第21話 あなたを尊敬しているの
サクラコの前に差し出されたパンケーキ。しかし、皿を差し出したカレンの側仕クランの手が、わずかに震えている。
サクラコの側仕ランファは、それを見逃さなかった。
彼女はすぐに自身のスキル「鑑定」で、クランが差し出したパンケーキを診た。
――オレアンドル
オレアンダという常緑の樹木から採取される毒物である。少量でも強い経口毒性がある。摂取すると、嘔吐や四肢脱力、めまいや、腹痛などを引き起こして死に至る。
クランはオレアンダという樹木から作られたハニーディッパー用いて、蜂蜜をパンケーキにかけていた。
彼女はスキル「毒生成」でハニーディッパーから毒成分を抽出・生成し、毒物オレアンドルを蜂蜜に混入させていたのである。その量は、致死量をはるかに超えていた。
なお、カレンに差し出したパンケーキの方は、フレイアがオリーブの樹で作られたハニーディッパーで蜂蜜をかけている。
クランが、この毒をどうやって混入させたのかまでは判らない。ただランファには、毒物オレアンドルがパンケーキに含まれていることだけは判った。
もちろん彼女は、サクラコが持つスキル「毒無効」を知っている。しかし、
「お待ちください」
ランファはクランを睨みつけながら、サクラコを制止しようとした。
サクラコには、ランファが何を言いたいのかすぐに分かった。パンケーキが差し出された途端に、彼女は割って入ってきたのだ。おそらく、パンケーキに毒物が混入しているのだろうと予想できる。
けれども、ここでカレンの側仕であるクランを問い詰めるわけにはいかない。側近が犯した罪は、主の罪でもある。王族である自分を毒殺しようとしたクランの罪は、彼女の主であるカレンにも累が及ぶ。
「ランファ。やめなさい」
そう言って、サクラコはナイフで一口サイズに切り分けたパンケーキを口に入れた。
彼女には、いかなる毒も意味をなさない。
そんなことは全く知らないクランは、穏やかな笑み浮かべてサクラコを見ている。
サクラコは、そんなクランを流し目で見て口角を上げた。
「貴女、お名前は何とおっしゃるの?」
パンケーキを持ってきたクランに、サクラコは尋ねる。サクラコの突然の問いかけに、少し驚いたような表情を見せるクラン。
すぐにカーテシーをして、
「クラン・カナリスと申します」
と答えた。
サクラコはティーカップに口をつけた。アプフェルの香りがする紅茶を口に含みながら、思考を整理する。
このお茶会で、自分を毒殺しようとしたクランの狙いを確かめなければならない。
「聖女襲撃事件」の報復ではない筈だ。ならば、他に何かウラがある。
クランの罪を公にすることなく、狙いを確かめる手段はないか。
毒殺を選択する人間だ。このテの暗殺者は、おそらく自分の身の安全を確保することも計画に組み込んでいるだろう。
王立学院入学前に、
ならば、
――まずは、心胆寒からしめてあげましょう。
ティーカップを置いたサクラコは、パンケーキの皿をクランに差し出した。
「そう。クラン、貴女もいかが?」
予想だにしない事態に、クランの穏やかな笑みが一瞬で驚愕の表情に変わった。そして、彼女はガタガタと震えだした。
微笑むサクラコ。
「どうしたの? 貴女がかけて下さった蜂蜜、とても美味しいわよ。さぁ、どうぞ」
そう言って、彼女はもう一口食べてパンケーキをクランに差し出す。
クランは、恐怖の表情で凍り付いていた。致死量をはるかに超える毒物が混入されているのだ。食べられるはずがない。
「ど、どうか、どうかお許し下さい!」
観念したのか、サクラコの前で跪き許しを請うクラン。
サクラコは跪くクランを見下ろしながら、少しホッとしていた。
ここで、クランが自殺を図ったり、強引な手段に訴える可能性はゼロではなかった。そうなれば、王族を暗殺しようとしたことが明るみになる。
騎士団庁の捜査が入ってしまうと、サクラコの力が及ばない。カレンも罪に問われる可能性があった。
けれども、今の状況なら側仕の粗相として扱うことができる。その程度なら、サクラコ自身の手で不問にしてしまえば、カレンに罪は及ばない。
あとは、背後関係をクランに確かめる機会を待つだけだ。
――もっとも、すぐにその機会は訪れるでしょう。そのときは、詳しくお話を聞かせてくださいね。クラン。
サクラコは目を閉じて、笑みを浮かべた。
他方、ラウンジでその様子を見ていた学生達には緊張が走っていた。
サクラコとクランのやり取りに、辺りはシンと静まり返った。
事態を察したのか、カレンは立ち上がり、
「どういうことですか!? クラン答えなさい」
と詰め寄ろうとする。それを見たサクラコは、
「カレン。いいのよ」
と制した。
そして席を立ち、サクラコは跪くクランの耳元に顔を近づける。
「ねぇ、わたしはいいけれど、カレンに恥をかかせるようなことはしないで」
サクラコは、底冷えのするような声でクランにそう囁いた。
椅子の側にちょこんと座って、右後ろ脚でカリカリと首筋を掻くルナ。
クランの肩がびくっと撥ねた。
そして、彼女の頬に伸ばされたサクラコの右手。その手が、クランの頬から首筋を滑るように撫でる。
首筋のところで手を止めたサクラコは、正面のクランの目を真っ直ぐ見ながら静かに言った。
「つぎに、カレンを害するようなマネをしたら、この首、無くなっちゃうんだから」
笑みを深めるサクラコ。
そして、クランから離れ椅子に座った。
ふたりの様子を見ていたカレンには、何が起きたのか分からなかった。けれども、クランが何かサクラコの勘気に触れるような粗相をしたらしいことは分かった。
カレンは慌ててサクラコの席に駆け寄り、クランの隣で跪いた。
「サクラコ様。この度は、重ね重ね大変ご無礼を致しました。これは、私の責任です。どうか処罰をお与えください」
そう言って、カレンはそっと目を伏せた。
「やめて、カレン」
「えっ?」
カレンが顔を上げると、目を伏せて少し寂し気な瞳するサクラコの姿があった。
「カレン。わたしは、あなたに謝罪してもらうためにここへ来たんじゃないの。あなたを処罰するなんて、とんでもないわ」
サクラコの真っ直ぐな視線が、カレンに向けられる。カレンは、はっと息を呑んだ。
サクラコは席を立ちカレンに近づく。そして両膝をついて彼女の手を取ると、ふわりと両手で優しくその手を包み込んだ。
隣でふたりの様子を見ながら、しっぽを左右にふりふりするルナ。
サクラコの両手に包まれた自分の手を見ながら、カレンはじわっと涙を浮かべた。
「サクラコ様……」
カレンの手を取るサクラコは、微笑みを浮かべている。
「わたしは、ずっとあなたに会いたかった。王立学院で、あなたに会えるのを楽しみにしていた。わたしは、あなたを尊敬しているの。カレン・ブラント」
暗殺未遂事件以来、いや、カレンの話を聞いたときから、ずっとずっと想ってきたことがあった。願ってきたことがあった。
――カレン、わたしはあなたに会える日が来るかしら。その日が来るまで、生きることができるかしら。
もしも、神様がひとつだけわたしの願いを叶えて下さるのなら、こう言うわ。
どうか、わたしをカレンのお友達にしてください。
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