葛桂の春②

「……畜生、これはすげぇ」


 普段から「おいらの本業は軽業師だから」と豪語するだけあって、彼の芸は見事だった。


 器用に足の指だけで竹馬に乗り、升を乗せた傘を回してみせたり、木と木の間に張った綱の上を逆立ちの姿勢で渡ってみたり、白狼丸がぎちぎちに縛り上げた縄からするりと抜けてみせたり、そしていまは、子どもの頭ほどの大きさの鞠を自由自在に操っている。

 

 観客席にいるのはものの見事に枯れきった爺と婆ばかりであったが、その真ん中、最前列に少女が二人いる。小萩と雛乃である。


「飛兄、すごーい!」


 と小萩が手を叩いて声を上げれば、雛乃も負けじと、


「飛助、すごいですわ!」


 と声を張る。


「飛兄、またお団子食べさせてね!」と小萩が勝ち誇ったように雛乃を横目で睨みつけると、


「飛助、こないだ行った甘味処、また参りましょうね!」と雛乃が『二人で』という部分を強調しつつ、それに返す。


 最早声援でも何でもなくなっていたが、お互い競い合うように声を張り上げる人を見て、白狼丸と青衣はくつくつと喉を鳴らした。


「何だよ、嬢ちゃんの本命はあの猿なんじゃねぇのか」

「おやおや、気付くのが遅いんじゃァないのかえ? わっちはとっくのとうに気付いていたよゥ?」


 舞台の袖でひそひそと言葉を交わす二人の横で、太郎はぱちぱちと拍手しながら「飛助はすごいなぁ」と瞳を輝かせていた。


 すると、ひょいひょいと鞠を蹴っていた飛助が、ちらりと三人に視線をやる。そして、ちょいちょいと手招きをした。一体誰を呼んでいるのかと、三人がほぼ同時に無言で己を指差すと、やはり彼も無言でにんまりと頷くものだから、はて、呼ばれたのは自分であったかと、三人が同時に舞台へ出る。


「っはー、来た来た。ええとね、せっかくだから、次はおいらの仲間にも何かやってもらおうかなー、って」


 突然の無茶ぶりである。


「は? 何かって何だよ。おれら芸なんて出来ないぞ? なぁ、姐御?!」


 なぁ、と青衣に振ると、うんと見下したような冷めた視線と共に、「無能な犬っころと一緒にしないでもらいたいねェ」などと鼻で笑われる。そして小声で「腐ってもこっちは元忍びなんだよ」と囁かれれば、ぐうの音も出ない。


「太郎、お前は芸なんて何も出来ないよな? な?」

 

 と、今度は太郎に同意を求めると、やはり彼は素直にこくりと頷いて「俺は何も出来ない」と肩を落とした。そこへすかさず飛助が「ああん、タロちゃんはおいらのお手伝いしてくれれば良いから」とその腕を取る。


「手伝いって言っても、俺は何も」

「良いから良いから。大丈夫大丈夫。さーって、最初は誰がやる? 白ちゃん? 姐御?」


 うきうきと二人を交互に見ると、青衣は懐から扇子を取り出して、それを、ばさ、と広げ、その場でくるりと回ってみせた。「それじゃァわっちが」と言いながら、舞台の真ん中まで進み出、しなりしなりと舞って見せれば、良いぞ姉ちゃん、と主に爺共が大喜びである。枯れているとばかり思っていたが、美人には弱いらしい。


「畜生、姐御め、そんなことも出来るのかよ」


 自分にも何かなかったかと歯噛みしていると、ぴたりと動きを止めた青衣が、「ちょいと犬っころ、ここに立ちなァ」と指示を出した。そして、客席の卓上から懐紙に乗せられたおはぎを一つ取ると、それを彼の頭に乗せる。


「おい、姐御何の真似だ」

「さすがにあんな半端な舞だけじゃァつまらないだろ」

「いや、十分だって。おい、こんなもの乗せてどうする気だ」

「動くんじゃァないよ。いくらわっちの腕が良くても的に動かれちゃァ敵わん」

「は? 的?」

「安心おし、竹串にしてやるから」

「そういう問題じゃ」

「大丈夫、どちらかといえば棒手裏剣の方が得意なんだ、わっちは」

「どちらかといえばって何だよ! そんなに得意じゃないのかよ!」

「大丈夫。動かなけりゃァね。だから絶対に動くんじゃァないよゥ」


 そこまで念を押されずとも、頭のてっぺんにそんなものを乗せられれば身動きなど取れるはずもない。彼から距離をとる青衣に向かって、おいやめろ、と叫びそうになるが、「動くなァ!」と一喝され、ぐ、と歯を食いしばり、目を瞑った。


 と。


 ずん、と頭上のおはぎを指ではじいたかのような衝撃があった。

 それによって、ほんの一分か二分、後方にずれたようである。そして一拍遅れて客席から割れんばかりの――とまではいかないまばらな拍手と歓声が上がる。


「姉ちゃん、やるなぁ」

「あたしゃ心の臓が止まるかと思ったよぅ」


 そんな声が聞こえ、目を開ける。

 舞台のうんと端に立っている青衣が、串を放った姿勢のままこちらを見つめており、にまり、と笑っていた。くそぉ、と呻きながら串刺しになったおはぎを回収し、がぶりと齧る。美味いのがまた腹立たしい。


「いやぁ、さすがは姐御だ。さ、お次は――タロちゃんに手伝ってもらおうかなぁ」

「俺? だけど、俺は何も出来ないって」

「大丈夫大丈夫。おいらのことさ、片腕だけで持ち上げられるかい?」


 飛助がそう尋ねると、客席からは「そんな細腕にゃ無理だろう」などという声が聞こえてくる。


「いやいや、このタロちゃんはね、これで案外とんでもない力持ちなんだ。まぁ見ててよお客さん達。ね、出来るよね、タロちゃん?」

「そりゃまぁ出来るけど」


 その答えを待って、「それじゃあさ――」と何やら耳打ちをする。時折「えぇ」だの「大丈夫なのか」だのと言いながらも、最終的には「わかった」と頷いた。


 そして、よいしょ、などという掛け声もなく、まずは両手でひょいと彼の身体を持ち上げた。それだけで客席からはどよめきが起こったが、いやいやこれから、と言わんばかりに飛助は首を振る。軽々と持ち上げられた飛助は、一度太郎の右肩に乗ると、今度はその頭を支えにして立ち上がった。そしてそのまま片方の足だけで立つ。太郎が右手を彼の前に出すと、今度はその手を掴んで倒立してみせた。


 そしてぴたりと止まると、ぽかんと口を開けている観客に向かって「ちょっとぉ、拍手はぁ?」とおどけてみせる。ねぇねぇ、と促すように足をぱんぱんと打ち鳴らすと、誰かの「あいや、お見事」の言葉を皮切りにまばらな拍手が送られた。

 この場合、飛助もすごいのだろうが、表情一つ変えずに彼を支え続ける太郎もすごいと、「いやぁ兄ちゃん、そんな細腕で頑張ったなぁ」などという声も聞こえ、太郎はその手に飛助を乗せたまま、照れたように頭を掻いた。


 こうなると悔しいのは白狼丸である。

 おれにも何かなかったかと、腕を組んでうんうんと唸り、そうだ、と膝を打った。


「おいばあ様」


 ずかずかと観客席に降りると、身を低くして、雛乃の隣に座っていた老婆に声をかけた。


「小豆余ってねぇ? 煮る前のやつ」


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