第14話 ぼっちランチ
王立学院は、いよいよ本格的に授業開始の日を迎えた。
サクラコは寝坊することなく起床し、朝のルーティンであるゆでタマゴを食べ、自室で学院へ行く支度を始めた。
「今日から、本格的に授業が始まるの。どんな授業なのか楽しみだわ。とくにオブライエン先生の魔法学の講義を聴けるなんて、素敵だと思わない?」
サクラコは、着替えを手伝うランファにそう言って笑顔を見せた。
今日も、上手にゆでタマゴを食べることができたからだろう。朝からご機嫌である。
じつは、ゆでタマゴを食べるさい、ナイフでタマゴの上部を切る前にカンカンとナイフの背で殻を軽く叩いてヒビを入れる方が切りやすい。
しかし、彼女はそれをせずに一気にスパッと「斬る」。
もはや、達人の域である。
普通、そんな切り方をすれば、後には悲惨な姿のゆでタマゴが残るだけだ。
事実、彼女は幾度となく失敗し、哀れな姿となり果てたゆでタマゴを目にしてきた。
半熟タマゴの中身を部屋中に撒き散らし、ランファをガチギレさせたこともある。
先日、「聖女襲撃事件」の件であらぬ疑いをかけられていること知り、悲しい思いをしたサクラコ。どうやら、上手く気持ちを切り替えることができたようだ。
アレクサンダーたちが帰った後、レネン宮殿の中庭で彼女はひたすら剣を振った。
「報復ですって!? 頭オカシイんじゃない? やれるもんなら、やってみなさいよっ!」
かつて自らも襲撃され、それ以降も日常的に命を狙われてきたサクラコである。もはやそれは、彼女の生活の一部であり人生の一部になっている。
加えて、王立学院入学前に
ただ、胸の奥の方をきゅうっと締め付けるモノがあった。
それは、どうしようもなく、切なくて、苦しいモノで。
すぐにでも振り払いたくて。
目に涙を浮かべ、歯を食いしばりながら、剣を振り続けた。
「今日もありがとう。では、行ってきます」
王立学院まで送ってくれたディランとランファに、サクラコは労いの言葉をかける。
校門の前で彼らと別れ、ルナを抱っこして校舎に向かった。
三階建てレンガ造りの校舎の前に立つと、そこでルナを降ろした。
ルナと別れたサクラコは、板張りの床に赤い絨毯が敷かれた廊下を通って教室へ向かう。
黒光りする太い柱と梁、漆喰の内壁で囲まれた教室では、学生達が机に腰かけながらおしゃべりしたり、椅子に座って授業の予習をしたり本を読んだりしている。机に突っ伏して寝ている者もいた。
サクラコのいる一〇組は、三〇名のクラスである。
男爵、騎士爵の子が一〇名ほど、残りは平民の子だ。平民といっても、それなりに裕福な家庭の子で多くは商人の子だった。ごく少数だが、地元の篤志家の援助を受けて入学した平民の子もいる。
「みなさん、ごきげんよう」
王族スマイルで学生達に挨拶をして、教室内を見回す。
――アレクサンダーさまは、まだいらっしゃっていないようね。
サクラコは教室に入り着席した。
始まりのチャイムが鳴った。チャイムが鳴り終わっても、アレクサンダーは姿を現さなかった。今日は、欠席のようだ。
教室にケトラーが姿を現した。まず、彼から朝の連絡事項が伝えられる。
「えー、このクラスでは、武術以外の科目をすべて私が担当することになりました。毎回同じ顔ですみません」
――な、なんで、そんなことになるのっ!? お、オブライエン先生は!?
サクラコは心の中でそう叫んだ。
なかなか、波乱含みのスタートである。
午前中の授業が終わり昼食の時間。
サクラコは、昼食をとるために教室を出た。
王立学院には、大きな食堂がいくつか点在している。その他にもトレミィ講堂の周りに屋台の店なども出ていて、昼食の時間になると学生達で溢れかえる。
何人かの学生が、ルナに食べ物を与えている。
サクラコはその様子を見て微笑むと、その場を離れた。
「……わたしが学院にいる間くらい、ルナには羽を伸ばしてもらおう」
そう呟きながらもサクラコは、そっと胸元を押さえた。ちょっとだけ、胸の奥をきゅうと締め付けられる。
サクラコが昼食をとるために入ったのは、木造平屋建ての古民家のような鄙びたカフェだ。
王女である彼女にとっては衝撃の建物だったこともあり、おそるおそる入ってみたのである。
店内は教室の雰囲気と似ている。テーブル席とカウンター席があり、分厚い一枚板のカウンター席は圧巻だった。
思わず引き寄せられてカウンター席に座り、その美しい木目と温かみのある色合いにうっとりした。
そして、カウンターに立つ男性にローストビーフのサンドイッチと紅茶を注文する。
こうしてサクラコは、「ぼっちランチ」を楽しんだ。
サクラコは王女である。王族ならば、早々に取り巻きができそうなものだ。
しかし、入学前に流れていた様々な噂に加え、クラス分け発表の件、そして「聖女襲撃事件」の黒幕だという噂が学生達の間に流れていた。
そのためか「お昼をご一緒にいかがですか?」と誘いに来た者は誰もいなかった。
このカフェでも「お隣よろしいでしょうか?」と、声をかけてくる玉砕覚悟の男子学生すらいない。
店内で昼食をとっている学生達は、遠巻きに彼女をチラ見しながら食事したり、談笑したりしている。顔を寄せ合って、ひそひそと話している者もいた。
簡単な昼食を済ませたサクラコは、学生証を提示して会計を済ますと教室に向かった。
王立学院内で買い物や食事をする場合、会計は学生証を提示してする仕組みだ。
ミスリル製の薄いカードに学籍番号、氏名、住所、学院内で使用した金額などが、専用の魔導具を用いて魔力で入力される。学院内でした買い物、食事の金額は、月末に一括して学院から請求される。
サクラコが教室に戻ると、眼鏡をかけた少女がオレンジ色のポニーテールを揺らしながら駆け寄ってきた。
「サクラコ様。ケトラー先生がお呼びです。大事なお話があるので、校長室へ来て欲しいと」
「わかりました」
サクラコは、踵を返して校長室へと向かった。
校長室の扉は開け放たれていた。
「失礼します」
扉をコンコンと叩いたサクラコは、教室と変わらない内装の部屋の奥で彼女に背中を見せているケトラーの返事を待った。
白スーツ姿のケトラーは、執務机に寄りかかって窓の外を眺めていた。
サクラコの声に彼は振り返ると、
「扉は開けたままで、お願いいたします。どうぞ、そちらへ」
とサクラコに席を勧める。
サクラコは部屋へ入り、彼に促されるままに執務机の前に並べられた来客用のソファーに腰を下ろした。
「それで、わたしにどんなお話でしょうか? ケトラー先生」
探るような目でケトラーを見るサクラコ。するとケトラーは、
「『ジーク』で結構ですよ。ただし、この部屋だけでお願いします」
と言って人差し指を立てた。
「あれ? この前に会ったときと雰囲気が違う」と言わんばかりに、サクラコはぱちぱちと瞬きをする。
「遮音壁を展開しますね」
そう言うとケトラーは、部屋の壁に埋め込まれた魔石に魔力を流した。部屋の床に魔法陣が現れ、遮音壁が展開される。
扉を開けたままにしておく意味がないような? あまり他人に聞かれたくない話があるのだろう。
そして、サクラコの前に置かれたソファーに腰かけたケトラー。
彼が最初に尋ねたのは「聖女襲撃事件」についてだった。
「一組のカレン・ブラントが、バンブスガルテンで襲撃されたことはご存知ですか?」
「……えぇ、聞いています」
アレクサンダー達とのやり取りを思い出したのか、サクラコは目を伏せた。
「学生達の間で、妙な噂が流れているようです。それについては?」
「知っています。わたしがカレンに嫉妬して、彼女を襲撃させたとか。ジーク先生も、わたしをお疑いですか?」
視線を上げたサクラコは、若葉色の瞳を真っ直ぐケトラーに向ける。
「ははははは」
声を出して笑うケトラーに、サクラコは首を傾げた。
「貴女が彼女に嫉妬しているなどと言われている理由が、私には解りません。貴女は、カレンに嫉妬しているのですか?」
サクラコは首を左右に振った。
「けれども、嫉妬したことがなかったかというと、そういうワケでもありません。彼女のような力があれば……と思ったことはあります」
偽らざる本音だった。二年前に襲撃されて以来、幾度となく思ったことだ。
「しかし、それは貴女だけでなく他の者も同じでしょう。そんな動機だけで、貴女を疑うのは滑稽です。まったく、バカな噂だ」
ため息を吐いてケトラーは首を振る。彼は、サクラコを疑ってはいないようだ。むしろ、噂の渦中にあるサクラコを心配しているようだった。
「今回のクラス分けテストの結果も、貴女を疑う材料にはなりませんし」
そう言って、彼はにこりと笑う。きょとんとするサクラコ。
やがて、サクラコは「そうですわね」と貼付けたような笑顔を見せた。
そして、フフフ、ほほほと笑みを深めるふたり。
すると真顔に戻ったケトラーが席を立ち、執務机の引き出しから六枚の羊皮紙を取り出した。
彼はまたサクラコの前に座ると、手に持っていたそれを彼女に差し出す。
「クラス分けテストの貴女の答案と、貴女に配布した問題です」
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