ご機嫌とり④

「それでな」


 と、青衣に視線をやる。

 またも律儀に何やら語ってくれようとしているのかと身構える。けれど今回は彼が聞き間違いをするような発言は誰もしていないはずだと太郎以外の三人は思った。


「青衣は――」


 とそれだけを言って、一度苦しそうに目を伏せる。やはり何もないのだろう。けれど何か言わねばと思ってくれたのだ。


 その心根だけで十分なのにねェ、と青衣が目を細めると。


「ウチの姉さん達がぜひ化粧や所作を教えてもらいたいと言っていた」

「――ううん?」

「化粧ぉ?」

「所作ぁ?」


 三人三様にそれぞれ驚きの表情を作ったまま、気の抜けた声を発する。


「倉庫係と紙資材係が卓を挟んで言い合っていたら、気付けば姉さん達も集まってきていてな。てっきり見学に来たのかと思っていたら、よく店に出入りする薬師様の話を聞かせてほしい、って言われて」

「は、はぁ……?」

「俺のことなら何も面白い話はないけど、仲間の話ならいくらでもあるからな。とは言っても、聞かれたことをそのまま答えただけというか――、ああ、安心してくれ。実は男だの、元忍びだの、そういうことは言っていない」

「まァ、その辺は別に心配しちゃァいないけどさ」


 とはいえ、そう大して深い仲というわけではない。

 青衣がどこで生まれ、どのような生涯を送って来たのかなど、太郎は何一つわからない。


 だから、いままでに見たことのある着物の色や柄であるとか、好んで食べる甘味であるとか、いつか話の流れで聞いた愛用の化粧品など、それくらいではあったが。


 それを話す度に姉さん達は瞳をきらきらと輝かせて、その着物はどこで買ったのかとか、やはり扇子は一つくらい持っていた方が良いのかとか、今度の休みにはその甘味を買って扇子屋に行ってみようかなどなど、きゃっきゃと盛り上がっていたのだという。


「青衣は本当は男だし、こんなことを言われて嬉しいのかどうか正直迷ったんだけど。気を悪くしたなら、すまない」


 そう言って、困ったように眉を下げる。成る程、先ほどのあの表情はそれでか、と三人は得心した。


「それで、坊はどう思ったんだい?」

「俺?」

「わっちのことをあれこれ聞かれたんだろ?」

「うん」

「どんな気持ちでそれを語ってくれたのか、って思ってさ」


 すい、と顔を近付けて、にんまりと笑う。我が子に向けるような慈愛に満ちたその目に、太郎の胸はじわりと温かくなる。


「こんなことを思って良いのかはわからなかったけど、やっぱり嬉しかったよ。本物の『女』から見ても、魅力的に映るほどに『女』なんだと思ってさ。やっぱり青衣は一流だ」


 そうだろうそうだろう、と目を細める。本物の女を超えなければ、化けている意味などない。


「それで――、なァ坊よ」

「何だ」

「坊は、わっちのこときれいだと思うかえ?」


 こう聞けば、きっと彼はきれいだと言ってくれるだろう。

 何せ見た目だけなら、そんじょそこらのきれいどころを小指一本で伸せるだけの自信はある。


「きれいだよ」


 何のためらいもなく、まっすぐ見つめてそう言う彼は、やはり優しい。


 この手が、この身体がどんなに汚れていようとも、気付かれなければ良い。悟られなければ良いのだ。そうしたら、いつまでもきれいな青衣としてそばにいられるだろう。ずっとそばにいてくれるだろう。


「青衣もたくさん辛いことがあったろう」

「……何だい」

「俺は何も知らないけど、わかる」

「わかるって、何をさ」

「俺のことを大切にしてくれるのは、俺を失いたくないからだろ」

「それは……」


 す、と白い手を取られる。

 結局、二十歳この年になっても、その手は女のように細く華奢だ。もちろん女に化けているのだからその方が好都合ではあるけれども。


「そんなに怖がらなくても、俺は簡単に消えたりしないよ」

「何言ってんだい」

「失ってきたんだろう、たくさん。そうじゃなきゃ、そんなに怯えるはずがない」

「……恐れは忍びの三病って言ったろ。わっちに怖いことなんて」

「青衣」


 被せるように名を呼んで、


「大丈夫。大丈夫だからな。俺は何があっても青衣の仲間だ。だから、何も怖くないよ」


 幼子をあやすような優しい声でそう言われれば、堪えようときつく閉じた瞼から、じわりと涙が滲んでくる。


「怖いことなんざ……ひとっつもあるもんかね……」

「忍びだって何だって、怖いものの一つや二つあったって良いだろ。青衣が怖い時には俺がそばにいる。俺だけじゃなくて白狼丸も飛助もいるよ。なぁ?」


 そう問い掛けられれば、せっかく気を利かせて見ないふりをしてやっていたというのに答えないわけにはいかない。


「当たり前だろ」と白狼丸が言い、

「姐御だったら胸を貸しても良いよ」と飛助が笑う。


 一切の迷いもなくそんな答えをもらってしまったら、さすがの青衣とて澄ましてばかりもいられなかった。


「まったく、アンタ達にゃ敵わないよ。わっちもまだまだ修行が足らんみたいだねェ」


 ほろほろと落ちる涙を袖でそっと拭い、珊瑚のような色の唇をそっと噛む。


 怖いものなんてやはり何もない。

 ただ一つ恐れていたことさえも、仲間達が奪い去ってしまった。


 こういう風に奪われるのなら悪くない。


 過去は残る。

 それは己の土台でもあるのだろうが、その上でなければ立てぬような子どもでもない。どんなに病み、腐り、朽ちかけた土台でも、何か別の物で支えてやれば良いのだ。


 わっちには仲間がいる。

 雀には父がいる。

 

 なくしたものは多く、その殆どは帰ってこない。けれど。


 いまのこの瞬間を惜しく思うのなら、生きねばならんよ。わっちも、お前もね。


 目を閉じて最後の雫を落とすと、青衣は、父の腕の中で眠っているだろう雀に向かってそう思った。

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