が強張る。





「このローズ家当主が責任もって誓う、彼、イザーク・ローズは、『人間』だと」





 王専属執事であるローズ家当主ゴッドフリードが堂々と宣言する。


「これで文句はないだろう?」


 ジークヴァルトの問いに皆が完全に黙り込む。

 それを見て、オーレリーに目配せすると、オーレリーは頷いた。

 静まり返った場内に向かって叫ぶ。




「改めて、今ここに聖女リディア誕生を宣言する!」




 

 今度は誰一人反対する者はいなかった。



「これで聖女試験終了とします!」



 

 





 皆が帰る中、まだ呆然と自分の胸を見下ろすイザークが居た。


「ね、あのローズ家当主にお礼言っておいた方がいいんじゃない?」

「!」


 ハッとして顔を上げるイザーク。


「行っておいで」

「はい!」


 イザークがその場を駆け出す。





「当主様!ゴッドフリード様っ、お待ちください!」


 ゴッドフリードが立ち止まり、振り返る。


「あ、あの…どう…して…?」


 お礼よりも先に疑問が口を突いて出た。

 魔物だからと奴隷印魔法は確かに施された。

 そして魔物の扱いを受け、あのローズ家に閉じ込められていた。

 ゴッドフリードがそう決めたはずだ。

 すべてはゴッドフリードの指示。


「私はね、イザーク」


 ゴッドフリードが口を開く。


「お前を本当の孫だと思っていたよ、ずっと」

「!」


 イザークは息を飲み込み瞠目する。


「魔物とかどうでもいい、ただ黙って耐え、我らローズ家の言う通りに従っていたお前を抱きしめてやりたかった…だが、王家に仕える身、それは決して叶えられない」

「‥‥」

「誰よりも頑張り屋で誰よりも素直でローズ家の誰よりも執事の素質があったお前を、いつか外に出してやりたいと願っていた」

「!」


 思ってもみない言葉に驚きを隠せないままゴッドフリードを見つめる。


「叶わないと解っていながら、いずれ誰かがお前を受け入れてくれたらと願い、だからずっと表向き『魔物の調教』として『執事』の勉強をさせていた、いつか奇跡的に主と出会った時のために」

「っ‥‥」


 ゴッドフリードの表情がふっと和らぎイザークを優しい瞳で笑いかける。


「良い主に出会えたな、イザークよ」

「っ、はい」

「絶対に逃すな」

「!」


 ゴッドフリードの目がギラりと光る。


「もしもお前が主と奇跡的に出会えたらと、ローズ家秘伝の『溺愛依存』術をお前には全て叩き込んである!」


 瞠目するイザークにニヤリと口元を引き上げる。

 既に見事にまるっとはまってしまっているリディアが遠くでくしゃみをする。


「お前を二度と手放せなくなるようにと思ってな」


 悪戯な表情で二カッと歯を見せ笑うと背を向けた。


「幸せにな、我が孫よ」

「はい…、ありがとうございました」


 去っていく背にイザークは深々と頭を下げる、その背がふと止まる。


「おっと、言い忘れるところじゃった、間違えを正さねばな」

「?」


「当主様でもゴットフリート様でもない、御祖父様だ」


「!」

「じゃあな」

「は、はい!‥‥御祖父様…」


 イザークのその言葉に満足するように頷くとゴットフリートはその場を立ち去った。










 ゴッドフリードと別れ、リディアの所へと戻る。


「おかえり、ちゃんとお礼言えた?」


 振り返った我が主を見、自分の胸に手を当てる。


「はい」


 未だ信じられない。

 ここにはもうあの奴隷印はないのだ。

 そしてローズ家当主であるゴッドフリードにもお墨付きをもらった事に。


「そうそう」

「?」

「お風呂の時は上着ぐらい脱ぎなさい?暑いでしょ?」


 笑ってそういうリディアに、会場で不意に吹き出された時の事を思い出す。

 あの状況で、自分が黙っていたために死罪にさせられる所だったというのに、怒るどころか笑い出したリディアに驚いた。

 そしたら初めて黒魔法を使った時の事も、そしてこの紅い眼に口付けされたことも思い出し、どんな時も変わらない主に胸が震え熱いものが込み上げる。


「イザーク?」


 リディアが手を伸ばし頬に触れる。

 そこで自分が涙を流している事に気がついた。

 その自分より小さく可愛らしい手に自分の手を重ねる。


「私を連れて行ってくださいますか?」

「!」


 その言葉にリディアが少し驚くもニッコリ笑った。


「もちろん」


 その笑顔が眩しくて涙で霞む。

 そんな涙で霞む自分にリディアの小さな手が両頬を包み込む。




「もう、あなたは自由よ」




 リディアのその言葉に涙が溢れ出す。

 泣き崩れる自分の頭を優しく包み込んでくれて、初めて知る人の抱擁の温かさに幸せ過ぎて胸がいっぱいになった。



「リディア様…いえ、敬愛なるマイレディ、私の命が尽きるまであなたに忠誠を誓うと約束致します」

「大袈裟よ、普通で十分」

「いいえ、譲りません、私の主はあなたがいい、あなたしかいない」

「イザークっ?!」


 ギュッと抱きしめ返すとその小さな手の平に口付ける。


「あなたが私を自由にし、あなたが自由にしていいと言ってくださいました」

「言ったけど…」

「だからもう遠慮はしません」

「変わり過ぎじゃない?」

「貴方に鍛えられましたから」

「ふ、ふふ…」

「ふふ…」


 思わず二人で吹き出す。

 しばらく笑い合うとリディアをひょいッと抱き上げる。


「さぁマイレディ、お疲れでしょう、お茶がよろしいですか?それともマッサージをご所望ですか?」

「両方」


 リディアの答えに爽快な笑みを浮かべる。


「畏まりました」





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