大小の葛籠③

 太郎には見せたくない。


 彼にだけは隠し事をしたくない、何なら化粧を落とした素の顔を見せたって良い、とまで宣っていたこの青衣が、見せられないこととは何だ。


 もちろん白狼丸も飛助も追究した。

 

 これまで何度も「殺しはしない」と口にしていたから、さすがにそこまでのことではないだろうけれども、余程疚しいことがあるのではないか、と。


 すると、その元忍びの薬師は、やはり「殺しじゃァないよ」と、そこは強く言った。けれども、珍しく、しゅん、と肩を落とす。


「だけれども、さすがのわっちも自信がなくってねェ」

「自信?」

「何の?」


 似たような表情で揃って首を傾げる様を見れば、はて本当にこの二人は犬猿の仲だったかと、思わず笑いが込み上げて来そうになる。


「いや、今回はわっちの私情が多分に含まれてるもんだからさァ、ちょいと手元が狂っちまうかもしれないだろゥ?」

「手元が狂うって……」

「つまり……っちゃうかも、ってこと?」


 やはりほぼ同時にぽかんと口を開けた二人は、顔こそまるで似ていないけれどもまるで双子のようで、いよいよ青衣は堪えきれずに笑い出した。


「ちょ、おい! 何笑ってんだ!」

「そうだよ姐御! 笑い事じゃないだろ?!」

「ほっほ、ごめんねェ。アンタ達があんまりにもおんなじ顔をするもんだからさァ。それにね、だから二人を頼りたいんだよゥ」

「はぁ?」

「おいら達を?」


 右眉を下げ、左眉を上げ――などと、打ち合わせでもしているのではあるまいかと勘繰りたくなるほどに同じ表情を作られれば、やはりそれも青衣の腹を大いにくすぐる。「そろそろいい加減におしよ」と窘めるものの、当人達は全くその自覚がないらしく、真似すんなよ、とやっぱり似たような表情で睨み合うものだから、はいはい、と青衣は畳を叩いて自分の方に注意を向けさせた。


「わっちが間違いを犯しそうになったら、アンタ達は黙ってないだろゥ?」


 そう言われれば、そりゃあもう、と返すしかない。


「でもさ、タロちゃんだって止めると思うけど」

「そりゃそうだ」

「そんなこたァわかってるさ。だけど、一瞬でも人殺しの顔を見せたくないんだよ、坊には」

「おれらは良いのかよ!」

「そうだよ! おいら案外繊細よ?」

「それはねぇだろ!」

「ひっでぇ! 繊細だもん!」


 繊細な人間はそんなに大声で「繊細だ」などと主張しないのではなかろうかと思うものの、そこを突けばより厄介になるのではと口をつぐむ。


 兎にも角にも、青衣は二人を頼り、二人はそれを承諾した。


 というのも、青衣の依頼というのが単なる荷物運びだったからである。元忍びの依頼というからには、もっと血生臭いものかと身構えていた二人は揃って「何だそんなことか」と安堵の息を吐いた。


「一体何だと思ってたんだい」


 呆れ声でそう言うと、白狼丸は「いや、どっかの屋敷に潜入しろとかさ」と頭を掻き、飛助も「おいらは一服盛れとか言われるのかと」と照れたように笑った。


「そんなの素人にやらせるわけがないだろ」


 そう返されれば、「確かになぁ」と揃って納得する。

 

 そういう経緯での、荷物運びであった。


 

 雪に車輪を取られながらも、えっちらおっちらと来た道を戻る。


 ――にしてもさ、と飛助が口を開く。


「おいら、全然わけわかんなかったんだけど」

「うん? ああ、確かにな」


 それに同意したのは白狼丸だ。この二人は間に太郎さえ挟まなければ案外仲良くやれるのかもしれない。


「姐御、あれは一体何だったんだ?」

「あれって?」


 ふふ、と鼻で笑って聞き返す。


「だから、あの二人はたかだかに何をそんなに怯えてたのかな、って」

「小さい方の葛籠だって、ありゃあ石蕗屋ウチの店落雁らくがんじゃねぇか」


 大小二つの葛籠を家の中に運んだ後、アンタ達はもう行きなと急かす青衣に対し、白狼丸と飛助は「せっかくだから最後まで見せろ」とごねて、戸の隙間からこっそりと様子を伺っていたのである。


 中身だってもちろん二人は知っている。

 小さい方の葛籠に細く割った落雁を詰めたのは飛助だったし、大きい葛籠の底にみっしりと砂を入れて重さを誤魔化したのは白狼丸だ。その中に薬で眠らせた雀を入れたのは青衣であったが。


 何をどう考えても、質の悪いいたずらである。


 それなのに、二人が想像していたような――せいぜい腰を抜かす程度だろうなどという結末にはならなかった。


 男の方は妙な悲鳴を上げて落雁を落とし(飛助は危うく「もったいない!」と叫ぶところだった)、女の方は、ぴいぴいちゅんちゅんと可愛らしく飛び回る雀を、半狂乱になりながら叩き落とさんばかりに両手を振り回してその場をぐるぐると回る。


 確かに雀は十羽のみであったが、雀の羽色に合わせて色を塗った綿や紙切れ、羽毛に木くずなど、とにかく風に舞いそうなものもぎっしりと詰めていたため、彼らが蓋の隙間から飛び立つ際にはそういったものが一斉に舞い上がった。だからもしかしたら、十数羽――何なら数百羽にも見えたかもしれないが。


 その、小鳥が飛び回る真ん中でぺたりと尻をつけた男女はというと、涙まみれの鼻水まみれ、さらに女の方は気でも触れたか、口の端からよだれを垂らしてあはあはとだらしなく笑い出した。そしてとうとう失禁したところで、さすがにこれ以上は――、とその家を後にしたわけである。


「疚しいところがある人間にはねェ、ああいうのは良く効くんだよゥ」


 くくく、と喉を鳴らして、季節外れの扇子を広げる。


 あそこまで壊れては、もう元には戻らないだろう。さらに言えば、東砂の方にはもう帰る家もない。


「まぁ、今回も扇子それを使ったんだろうな、ってことはわかった」

「まーた、何かおっかない薬でも仕込んでんの、その扇子?」

「なァに、ちょいとばかし良い夢を見るだけさ。あとはきっかけだけ与えてやりゃァ――、人なんて案外簡単に壊れちまうんだよゥ」


 と、歌うようにそう言って、す、と目を細め、らばこれにて落着と、ちゅん、と一つ雀の鳴き声を真似てやる。


 すると、姐御怖ぇ、などと肩を竦めていた犬猿も、ううん、と眉を上げた。


「あ、さっきのだ。姐御、声真似うまいなぁ」

「本物の雀かと思ったぜ。忍びってのは、何でも出来るんだな」


 ほう、と感心したような声を上げれば、青衣も「だろゥ?」と得意気である。


「わっちはとにかく真正面から組み合うのが不得手でねェ。誤魔化したりはぐらかしたりして、とにかく無事に逃げ帰ることだけに特化した忍びだったんだ。隠れる、姿を変える、煙に巻く、声を真似る。この辺は得意中の得意さ。だから――」


 ぱちり、と扇子を閉じる。


虫獣遁ちゅうじゅうとんも得意ではあったんだけど――、さすがに雀を使うのは初めてだったねェ」


 などと歌うように言ったが、白狼丸と飛助は「チュウジュウトン?」と聞き慣れぬ言葉に揃って首を傾げるのみであった。


 そォらまた双子になった、とその様子をからかうと、やはり息をぴったり合わせて「誰が双子だ!」と叫ぶものだから、青衣は久しぶりに腹の底から笑ってやった。


 そうして、眦に浮かんだ涙を袖で拭いつつ思うのだ。


 わっちの大切なものを傷つけて、のうのうと生きていられると思うな。


 命が残っているだけでも有り難く思うんだね、と。

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