第1章 ヴィラ・ドストの王族
第1話 王女の憂鬱
ヴィラ・ドスト王国王女サクラコ・ヴィラ・ドストは、窓から外の景色を眺めながらひとつため息をついた。
その手には、一通の招待状。
兄である第二王子アマティと第三王子クラウスの連名になっている。七日後の朝、王都近くの森へ狩りに出かけようという内容だった。
「わたしを狩りにお誘いになるなんて、お兄様たちは、いったい、どういうおつもりなのかしら?」
薄紅色の銀髪をツインテールにしたおさげの片方を胸元でいじりながら、彼女は筆頭側仕のセイランにそう溢した。
サクラコは、この二人の兄があまり好きではない。
とくに第二王子アマティは、会うたびに下卑た笑いを浮かべながらジロジロと舐め回すように彼女を見て、熱っぽい視線を送ってくる。できればこの兄とは、顔を合わせたくない。
――あのヘンな視線を感じるたび、寒気がします。
「しかし、お断りするのは難しいでしょうね。この前も、その前もお誘いをお断りしましたから。それに今回は、短時間ですが王様もご参加されるとか」
――さすがに、今回は断り切れませんね。
サクラコは俯くと、憂いを帯びた若葉色の瞳を外の景色に向けてため息をついた。
「……セイラン。では、参加する旨、お返事をしておいてください」
「かしこまりました」
そして、その日はやってきた。
「やぁ、サクラコ。よく来てくれた。今日は、私が君に弓の引き方を教えてやろう」
顔を見せるなり、第二王子アマティはサクラコの肩に手をかけ、耳元でそう囁いた。
そして人目をはばからず、彼女の髪の毛を指で弄ぶ。
サクラコは、精神的苦痛に顔を歪めながら俯いた。
彼女の護衛騎士のヴァイドとハンスは口元に薄い笑みを浮かべて、その様子を眺めている。
側仕のセイランは、相手が王子ではどうすることも出来ず、ただ心配そうに彼女の様子を伺うしかなかった。
「あ、あの、王様は?」
「ああ。後から来るそうだよ」
アマティは薄紅色の銀髪を弄びながら、気味の悪い笑みを浮かべてそう答えた。
「兄上、そろそろ出発しよう」
第三王子クラウスが声をかけると、ようやくアマティはサクラコから離れた。それでもどこか熱っぽい視線を、しつこく彼女に向けている。
それを振り払うように、サクラコはセイランの方に顔を向けて作り笑いを浮かべた。
「わたしたちも、出発しましょう」
サクラコは、セイランが手綱を取る馬に乗って森へと向かう。かぽかぽと馬に揺られながら、道の左右に広がる麦畑や鍬や鋤などを手に働く農民たちの姿を見ていた。
路肩で平伏する平民たちには、必ず「おはようございます」「こんにちは」と声をかけている。
王族に声をかけられることなど全くない平民たちは、誰もが目をまあるくしていた。
普段目にすることのない光景に、サクラコは若葉色の瞳を輝かせていた。平民の暮らしぶりについては話を聞いたり、書物を読んだりしたことがある程度だ。
このイベントに参加するのはあまり気が進まなかったが、思いのほか良いモノを見ることができて少しだけ笑顔になれた。
だがその笑顔は、やがて心の奥に苛立ちと嫌悪を秘めた作り笑いに変わる。
しばらくすると、アマティが彼女の隣に馬を寄せ話しかけてきた。サクラコは彼と目を合わせないように、馬の
しかし、相手は空気を読まない天才だ。こちらの事など気にも留めず話を始めた。
「最近、私はユーティスの『政治学提要』を読んでいてね……」
――はぁ。また、始まりましたね……。
「……ガイウス兄様は、ホント、いったい何を勉強しているんだろうね? あんな簡単な事も解らないなんてさ。だって、書物にそのまんま答えが書いてあるのにだよ? あれで、よく王位継承者になるなんて言えるよね。そう思わないか?」
第一王子ガイウスのように、話の内容が面白かったり手品のような一発芸を見せてくれるならサクラコも苦痛は感じなかっただろう。
しかし、アマティのする話と言えば、要するに自分がいかに優れているか、他の者がどれほど馬鹿なのか……といった内容ばかりで、正直、嫌悪すら感じる。
とくにガイウスを貶めるような言動が、サクラコにはとても耐えがたい。
――ガイウス兄さまの「解らない」は、アマティ兄さまのいう「解らない」とは意味が異なるのです。アマティ兄さまこそ書物の文章に満足していないで、すこしはその足りない頭で考えてみられては?
そう、口に出したい気持ちをぐっと押さえていた。
予想はしていたものの、もう、うんざりしている。まだ、目的地にも着いていないのに、どっと疲れが押し寄せてきた。セイランがいなければ、馬から転げ落ちていたかもしれない。
サクラコ一行が森に入り目的地に到着すると、早速、アマティが弓を二具持って彼女の方に近づいてきた。
「ほら。約束しただろう? 弓の引き方を教えてやる」
――そんな約束、いつしました?
アマティは、サクラコの手を引いて歩き出した。彼女は、イヤイヤながらも後をついて行く。
「ここで、練習しよう」
あらかじめ準備したのだろうか。藁を束ねた的が並べられている。
「見ててごらん。こうやって矢をつがえて……」
シュッと音がすると、矢が的を射貫く。
サクラコも矢をつがえて引こうとした。
――っ! 弦の張りが強くて引けない……。
背中が、ゾクッとした。おそらく、わざと引けそうにない弓を持ってきたのだと思った。
その狙いも、判ってしまった。
「よし。一緒に引いてみよう。ほら、こうして矢をつがえて……」
――っ……。
アマティの身体が、サクラコの背中に密着する。彼の顔が、彼女のすぐ側に迫る。
放たれた矢は、やや気の抜けた音を立てて的を射貫いた。
「ほら。上手くいっただろう。もう一度やってみよう」
それから、何度も何度も一緒に弓を引いた、いや引かされた。
肩、腰、下腹部、太腿など、ベタベタと身体中を触られながら……。
もう、何度、弓を引いただろうか。さすがに腕が痛くなってきた。
「兄さま。わたし、すこし疲れました。休ませてください」
そう言うと、アマティは少し不満げな顔で彼女を見ている。
サクラコは返事を待たず、速足でセイランたちの方へと歩き出す。本当は、全力疾走でその場を離れたかった。
「おい。兄上、もういいだろ。獲物を探しに行こう」
いつの間にか、第三王子クラウスも見に来ていたようだ。アマティは不満げな顔をしたまま、クラウスと獲物を探しに出かけていった。
馬の背に揺られて遠ざかる王子たちの姿を確認したセイランは、爪先を見つめるサクラコの背中を撫でた。
「姫様、喉が乾きませんか? お飲み物を用意いたしましょう」
背中にセイランの掌の温度を感じながら、サクラコは頷いた。
セイランたちが飲み物などの準備をしている間、サクラコは目に涙を浮かべて歯を食いしばり遠くの空を睨んでいた。肩を震わせて、爪が食い込むほど強く硬く拳を握りしめている。
――あんの、阿呆エロ猿がっ! いつか、絶対ブッ殺してやるんだからっ!
彼女は、心の中でアマティを罵倒した。とうてい、大国の王女とは思えないような下品な言葉で。
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