舌切雀の落着
ご機嫌とり①
「坊? 坊? 怒ってるのかえ?」
眉を下げ、おろおろと太郎の顔を覗き込むが、彼は口を尖らせて俯いたままである。
舌切雀事件も落着し、太郎の部屋にこっそりと四人が集まってささやかな酒盛りの最中であった。もちろん太郎が茜にならぬよう、彼を除く三名は自主的に桃を摂取して臨んでいる。
「俺だけ、置いていかれた」
やっと口を開いたかと思えば、そんな言葉がぽつりと聞こえ、青衣は、うぐ、と声を詰まらせた。
同じ職場とはいえ、太郎は店、白狼丸は倉庫、飛助は資材部屋での勤務である。たった半日抜ける(もちろん平八の許可済みで)だけなのだし、と白狼丸も飛助も太郎には何も言わなかった。言わなかった理由はもちろんそれだけではない。青衣に気を遣ったのである。何せあの青衣が太郎には見せたくない、と言っていたのだ。ならば黙ってことを済ませてしまった方が良いだろう、と、そう思って。
けれど、よくよく考えてみれば、三人が別々に半休を取ることは稀にあったし、そのうちの二人が偶然にも同じ日になることだってあった。もちろん別に示し合わせたわけでもないため、行動は別であるわけだが。
だから、正直に「明日は午後から半休を取ったから、ちょっと出掛けてくる」とでも言えば良かったのである。ただそう伝えるだけで、太郎は「そうか。気を付けてな」と送り出してくれただろう。
が。
変に気を遣ってしまった結果、そこまで大事ではなかったはずの外出が、二倍三倍もの疚しさの塊となってしまったのである。
そしてそれは思わぬところから、実にあっさりと太郎にバレた。
「太郎様、飛助が見当たらないのですが、ご存じありません?」
半休との噂を聞きつけた雛乃が、自分の買い物の荷物持ちに任命してやろうと彼を探して店へとやって来た。ちょうど午前の客を捌き終え、食堂に行こうとしていた太郎が前掛けの埃を払ってから彼女に向かい合う。
「飛助ですか? 資材部屋にいるのではないのですか?」
「嫌ですわ太郎様。いくら飛助でもせっかくの半休に仕事なんて致しませんわよ」
いくら、というのは、彼が仕事の面においては案外真面目だからである。これが終わるまでは、と自ら残業することだって決して珍しいことではない。
「半休? 飛助、今日半休なのですか?」
「太郎様、ご存じなかったのですね」
「はい。昨日の夕飯も一緒だったのに、飛助、何にも言ってなかったですねぇ……」
平素は聞いていないことまでぺらぺらとしゃべるし、昨夜にしても
けれど、飛助だってたまには一人でのんびり羽根を伸ばしたいことだってあるかもしれない。
そう思った。
が。
「白狼丸も半休みたいですし、もしかして二人でどこかに出掛けたのかしら」
だったらわたくしも連れて行ってくれれば――、と腕を組んでぷりぷりと文句をたれる雛乃に、太郎は「えぇ!」と声を上げた。
その声に雛乃は目を丸くした。
彼女の前でそこまでの声量を出したこともなければ、そんな焦ったような声を発したこともなかったからである。雛乃の中の太郎は、常に凪いだ湖面のように静かで落ち着いた男なのであった。
「太郎様、どうなさったのですか?」
「白狼丸も半休なのですか?」
「えぇ……そのようですけれど?」
飛助はまだしも、白狼丸が自分に何も言わないのはさすがにおかしい。白狼丸はいつだって太郎の一番の友であり、理解者だったのだ。さすがに飛助ほどおしゃべりではないものの、自身の予定なんかはきちんと教えてくれるのである。
それに関してはもちろん少々納得のいかない雛乃ではあるものの、しかし太郎が彼を一等大切にしていることは悔しいけれどよくわかっていたため、しゅんと肩を落とした美丈夫をどうにか元気づけねばならないと焦った。
わたくしが余計なことを言ったせいで太郎様が……!
どうしようどうしようと辺りを見回していると、そこへ偶然、倉庫係の葉蔵が返品予定の小豆袋を抱えた状態で通りがかった。
「葉蔵!」
「へぁ? ――あぁっ、お、お嬢様!?」
葉蔵はかんざし事件で直接被害を受けたわけではないものの、山犬呼ばわりされた白狼丸のなだめ役に回っていたため、次こそは自分ではないかと怯える日々を過ごしていた。そうこうするうちにこれといった被害もないまま事件は解決したわけだが、いまだにその姿を目に留めるや、ぎくりと身体が強張る。
「あなた、白狼丸がどこに行ったかご存じ?」
「は、白狼丸ですか? えぇと、昼飯食った後、勝手口の方に何かすごい美人が迎えに来て、それで飛助と一緒に――」
「はぁ? 美人? 飛助も一緒ですって!?」
どういうことですの! と胸ぐらを掴まれ、手から小豆袋がどさりと落ちる。
「え? えええ? お、お嬢様ぁ!?」
雛乃の身長は当然のように葉蔵よりも低い。だから掴んだ着物をぐいぐいと下の方へと引き寄せる形となり、葉蔵は半端に腰を曲げた姿勢になる。相手が雇用主の一人娘ともなれば下手な抵抗も出来ず、情けない声を上げることしか出来ない。
「たっ、太郎! 助けて……!」
その言葉でハッと我に返る。
「雛乃お嬢様、落ち着いてください。葉蔵兄さんが苦しそうです」
太郎がそう言いながら雛乃の肩を叩くと、彼女はパッと手を放した。思わず足がもつれ、葉蔵はその場にぺたりと尻をつく。
「それで、飛助と白狼丸はどこへ行くって?」
「すみません、さすがにそこまでは」
「何ですって、この役立たず!」
「ひぃ!」
何だ何だ、まだ呪いは解けていないんじゃないかと葉蔵は震えた。ほんの数ヶ月前までは多少おませなところはあるが、可愛らしいお嬢様だったのに、と。
「雛乃お嬢様、葉蔵兄さんを責めても仕方ありませんよ」
「そうですけど! 怒りがおさまりません!」
「そんなぁ!」
とんだとばっちりである。
「で、でも!」
「確かに飛助と白狼丸はおりませんが、太郎がいるではありませんか」
「へ?」
びし、と指をさされ、気の抜けた声が出る。
「私が何か」
きょとんとした顔で葉蔵と雛乃を交互に見ると、彼女は頬を赤く染めて視線を逸らした。脈あり、と思ったのだろう、この好機を逃すまいと葉蔵は畳み掛ける。
「お嬢様は太郎が一等お気に入りだったのではありませんか。なら、別にあの二人に拘らずとも――」
と。
「別に! 拘ってなどおりません!」
真っ赤な顔でそう叫び、雛乃はだっと駆け出した。
廊下を歩いていた従業員が、彼女と危うくぶつかりそうになり、すんでのところでそれをかわしながら、「何だ何だ」と声を上げる。そして、依然廊下の真ん中でへたり込んだままの葉蔵に「お前、お嬢様に何かしたのか」と問い掛けたが、彼は、さぁ、と首を振るしか出来なかった。
そのまま成り行きで葉蔵と飯を食うことになったわけだが、彼がどんな話題を振っても、太郎は聞いているのかいないのか、ぼんやりと相槌を打つだけである。
「太郎、やっぱりあの二人がいないと寂しいんだな」
「はぁ……あ? え?」
「お前、あいつらのこと大好きだもんなぁ」
それについては「はい」としっかり返事をし、思い出したように飯を食む。
「お前がそんなにしょげるんだったら、行き先くらい聞いておくんだったよ。すまないな」
「いえ、葉蔵兄さんが頭を下げることはありません」
「いやぁ、俺はもうあの美人にしか目がいってなくてな。雪のように肌が白くってなぁ、首と腰が細くってさぁ」
「そんなにおきれいな方でしたか」
「おう。真っ赤な紅を引いててな、青い着物がまた似合っててさぁ」
「青い……着物ですか」
「そうそう。二人とはどんな関係なのかわからないけど、顔見知りなんだろうな、『姐御』って呼んでた」
「あぁ……」
もしや、と思ったが、やはりそれは青衣だ、と太郎は得心した。葉蔵がわからないとなると、恐らくは顔を変えてきたのだろう。そして、それがまた一つ太郎の心に影を落とす。
そうまでして、一体三人でどこに行ったのだろう、と。
通夜のような雰囲気が立ち込めた卓で、葉蔵は、もしやこれも失言だったのだろうかと肩を竦めた。
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