第15話 校長室でのお話

 ケトラーから差し出された六枚の羊皮紙。サクラコは、目を見開いた。

 手に取って問題用紙と答案を交互に見る。確かに、あのとき解答した問題だった。


 そして答案の方には、すべての解答に大きく丸が付けられている。


「大変よく出来ていました。流石ですね。クラス分け発表の件で、貴女に不快な思いをさせましたこと、深くお詫びいたします」


 ケトラーは、微笑みながらサクラコを褒めた。それから、目を閉じて左胸に手を当てながら謝罪した。


「話して下さいませんか? なぜ、あのようなことを?」


 見ていた答案から視線を上げたサクラコは、彼にそう尋ねた。


「その前に、貴女は現在の王位継承をめぐる勢力争いについて、どの程度状況をご存知ですか?」


「え? ……お恥ずかしい事ですが、そうした情報はほとんど入って来ない状態だったのです」


 サクラコは、俯き加減にそう話した。

 情報を集めようにも、側近が少なすぎて集めることができなかった。暗殺未遂事件から王立学院に入学するまで、側仕はランファだけである。護衛騎士のディランとは、ほとんど会話しなかった。

 常に命を狙われているような状況だったため、黒猫ルナもサクラコから離れることができなかった。


 そのためサクラコは、現在の王国の状況についてすら、よく知らない。


「やはり、そういう事ですか。現在、この国では第一王子ガイウス様と第二王子のアマティ様、そして第三王子クラウス様の勢力が三つ巴の争いを繰り広げておいでです。そして貴女のおじい様にあたるリスト公爵は、ガイウス派の貴族と見られています」


 現在、ヴィラ・ドスト王国の王位継承は、単純な世襲制ではない。

 王位継承権を持つ国王の直系卑属ちょっけいひぞくのうち、最も領主たちの支持を集めた者が国王となる。この仕組みは、五代国王トレミィの時代から始まったものだ。

 以来、この国では度々、国王の座を狙う王子や、国王の外戚として権力を握ろうとする貴族達が激しい勢力争いをするようになった。


 もっとも、政情に関する情報が全くといっていいほど入って来なかったサクラコには、なんとなく兄達の間にもそんな雰囲気があったくらいの認識しかない。


「……」


 だいいち、貴族達の勢力争いの話が、テスト問題のすり替えとどう結びつくのか分からない。


「王立学院には、アマティ派、クラウス派の貴族の子女も多いのです。……とくに今年は、一組から三組までのクラスで二つの派閥に属する貴族の子女が多数を占めました」


「優秀な方が多いのですね」


 感嘆したように、そう言ったサクラコ。

 しかし、ケトラーは眼を閉じて首を振る。


「いいえ。おそらくクラス分けテストの問題が、事前に流出していたと私は考えています」


「!? なぜ、そんなことを?」


 ケトラーは、ため息をひとつ吐いた。


「貴女が入学されるからですよ」


「わたし、……ですか!?」


 ケトラーの言葉に、目を大きく見開くサクラコ。自分の入学とテスト問題の流出が、なぜ結びつくのか? サクラコには見当もつかなかった。


「えぇ。貴女の情報を集めるためだったり、婚姻関係を結ぶためだったり、あるいは危害を加えるためだったりと各々思惑はあるのでしょう。いずれにせよ、貴女に近づくためだと思われます」


「こ、け、こ、けっこん!?」


 「婚姻」という言葉を聞き、サクラコは目を丸くして、あわあわとする。

 その様子を見て、ケトラーは少し呆れた顔になっていた。


「まぁ、婚姻関係を結びたいくらいなら、好きにしてもらって構わないのですが……」


「ぜ、全然、良くありませんっ!」


 真っ赤な顔でサクラコは抗議したが、ケトラーは華麗にスルーして説明を続ける。


「貴女に嫌がらせをしたり、お命を狙ったりする者が出るおそれがありました。そうした者達から、貴女を出来る限り遠ざける必要があります。そこで、テスト問題の事前流出を察知した私が、一計を案じたというワケです」


 微妙な顔になるサクラコ。

 その理屈なら、サクラコを一組に入れて、アマティ派、クラウス派を全員二組以下にするとか、その逆でもよかったのではないか。

 ただ、教員のなかにもアマティ派、クラウス派の貴族がいるのかもしれない。そうだとすれば、そのような操作は困難かもしれないが。


 なにもテスト問題まですり替えて、一〇組に入れることは無かったのではないか? 


「……それだけですか?」


 じとーっと、ケトラーを見るサクラコ。


 サクラコの視線に耐えられなかったのか、ケトラーは視線を天井に向けて頭を掻き始めた。む?とケトラーの視線を追って、サクラコも天井に視線を移す。


 やがて彼は、とんでもないことを口にした。


「貴女のことは、入学前から大変優秀であると聞いていました。どの程度の実力をお持ちなのか興味があったのです。それで、難しすぎると没にした問題を貴女に……」


「……」


「まさか、全科目満点を取るとは想定外でした。ははははは」


「ひ、ひどいっ! サイテーですっ!」


 サクラコの様子を見てカラカラと笑っていたケトラーは、また急に真面目な顔になった。


「というのは、冗談ですが、いや、本気でもありますが……」


 いったい、どっちだ?と身を乗り出すそぶりを見せたサクラコ。

 お構いなしにケトラーは話を続ける。


「現在のような政情では貴族たちの思惑が複雑過ぎて、貴女を上位クラスに入れるのは大変不安だったのです。その点、一〇組ならば、政情とは無関係な貴族の子女や平民の子ばかりですからね。貴女の平穏かつ健やかなる学びの場を整えるために採用した苦肉の策でした」


 なんか、もっともらしい事を述べ始めた。


「とはいえ、担任も教鞭をとるのも他の先生に丸投げでは、無責任というものです。そこで、私が一〇組の担任となり、ほとんどの科目を担当することにしたのです」


 大きく張った胸に手を当てて、なぜか得意げに話している。


 とりあえず、「テスト問題すり替え」の落とし前を本人なりに付けたつもりらしい。


 サクラコは、目を閉じてため息を吐いた。手段はアレだが、どうやら害意があってした事ではないようだ。彼なりの教育的配慮とイタズラ心によるものだった。それが解ると、身体の力が一気に抜けた。


「ジーク先生。ひとつご教示ください」


「なんでしょう?」


「兄様たちが、王位継承のため勢力争いを繰り広げていることは理解しました。けれども、貴族たちが、わたしに危害を加える必要はあるのでしょうか?」


 途端にケトラーは、眉間に眉を寄せて難しい顔になった。


「……貴女は、既にこの勢力争いの渦中にある事をまず御自覚ください」


「え?」


「二年前に貴女を襲った事件も、この勢力争いに関係しているものと私は考えています。貴女をファンフィールド領に降嫁させることで、ガイウス派の勢力が増すことを恐れた者、あるいはアドラー伯爵の権力が増すことを恐れた者が、貴女を亡き者にしようとした、というのが私の推測です」


 確かに以前、サクラコはファンフィールド領のヴァルトマール・アドラー伯爵の長男エリオン・アドラーとの縁談が持ち上がっていると聞いたことがあった。

 二年前の事件の後、縁談がどうなったのかは聞いていない。

 ちなみに、新しく入った側仕のレベッカは、エリオンの妹である。


 ケトラーの推測が正しければ、二年前のあの事件はサクラコの婚姻を破談に追い込むために仕掛けられたということになる。


 サクラコは、しばらく唇を嚙んで俯いていた。


 そして顔を上げ、アメジストのようなケトラーの眼を真っ直ぐ見た。


「大変ためになるお話でした。ジーク先生、ありがとうございます」


 そう言うとサクラコは俯いて、膝の上で作った拳を握り締めた。


「差し出口ながら、もうひとつ」


 彼は、片目を瞑って人差し指をぴんと立てた。


「なんでしょう?」


「在学中に、ひとつでも多くを学び、ひとりでも多くの友人を作りなさい。とくに一〇組の子たちと仲良くなさい。ともに手を取り合って生きていく貴女だけの味方を得るのです」


「わたしだけの味方……」


 サクラコの呟きに頷いたケトラーは、悪戯っぽい目をして言葉を続けた。


「といっても、小領地の貧乏貴族と平民ばかりですけどね」


 ぺろっと舌を出したケトラーの方を見て、瞬きするサクラコ。

 そして口元に手を当てて、クスッと笑った。


「まあ、ジーク先生も、ずいぶん口の悪い方ですね。わたしのように酷い噂が流れますよ」

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