第2話 近代法の大前提 身体の自由
甲は、独身だが、恋愛経験は有り、セックスの経験もある。男女間の微妙な心情もそれなりに理解しているつもりである。パートナーが第三者と性交するのは、宜しくないことは、分かる。
が、何故なのか?これは当たり前なのか?
近代法では、身体の自由が認められた。フランス革命や南北戦争で、奴隷制は無くなった。個人の身体的自由は、何者も縛ることは出来ない、現代法の基礎の絶対的な理念の筈。人は、他人の体を所有することは出来ない。自己の体は、自己の所有に帰属し、誰しも、身体、いや身体の一部の指ですら、第三者の権利を制限しない状況下においては、他人からその使い方をとやかく言われる筋合いはない。
卑近に言えば、誰もが、第三者の陰茎の所有はできず、当該陰茎の使用、収益、処分はできない。同じく、第三者の大陰唇ないし小陰唇から膣にかけての有機的一体となった一塊、社会的慣用句で「まんこ」と呼ばれる部位に関して、使用、収益、処分は当然ながら、質権設定も、信託設定も出来ない。
その陰茎ないし膣の使用、収益、処分権は、本人のみ帰属する。以上の問答は、陰茎、膣等の言葉を用いているので、ふざけて聞こえるが、身体に置き換えれば、至極当然のことである。しかしながら、奴隷制度が認められていた、近代史以前は、人身売買が行われていたし、今の時代だって、どこかでは行われているだろう。
では、何故、結婚すると、本来認められない他人の身体の使用方法に、口出しできるようになるのか。心情や、当該パートナーの一方としての気持ちとしては、十分理解は出来る。しかし、法律で、離婚原因という極めてラディカルな効果を認める根拠はあるのか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます