ご機嫌とり③
「しかし、最近のお嬢様にも困ったもんでさぁ」
三人に頭を下げられ、太郎は涙も酔いも引っ込んだらしい。飛助がそう話し始めるのを、まだ少し赤みの残る顔で聞いていた。
「何かあればすーぐ作業部屋に来てさぁ、用事言いつけて来るんだよぅ」
お陰で仕事が全然捗らなくてさぁ、と眉を下げ、団子をつまみに酒を飲む。
「用事かぁ」
「今日の用だって買い物の荷物持ちだったんだろ? こないだなんかわざわざそれで半休取らされたりもしたんだから」
「そりゃお前、嬢ちゃんに気に入られたんだろ」
「お猿は年下から慕われるみたいだねェ」
「いや、飛助は年配の方からも人気だろ。ほら、こないだおじいさんばかり六人も訪ねて来たじゃないか」
「いやいやタロちゃん、あれは地蔵様だから」
「そうだった」
まぁ、でもさ、と最後の一串に手を伸ばす。団子をつまみに酒なんて飲めるか、と白狼丸も青衣もそれに手をつけることはなかったから、結局その大半は飛助の腹に収まる結果となっていた。
「おいらってさ、自分で言うのも何だけど、下はよちよちの赤ちゃんから、上は棺桶に足突っ込んだお年寄りまで、結構幅広ーく好かれちゃうんだよねぇ」
と、そこでやめておけば良いものを、どこぞの粗野な犬公とは違ってさ、などと余計なことを足すものだから、白狼丸はそんな安い挑発にもきっちりと血管を浮かび上がらせて、何だと、とその胸ぐらを掴む。
「よさないか、白狼丸。でも確かに飛助は人当たりも良いし優しいから、皆に好かれていると思うよ」
太郎がそう言うと、だろ? と猿はなおのこと調子に乗って、半眼で白狼丸を見た。それもまた彼を苛立たせたが、ぐっと堪える。
「その点白狼丸はちょっと誤解されやすいかもしれないけど、俺はお前が本当はとても仲間思いで優しいってことを知ってるから」
「……は、はぁあ?」
「それに今日、葉蔵兄さんと昼飯を食ったんだが、俺があまり楽しい話を出来ないもんでな、気を遣って兄さんの方から色々と白狼丸の話をしてくれたんだ。ほら、葉蔵兄さんも倉庫係だろ」
「う、ううん? おい、太郎」
「おやァ? 気になるねェ、犬っころの仕事ぶり。大層優秀だってェ話じゃァないか」
優秀なのは否定しねぇが、と即座に返したが、正直なところ自分の働きぶりを話されるのは恥ずかしくて仕方がない。それに太郎が話すということは、聞いた話をそのまま伝えるのだろうし、葉蔵がどう話していたかによっては真逆の評価をされかねない。
「いつだったか、自分の仕事を早く終わらせて手伝いに来てくれたとか、帳簿の間違いは皆に気付かれないようこっそり指摘してくれるだとか、それから――」
「もっ、もう良い! やめろ!」
「――むぅ?!」
耐え切れなくなった白狼丸が思わず太郎の口を手で塞ぐ。
どうやら葉蔵は白狼丸の評価を下げるようなことは言わなかったらしい。彼を貶めて相対的に己を上げるような姑息な真似をするような男ではなかったということである。
いや、葉蔵とて聖人ではない。それ考えなかったわけではないのだ。けれども、
事実、
「こないだ白狼丸がな」
そう口にすると、太郎の眉がぴくりと動いたのだ。想定通りの反応に、よし、良いぞ、と前のめりになる。
「俺の仕事が終わらなくて困っていた時に、手伝いに来てくれてなぁ」
それで、「あいつはちょっと生意気なところもあるが、案外優しい」だの「帳面の記録はあいつのが一番間違いがなくてきれいだ」などと並べてやれば、その度に太郎は嬉しそうに目を細めるのである。その顔が見たくて、葉蔵は飯が冷めるのも忘れて白狼丸の仕事ぶりを――もちろん彼の恥ずかしい失敗の部分は伏せて――語り続けたのだった。
と同時に、やはり自分では彼を笑顔に出来ないのだな、と密かに恋心をおさめた葉蔵である。
「ずるい!」
両手を固く握り、そう発したのは飛助である。
「ずるいぞ白ちゃん!」
「何がだよ!」
「おいらだって、タロちゃんからそういう感じに褒められたい! 何ちゃっかり仕込んでんだよ、汚ねぇぞ!」
「汚ねぇって何だよ! 仕込んでねぇよ!」
「おい、犬っころ、まずは手をお放し! 坊が苦しがってるだろ!」
そう言いながらその手を引き剥がし、「おお、可哀相に」と塞がれていたその口を優しく撫でてやる。その手をするり、と頬に滑らせれば、そのまま口吸いに雪崩れ込みそうな雰囲気である。
そうはさせるか、とばかりに白狼丸が太郎の身体ごと抱きかかえるようにして奪還した。「おうおう、男の嫉妬はみっともないねェ」とさっきまでのしおらしさをどこに置いてきたのか、いつもの調子で
「あー! もぉ! またそうやって自分ばっかり!」
案外あっさり引き渡してくれる青衣とは異なり、飛助は、我も我も、とばかりに飛び込んでくる。何が悲しくて野郎を二人も抱えねばならんと思うが、うち一人は手放すわけにもいかず、そうなると必然的にそのもう一人もおまけとしてくっついてきてしまう。
だから結果的に、太郎は犬猿二人に前後から挟まれる形となるのであった。
「ちょ、ちょっと二人共。苦しい。暑い。重い……」
太郎の声で二人同時に離れると、解放感からか、はぁ、と大きく息を吐いて、「そんなに心配しなくても」と飛助を見上げる。長いまつ毛に縁どられた大きな瞳が少し潤んでいて、半分ほど開かれている唇もぷくりと瑞々しい。危うく見とれてしまいそうになり、飛助は、ぶるる、と首を振って尋ねた。
「心配しなくても、って何だい?」
「話にはまだ続きがあるんだ」
「続きだとぉ?」
続き、の言葉にぴくりと反応したのは白狼丸である。これ以上自分の恥ずかしいところをバラされるのであれば、再びその口を塞ぐことも吝かではない。
「葉蔵兄さんがあまりにも白狼丸の自慢をするんでな」
と、そこで「自慢って」と飛助が吹き出すのを白狼丸が小突く。
「ウチの飛助だってなぁ、って仙次兄さんが割り込んできたんだ」
「ほえぇ? 仙次兄さんが?」
どうやら後ろの卓で飯を食っていたらしい仙次が、あまりにも葉蔵が白狼丸を持ち上げるのに耐えかね、いやいやそれならば
それで、いかに飛助が器用であるか、休憩時間の小話が面白いか、と熱く語っていると、その場にいた倉庫係と紙資材係の男衆が参戦し、自分達のところの若造がいかに優秀であるかの言い合いにまで発展したらしい。
「伊助さんも庄之介さんも何やってんだ……」
「えええ、兄さん達ってばおいらのことそんな風に思ってたのかぁ。何か照れちゃうなぁ」
赤面を両手で覆う白狼丸に、だらしなく目尻を下げる飛助と、反応は対照的である。
「俺はさ、二人が皆からたくさん好かれているのが知られて本当に嬉しかったよ。嬉しかったし、誇らしかった」
そう言うと太郎は、眉を下げ、ふにゃりと相好を崩した。俺の仲間はすごいやつなんだなぁ、などと言って、うんうんと何に対してなのかわからない相槌を打つ。
そう言われると、擽ったいが、悪い気はしない。
けれど同時に思うのは、
こうなると、青衣の立場がないのではないか、ということである。
以前もこういうことはあった。
太郎が青衣の霞扇に残っていた薬の力で、白狼丸と飛助を褒めた時のことだ。当時まだ知り合って間もない青衣は、彼らほど語るものはないのが当たり前とは言え、それでも何もないのは寂しすぎるのではないかと随分と気を揉んだものである。
結局のところ、太郎の聞き間違いから発展した『立派な鍬を買ってやる発言』で何となく有耶無耶になったものの、本人に対して特に語ることがなかったことには変わりない。
さすがに職場の違う青衣については、今回こそ何もなかろうと白狼丸も飛助も、そしてもちろん青衣本人もそう思っていた。
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