葛桂の春③

「……はぁ、小豆ですか?」


 気の抜けた声を発して、伊那いなはその隣に座る寅二を見た。彼もまた、急に小豆が何なのだ、と言ったような顔をしている。


「一粒二粒で良いんだけどな。おおい、誰か持ってねぇか」


 そう客席に向かって問い掛ける。すると老人達の視線は一斉に卓の上のおはぎに注がれた。


「あー、まぁ、そうだよな。もうこいつになっちまったよなぁ」


 いやぁ、参った、とぼさぼさの頭を掻く。


「何だよ白ちゃん。小豆なんかどうするつもりさ。まさかと思うけど、鼻に摘めて飛ばすとか、そんなしょうもないことするつもりじゃないだろうな」


 飛助に半眼で睨みつけられ、ガキじゃあるまいし! と言い返す。しかし、ないものは仕方がないか、と腰を上げると、袖をついつい、と引かれた。見ると、こちらも老婆である。先ほど声をかけた伊那よりもさらにしわの数が多いような気がする老婆である。いや、そんなことはないか、しわの数は多いが肌の艶はこちらの方が……というのはどうでも良い。とにかくこの集落に住んでいるのは、正直なところ白狼丸にはほぼほぼ見分けのつかないような老人ばかりなのだ。


 その老婆が。


「袖の中に三粒ほど紛れておりましたわ。これでよろしいでしょうか」


 と言って、白狼丸に小豆を手渡してきたのである。


「おお、助かる。ありがとうな」


 さて、と手の中の小豆三粒を握り締め、舞台上の飛助を見る。いきなり視線を合わせて来た白狼丸に怪訝そうな顔をして「何だよ」と言うと、白狼丸はにやりと笑って、


「おれにもとっておきのヤツがあった」


 と言った。


「ほぉ? どんな芸だか見せてみやがれ、ワン公」

「おう、見せてやるとも猿公」


 バチバチと火花を散らす犬猿に、青衣は愉快そうに眼を細め、太郎はというと、「よさないか二人共、こんなところで」とおろおろしていた。



 さて、小豆三粒である。一体これで白狼丸はどんな芸を見せてくれるのか。お手並み拝見だとばかりに飛助は腕を組んで舞台袖に引っ込んだ。もちろんその隣には太郎がいる。

 彼は「俺にも何か手伝えることはないか」と白狼丸に申し出たのだが、「まぁ見てろ」と返されてしまい、すごすごと袖に引っ込んで来たのである。白狼丸のことだからきっと大丈夫なのだろうとは思いつつも、彼の発した「芸なんて出来ない」という言葉が頭の中でぐるぐると回っていた。


「坊、そんな泣きそうな顔をしなさんな。あいつはあれで案外やる男だろゥ?」

「それはそうなんだけど」

「惚れた男のことくらい、信じておやり」

「そうだな」

 

 さらりと放たれた返答にすかさず反応したのは飛助だ。


「――え、えぇっ!? た、タロちゃん……?!」

「どうした飛助」

「だ、だって、ほ、惚れた男って……!」

「え? ああ。そりゃそうだろ。白狼丸は茜が惚れた男なんだから」

「それはそうだけど」

「茜と俺は別々だけど、同じだからな」


 別々だけど、同じ。

 一見矛盾しているが、確かにそうなのである。

 心は完全に別だし、形も変化するものの、器自体は同じものだ。


「そうだけどさぁ~」

「諦めな、お猿。何を言ったって、あの犬っころが坊にとって一等なのは悔しいけど事実なんだよゥ」

「やだ! 諦めきれないっ! 茜ちゃんは良いとしてもタロちゃんは譲らん!」

「ハイハイ、ちょいとお黙り。ほら、犬っころが何やら頑張ってるんだから」


 むすぅ、と膨れて舞台を見たが、そこに白狼丸の姿はなく、彼は客席のちょうど真ん中に立っていた。


「あんなところで何するつもりだろ」


 膨れていた頬をふしゅうと萎ませ、じぃ、と見つめる。すると彼は客をぐるりと見回しながら言った。


「おれが目を瞑っている間に、誰でも良いから、この小豆を懐に隠せ。そんで、アレだ。えっと、さてお立ちあぁい、見事当ててみせようぞぉ、だったか?」


 さすがに口上までは上手くいかずしどろもどろではあったが、老人達は「いくら何でも小豆が三粒集まったところで」であるとか「こっそり薄目を開けて見ているんじゃないか」などとなかなか良い食いつきをする。ならば、と首にかけていた白布を目の周りにぐるぐると巻き付けて「だったらこれで文句はねぇな」と煽ってやると、「おう、それなら」と老人達はこそこそと集まってその中の一人に三粒の小豆を託した。


 飛助は「くっそぉ、白ちゃんにはそれがあったな」と悔しそうに零し、太郎は安心したのか、ほぅ、と息を吐いた。青衣は「何だい、あの犬っころはそこまで鼻が利くのかえ」と呆れ顔である。


「よし、当ててみろ、若造」


 その言葉で布を取ると、集落の長のような立場にある老人が、にやりと笑った。その表情に少々苛立ちながらも「それじゃ遠慮なく」と悪い笑みを返し、老人の輪の中に顔をつき出して一度だけ鼻を、すん、と鳴らした。


「ほうほう。よしよし。うん。わかった」


 自信満々にそう言って、びし、と一人の老婆を指差した。少しも悩む素振りもなく、盛り上げるためにもったいつけることもなく、ただただ当然のようにまっすぐに。


 それが最初に声をかけた伊那なのか、小豆をくれた老婆――佐波さわという名のおはぎ名人である――なのか、はたまたそれ以外なのかはさっぱりわからなかったが、この際名前などはどうでも良い。肝心なのは小豆が懐に入っているか否かなのである。


 指を差された方の老婆は、しわしわの瞼を持ち上げて限界まで目を見開き、ふるふると懐に手を入れた。そうして取り出されたのは三粒の小豆である。


「な、当たったろ」


 小馬鹿にするかのような顔でにやりと笑えば、老人達は一斉に「もう一回だ」「布がずれていたのではあるまいか」「今度は後ろを向け」などと騒ぎ出した。無理もない話である。これだけ様々な匂いのある中で、たった三粒の小豆を嗅ぎ分けられるはずがないのだ。


「おうおう、後ろでも何でも向いてやらぁ」


 その上白狼丸がこのような態度なものだから、生意気な若造め、と老人達もついむきになる。


 けれど、何度やっても結果は同じである。

 白狼丸はあっさりと小豆の所持者を当て続けた。さらには、「さすがにこれならわかるまい」とこっそり一粒ずつ三人に分けても「おいおいじい様共、ずるはいけねぇなぁ」と暴いてみせたのであった。


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