第4話 思慕

 三年間、誰とも口を聞かず、朝晩の邸内の散歩以外は、部屋で静かに座している。そんな孤独な時間を浪費し、木村は新しい世に放り出された。


 西津藩の所領はすべて没収。三万石は五百石にへらされ江戸藩邸もすべて取りあげられた。


 木村のあとを継いでいた弟は、九段下の借家に住んでいた。家臣など五百石では養えるわけもない。木村は弟の世話になることなく、自活の道を選ぶ。


 ちょうど町奉行所にかわる、ポリスという組織を立ちあげる時。昔の伝手をたより、一番階級が下の巡査に採用された。木村の元の身分を知るのは、一部の上官のみ。大名であった自分を捨てる意味もあり、名も変えた。


 新規一転、ひとりで生きていくと決めた木村であったが、気持ちは膿んでいた。三年の時をへて、下界に出てみれば世の中はすっかりかわっていた。


 新政府は盤石な政治基盤を築きつつあり、何より武士という身分がなくなっていた。大名は廃藩置県により、所領をなくしたが華族という身分とろくを保障されていた。


 本来なら、木村もその華族の身分を手に入れていたのだ。敵であった薩摩の上官に顎で使われる身分ではなく、なに不自由ない華族であったはず……。


 そのような、過去の自分を否定するような思考にとらわれそうになり、木村はおのれを恥じる。不退転の覚悟をもって、陣屋に火を放つよう命じたのは木村であった。


 そんな木村を慕い、多くの家臣がしたがってくれたのだ。あの時の行いを否定することは、家臣の忠義を地に落とすこと。


 綸言りんげん汗のごとし。主君が発する言葉は汗と同じで、二度と取り消すことなどできない。


 そう心にしかと刻み、一役人として職務をまっとうしようとしていたのだが、政府のやり口には辟易へきえきしていた。

 薩長の連中はあれほど攘夷、攘夷と叫んでいたのに。今は手のひらを返し外国人の技術にたより、近代化をおし進めている。


 木村はなにも今さら、攘夷をとなえる気などさらさらない。むしろ、薩長が攘夷を声高に叫んでいた時、これからの日本には開国の道しかないと思っていた。


 幕府の中にも開国し欧米列強と肩をならべるには、近代化せねばならぬと主張するものもいたのだ。それを、封建的な旧習のとらわれた幕府を打倒し、近代化の世の中を作ったのはさも新政府だと言わんばかりの風潮。


 木村は巡査の立場から、文明開化の世を宣伝する政府をあざ笑っていた。政府の手先となり働く巡査が、政府を嫌悪する矛盾。

 そんな膿んだ気持ちを抱え、ほんのいたずらによってあの姫君とめぐり会った。


 職務で訪れた元広岡藩の下屋敷。対面する御簾のむこうの女性は、奥方だと聞かされていた。その張りのある若々しい声を聞いて、すぐに違和感を木村は覚えた。

 奥方は、公家出身。それなのに公家言葉をつかっていない。誰かが奥方になりかわっている。


 おもしろい。政府の役人をあざむこうとしている人物に、のろうではないか。言葉を交わすうちに、なりかわっている女性に興味をもった。

 誰だ、役人を手玉にとろうとしている見事な女は。女の顔がみたい。


 そんな乱暴な思いから、御簾をからげ上座に踏み込んだ木村を、雪姫と呼ばれた女は、まっすぐ無表情で見ていた。恐怖で顔を引きつらせるわけでもなく。


 ゆるぎない瞳。おのれの才覚を疑わず、自信に満ちあふれた傲慢とさえ感じる若武者のようなまなざし。

 むかし木村が出陣したおり、このような目をして家臣を鼓舞していたのではないか。雪姫のあかるい瞳の中にかつての自分を見るようで、目が離せなかった。


 出会った瞬間から、強烈に惹かれていた。しかし、同時に嫉妬も覚えていた、とあの時の自分をかえりみて木村は思う。

 木村がなくした矜持きょうじをもち続けている、風変わりな姫君。そんな生意気な姫君を泣かせてみたい。


 膿んだ心が加虐を生みだしたのかは、わからない。しかし、ずいぶん大人げないことをしたもんだ。


 雪姫に無体を働こうとした時を思い出し、木村は忍び笑いをもらしていた。


「どうされました、何がおかしいのです?」


 眼前に座す綾小路は、怪訝な顔で木村を見ていた。自分がした行いをこのババに言えば、うるさく叱責されるだろう。


「いや、少しババに似た人を思い出していたのだ」


「まあ、思い出し笑いなぞお行儀の悪い」


 綾小路は眉をそり落とした顔をゆがめた。


「許せ、今気になっている女人のことだ」


 ついぽろりとこぼした木村の言葉に、綾小路は色めき立つ。


「どこの姫君でいらっしゃいますか。ご正室候補が数多ある中から、決めあぐねているうちに忠宗さまはご出陣。今もおひとりでいらっしゃるのが、このババは心苦しゅうて」


 身をのり出して聞いてくる綾小路に、言うつもりはなかった木村だか苦笑しながら答えていた。


「広岡の深水家の姫君だ」


 綾小路のほころんでいた顔は、一瞬で凍りつきどんどん険しくなっていく。


「まあ、広岡ですって! 深水家と森家は縁戚。忠宗さまのおばあさまが、深水家からお輿入れされてからのご縁。そのおばあさまの兄上さまのご正室は、十一代将軍家斉さまのご息女」


 年寄りとは、どうしてこうも複雑な親戚関係を覚えていられるのか。綾小路の口からは、木村でさえ忘れていた深水家とのこまかい縁が、つらつらとよどみなく出てくる。木村は長い首をすくめて、だまって聞いていた。


「そのように将軍家のお血筋が流れているにも関わらず、広岡藩はさっさと官軍に寝返るしまつ。そのような不忠の家の姫君など、この綾小路の目の黒いうちはご正室にむかえることなりません」


 綾小路の力説を聞き、木村は大きくため息をついた。









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