ご機嫌とり②
「あ、あのねェ、坊。本当に疚しいことなんざひとっつもないんだよゥ」
ただ、ただねェ、としどろもどろに視線を泳がせるのを、白狼丸と飛助は目を丸くして見つめていた。
――おい。
――うん。
視線だけでそんなやり取りをして頷く。あの姐御がなぁ、と。
幼子をあやすかのような優しい声で「坊、坊」と繰り返すが、呼ばれた方の太郎は、数滴分の酒が入った猪口を持ったままぐずぐずと鼻を啜っている。太郎は基本的に泣き上戸のようである。その猪口の中は果たして酒か彼の涙か。
「あの二人にはちょっと力仕事を手伝ってもらっただけなんだよゥ」
そうだよねェ、と鋭く睨みつけられる。懐に差し込まれているのがいつの間にか扇子ではなく
が。
「力仕事なら、俺にだって出来る」
出来るのである。
むしろこの三人の中で最も腕力があるのはこの太郎だったりする。だから――、
「――!?」
膝の触れる距離にいた青衣を、正座の姿勢のまま引き寄せて、くるりと体勢を変え横抱きにした。
「ほら。青衣だって持ち上げられるんだ」
それを証明するかのように、その身体を腕の力だけで軽々と上げたり下げたりしてから、すとん、と自身の膝の上に下ろす。
「うわっ、太郎お前それは」
「うわぁ、良いなぁ姐御。おいらもタロちゃんに抱っこされたぁい」
太郎の腕の中にいる青衣は、細身の彼よりも華奢な身体を、きゅ、と縮こませており、まるで本物の女のように見える。頬と耳を赤く染めて胸の前で手を合わせる様はさながら男を知らぬ乙女であった。
「おうおう、借りてきた猫みてぇに大人しくなっちまってまぁ」
「やぁっだ、なぁんか姐御可愛い~」
酒を酌み交わして悪い笑みを浮かべる犬猿をぎりりと睨みつけるも、こうも赤い顔では凄味も何もあったものではない。背と膝裏に回された腕と、触れる胸の温かさに酒のせいではない熱が込み上げてきて、鼻の奥がつんとする。
「俺だってちゃんと手伝えるから、俺だけ置いていかないで」
「だけど、もし、それで坊が傷つくようなことがあったら」
「俺は子どもじゃない。傷の一つや二つ、平気だよ」
「だけど」
「青衣」
優しいけれども、有無を言わせない強さのある声に遮られ、青衣は黙った。いつもならふざけて横槍を入れる犬猿も、二人を気遣ってか揃って背を向けている。
「青衣は何をそんなに怖がっているんだ」
「……このわっちに何も怖いことなんてあるもんかね。恐れは忍びの三病だ」
つん、と口を尖らせて言う。立場が逆転したような心地で、何だかむず痒い。
「三病? 残りの二つは?」
「侮るなかれ、思案を過ごすなかれ、さ」
そう答えると、太郎は青衣を、じぃ、と見つめたまま、ふぅん、と鼻を鳴らした。
「それじゃ、全部駄目じゃないか」
「なっ、何だってェ!?」
「青衣は俺のことを子どもだと侮ってるし、俺のことを心配しすぎてる。だろう?」
いつの間に涙も乾いたのやら、心配そうに眉を寄せてそんなことを言われれば、それが図星であるだけに面白くはない。けれども、言い返そうとして喉の奥に控えていた言葉は、そこでぴたりと止まった。
敵わん。
素直にそう思ったから、反撃は別の形で行うことにした。
「そうさねェ。何もかも坊のせいだ。これじゃあ忍び失格だよゥ」
そんな風に言うと、素直な太郎はあっさりと肩を落として「そうか、俺のせいか」と責任を感じているようである。
いやいや、忍びが駄目でも薬師の職があるじゃないか。
背を向けたまま二人のやり取りに耳をそばだてていた白狼丸と飛助は、そんなことを考えて軽く頷きながら酒を飲んでいた。
「だからさ、坊」
「何だ?」
「責任取っておくれよゥ」
「責任?」
――ぴくり、と犬猿の肩が動く。
嫌な予感しかしない。
おい、と声を揃えて振り返ると、横抱きにされたまま、甘えるようにしなだれかかる青衣と、何もわかっていないような顔をしている太郎がいた。
「責任取ってわっちのこと、娶っておくれな」
「娶る? 青衣を? でも青衣は男だろ」
そうだ、姐御はれっきとした男じゃないか。
そう言おうとしたが、牽制するかのように懐の苦無に触れて流し目を送られると、白狼丸と飛助は割って入ることも出来ずに、ぎりりと歯を食いしばってこめかみから汗を流すのみである。
けれども。
「そりゃァおなごじゃァないけどさ。でも、契り方なんて色々あるからねェ」
「そうなのか」
すとん、と納得したような太郎の顔を見れば、だったら良いよ、とあっさり承諾するとしか思えない。
いよいよ我慢ならん、と白狼丸と飛助は恋仲同士のようなその雰囲気の中に飛び込んだ。
「ちょっと待ったぁ――っ!」
「タロちゃんそれは駄目だぁぁ!」
「うわぁ! どうしたんだ二人共」
白狼丸が青衣を引っ
「どうしたんだ白狼丸」
「どうしたもこうしたもねぇわ! お前そういうのを軽はずみに承諾すんなよ!」
「何で」
「何でって……。それはだなぁ」
もしや太郎は『娶る』だの『契る』だのを案外軽く考えているのかもしれないと白狼丸は思った。
何せ女鬼の茜とは夫婦の関係にあるものの、仰々しい式を執り行ったわけでもなければ、一つの部屋に暮らしているわけでもない。確かに夜になれば会いに行くし、それらしいことを試みてはいるが(まだ『試みる』段階なのが苦しいところである)、夫婦になる前も夜には会っていたわけだし、逢瀬の場所が中庭から太郎の部屋に変わっただけと言ってしまえばそれまでであある。
つまりは、そう大して変わらないということだ。
「タロちゃん、あのね、そういうのはもっとよくよく考えてから決めなくちゃ」
白狼丸の拳骨が落とされた頭頂部を擦りながら、飛助が割り込んでくる。おおそうだ、よく言った対太郎万年発情猿、と褒めてるのか貶しているのかわからない言葉をかけると、とりあえず褒められている方向で捉えたらしい飛助がぐっと拳を握って笑みを返した。
「娶るっていうのは、もう一生、死ぬまでずぅーっと一緒にいるってことなんだしね」
うん、とこくり頷く太郎は、まるで母の教えを聞く幼子のようで、とても素直で可愛らしい。
さすがは(たった二つだが)年上なだけはある、とほんの少し飛助を見直す白狼丸である。
「だから、こんなお色気担当の姐御じゃなくて、おいらみたいに一緒にいて楽しいヤツの方が――あだっ!」
「ちゃっかりてめぇを売り込んでんじゃねぇ!」
「全く油断も隙もないお猿だよゥ」
白狼丸からは二発目の拳骨を、青衣からは鉄芯の入った扇子をそれぞれ脳天に叩き込まれ、「白ちゃんのはまだしも、姐御のそれはなくない?!」と飛助は涙目である。
「加減したに決まってるだろ」
そう返されれば、確かに「痛い」で済んでいるわけだから、そうなのかもしれないとも思う。
「まぁ、いまの話は置いといて、だ」
こほん、と咳払いを一つしてから白狼丸が、太郎の前に両手をついて一言「すまなかった!」と頭を下げた。
「ちゃんとお前にも一言言やぁ良かったんだ。変に気ィ回しちまって、黙って行って悪かった!」
「あっ、ずるいぞ白ちゃん。全部被って恰好つけるなよな。タロちゃん、おいらもごめんなさい。別にタロちゃんを仲間はずれにするつもりなんてなかったんだよぅ」
対抗心を燃やしたらしい飛助が、彼に倣って手をついた。
「全く、本当に仲の良い二人だこと。でもねェ坊、こいつらはなァんにも悪かないんだよゥ。わっちが頼んだんだ。坊にみっともないところを見せたくないって。だから、悪いのはぜェんぶわっちさね」
と、さらには青衣にまで頭を下げられ、太郎は辟易した。
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