9月21日 きりこが感じたこと
かくて、授業の試用期間は終わってなんだかんだ、よくわからないままに正式に授業は始まった。
講師陣の様子は結構バラバラで、試用期間だからと言ってオリエンテーションしていてくれた授業もあったし、普通にカリキュラムをこなす体で授業を始めることもあった。うちの担任が授業をしている数学はまず初めに教科書を閉じさせられた。先入観なしに数学が何を説明するから、それを聞いてから教科書を開けとのことだそうだ。よくわかんないけど、まあ授業自体はわかりやすかったっけ。私の隣でそらは、相変わらずだなあとちょっと呆れていたけれど。
あと、芸術系の科目も一つ選択する必要があったので、悩んだ末に私は結局、音楽にすることにした。そらとあいは美術で、みおが音楽、れいとゆいかが書道にしていたかな。
授業を選ぶという行程があるため、仕方のないことだけどゆいかとは別行動になることが結構、増えた。
ちょっと寂しい気もするし、割と受けてみた授業からぽんぽんと興味の湧くものを見つけ出すゆいかを見て、少し羨ましい気もした。
何となく、わかっていたけれど、ゆいかはちゃんと自分の興味や見たいものがはっきりしている質だ。
けいかや、浜崎さんや、山岸たちと同じで。
私とは、違う。
なんとなく、分かっていたことではあるけれど。
提出した時間割表を、パソコンの画面上で眺めながら、ふと首を傾げた。
これでいいのかな?
わからない。
画面上に浮かぶ解答用紙に記載した答えが、正しいのか、間違っているのか。
わからないまま、私は相変わらず立ち尽くしていた。
こうやって選んだ道は正しいのかな。間違っているのかな。
わからないまま、時間は進む。
はあ、けいか。いざ頑張ってみるとはいったけれどさ。
はたして私は一体、何に頑張ればいいんだろうね。
※
「音楽を選んだ理由?」
「うん、みおは、なんで音楽始めたの? 確か、ロック弾いてるって」
「うん、弾いてるよ。でも、理由かー、難しいこと聞くなあ」
音楽の授業は、割と楽なことに定評がある授業で、講師が持ってくる好きなクラシック音楽を聴いて、各自感想を提出するというだけのものだった。
「……なんかきっかけとかないの?」
「まあ、強いて言えば、好きになったロックバンドとかあるけれど。別にそれだけじゃないからなあ、なんとなく触ってみて、なんとなく始めたからなあ」
「そういうもんなのか……」
まあ、この手の質問はけいかや浜崎さんにも聞いてみたことはあるけれど、総じてあまり参考になったケースはない。けいかは具体的なエピソードを聞いて納得したけど、浜崎さんはみおと同じく、なんとなく始めたということだった。なんだろ、ギターを弾く人はみんななんとなく始めるものなのだろうか。
「うん、というか、始めるきっかけなんてなんでもいいからねえ。モテたいって理由で始めて、滅茶苦茶上手くなったベーシストもいたりするよ?」
「うーん……」
モテたい、モテたい、ねえ。まあ確かに、そんなんでも取っ掛かりになればそれでいいのかなあ。
講義室の三割ほどが睡眠に誘われている部屋の中で、私と澪は席の端っこで肘をつきながら、ぼそぼそと話しを続ける。
「結局、続けていくうちに何かを感じるか、だからねえ……」
「……やってみないと、わかんない?」
「うん、何かが掴めるまではさ」
「そっかあ」
結局、わかんない。ということがわかっただけだろうか。思わず、ため息が出るのを感じながら、クラシックに耳を傾ける。こういうのを聞いて眠くなったりはしないけれど、正直、知識がないからよくわかんない。だから、色々とクラシックの教科書に必死に眼を通してみたりしたけれど、あまり変わっていないと言うのが正直なところだ。誰がどこで、どんな技法とともにこれを成したのか、と頭に入れても正直、わかんないのだから。
「そんな難しく考える物でもないと思うけどなあ、色々やってたらそのうち何か感じられるよ」
「……そうなのかなあ」
色々やって……はいると思うけれど、一体、何が違うのだろう。
「例えば、……今掛かっている音楽はどう思う?」
「……天才が音楽家が18歳の時に、四時間くらいで作った曲……でしょ? ト短調で危機感を表している。歌手が三役を演じるから、技量が問われる……って知識だけは身に着けたけど」
「……」
私が小声で答えると、みおは若干、半眼で私を見てきた。なんだろう、なんというかちょっと呆れているような。
というか、よく考えれば、みおと一対一で喋る機会って少ないんだよなあ。大体、れいと一緒にいるから。そう考えると、随分、印象が違う気もするけれど。
なんだっけ、みおがロックを弾くほうで、インドア派。れいがロックを聴くほうで、アウトドア派だっけ。ちぐはぐ双子だって、何時か言っていた気がする。
ただ、そんな私の思考をよそに、みおはちょっと呆れ顔を浮かべたまま。
「なるほどなあ……」
と、一人でつぶやいていた。
……一体、なにが、なるほどなんだろう。
※
「で、なんで僕呼ばれたの」
「いいから、黙って手伝って」
その後、みおに「ちょっと試したいことがあるからきて」と連れられた私は、二人して音楽室にやってきていた。そして、そこになぜか先にいた松笠しょうげんくんと落ち合っていた。口ぶりから察するに、みおが呼んだみたいではあるけれど。
空きの時間割だから、誰も使っていない音楽室のロッカーから、みおはギターを二本取り出してくると、片方をしょうげんくんにずいっと渡している。私を連れてきたときから、なんというか微妙に不機嫌そうだ。怒っているというか、苛立っているというか。
もしかして、私の言葉が何か癇に障ってしまっただろうか。
ギターを渡されたしょうげんくんは、そんなみおを見ながら、どことなく楽しげに笑いながらギターを小さなアンプに繋いでいる。
「マイクは?」「いらない」「何するの?」「『掠れた声』」「りょーかい、ドラムなしだから、テンポは勝手にするよ?」「うん、出だしのタイミングはこっちでやるわ」
いまいち状況を飲み込めていない私に、みおはゆっくりと指を向けた。
「ねえ、きりこ。今からすることに感想はいらないから、口にしなくていい。知り合いの私たちが唄ってるからとか、余計なこと考えなくていいからね」
「え……う、うん」
「何を考えてもいいから、何を感じてもいいから。俗物っぽくっても、元も子もなくても、言葉に成んなくても、なんでもいいから。いい気持ちも、悪い気持ちもなんでもいいから。
だから、ちゃんときりこの心の動きを感じてて。身体がどんな反応するか、全部全部感じてて、それだけでいいから。それだけを大事にしてて」
それから、そう、捲し立てるように告げてきた。私はまだ、要点が飲み込めず、きつめの感情を向けてくるみおに圧倒されているだけだった。ただ、その隣でしょうげんくんは、くすくすと楽しそうに笑っていた。
「まあ、要するにリラックスして楽しんで聞いてねってことだよ」
それから、そう付け足して、私はそれに曖昧に頷いた。
リラックスして? なんでもいいから? 感じていればいい? どういうことだろう?
「きりこは、きりこのことだけ考えていたらいいから」
私のことだけを?
答えはないままに、みおはどことなく必死そうな顔のまま、ぎゃいんと引き裂くようにギターの弦を鳴らした。
それに呼応するように、しょうげんくんもギターを構えた。
バチン、とスイッチが切り替わるような音が何処かで鳴った気がした。
それくらい、二人の雰囲気が真剣なものに切り替わる。
何が、かはわからない。何で、もわからない。
ただ、変わったように、そう感じるだけ。
言葉にできないような細かい部分が、あるいは言葉にできない全てが。
一斉に世界の全てが塗り替わったような感覚を覚える。
始まる、何かが。それをただ感じていた。
二人がどんな音楽をするのか知識はない。
何を唄うのか、それすら知りもしない。
ギターもベースも詳しい技術のことなど、何もわかりはしない。
わかりはしないから、私はただ二人の姿を見ていることしか出来なかった。
二人がどんな顔で曲を弾くのか、どんな声で歌を唄うか、どんな想いで音を鳴らすのか。
ただそれを感じていることしか出来なかった。
それでいいと、みおは言った。それだけでいいと、みおは言った。
何故も、どうしても、答えは結局出ないまま。
二人の声で一瞬で塗り変えられた世界の中。
「
」
言葉をあてはめないままの何かが、私を埋め尽くしていた。
※
「つまりの話の要点をまとめると」
歌い終えたしょうげんくんは、指先をくるくると回しながらギターを脇に置きながら、そう話を切り出していた。
「みおはこう想ったわけだ『きりこは知識や先入観があって、純粋に聞くこと感じることを楽しめていないんじゃないか?』って。だからそういうのを抜きにして、自分たちの音楽を聞かせてみたかった、と」
「う、うん……」
そう応えるみおは、さっきまで歌っていた時の姿とは打って変わって、蹲って恥ずかしそうに顔を下に向けていた。凛々しかったまなざしは、ちょっとうるんで、はっきりと歌詞を並べていた口は、小さくすぼんでいる。なんだか、色々と切り替わりが激しい子だなあ。
そんな様子を見てふと気づいたけれど、いつもみおとれいが喋るときに、後ろから引っ付くように喋っているのがみおなんだ。
どちらかと言えば、インドア派。れいの陰に隠れているからわからないけど、少し引っ込み思案なところはゆいかを思わせる。
それでも、歌を唄うのはみおなんだね。
「で、なんで照れてんの」
「なんか……急に恥ずかしくなってきた。生演奏の方がインパクト大きいかと想ったけど……よく考えたら別に私の曲じゃなくてもよかったなって」
「感情乗って、いい演奏だったと思うけどね。ねえ、きりこ?」
「うん、なんだろ、上手く言葉にできないけれど、感動したよ?」
「だー!! そういう忖度は今は要らないよ!! きりこに何か感じてもらうのが目的なんだから!!」
みおは膝を抱えたまま、顔を真っ赤にして涙目になりながらぎゃーぎゃー喚きだした。私としょうげんくんは顔を見合わせて、お互い肩をすくめる。
「ありがとう、みお」
「むー……別に。ただ、なんとなくもったいない感じ方してるなって想っただけだよ」
「というと?」
「きりこは、例えば、ご飯を食べるのにさ。いちいち産地を調べて、これはどこ産でこういう調理法でって、頭を埋め尽くして食べてるみたいだったんだよ。別にそれは知ってたほうが楽しいかもしれないけれど、ちゃんと味わうのが前提での知識じゃん? だから知識より先にちゃんと感じた方がいいって想ったんだよ」
「……なるほど」
言われてみれば、確かにそうなのかもしれない。
「そうだね、何かを始める理由なんて。『なんとなく楽しい』っていうのが結局はじまりみたいなものだからね」
しょうげんくんはそうまとめるように独り言ちて、私はほうと頷くけれど、そんなしょうげんくんをみおは藪にらみで眺めていた。
「モテたくてギターを始めたやつがなんか言ってる」
「え」
私は思わずしょうげんくんを二度見する。落ち着いた様子でギターを弾き続けていた彼は、優しい笑みでひらひらと手を振った。
「ほんとはドラムがよかったんだけどね。ほら、寺っこだから、木魚っぽいだろう? まあ、上手くできたのはベースだけだったけど」
「動機が不純な癖に技量はあるから腹立つんだよなー」
「失礼な、僕はモテたいという動機に非常に真摯だよ? ベストなパートナーを選ぶためにはやっぱり母数が多くないと」
「なんか、二人とも思ってたキャラと違うなあ」
みおとれいは二人揃って、快活な人だと思ってた。
でも実際のみおは、引っ込み思案で、感情的で、それを歌にして唄ってた。
しょうげんくんは、大人しくて冷静な人かと思ってたけど、意外と俗物っぽくて、なんというか元も子もない人だった。
唄う歌は確かに綺麗だった。でも唄う二人はなんだかどこまで言っても、私と地続きの誰かみたいだ。
「てなわけで、なにかつかめた? きりこ」
「いーや、さっぱり。歌はよかったなって」
「まあ、そんなもんだよね」
何かを掴めたかと言われたら、わからない。
言葉にはできない。
だから、三人で他の誰もいない音楽室の中、笑ってた。
胸の鼓動が鳴っている。
息を吸えば、いつもより身体の隅まで空気が流れていくような感じがする。
頭の痛みがほんの少しだけ和らいでいて。
感じられたのは、ただそれだけ。
言葉にならない、何かだけ。
でも、もしかしたら、それでいいのかもしれない。
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